orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

あの頃のインターネットと私の旧車會

blog.hatenablog.com

という、習慣はてなブログの記事を読んで。
とてもよくわかる。
わかる、が、しかし、そうもいかない事情というものもある。
昔と違って、炎上しやすくなったり、知らない誰かまで届きやすくなったし、インターネットが、『一般社会』になってしまったし、場所や出来事をそのまま書くと、簡単に住んでる場所やどこの誰かが人肉検索(バーストリンク)されるようになってしまったし。

昔のように書きたいけれども、今の自分はちょっとそのように書くわけにはいかない。少なくともはてなブログでは。
(もちろん、はてなブログで日常を綴っているブログはたくさんあるし、それらを楽しく読んでいます)

というわけで、自分は、discordを初めました。
知ってる身内の少ない人間と、日常や社会で起こったこととか、どうでもいい話を話したりする場所です。
これが、存外楽しい。楽しかった。昔のテキストサイトからの知り合いだったので、「あの頃のインターネット」が帰ってきたようだった。
で、ふと気づいたんですが、これって『旧車會』なのではないだろうかって。
(説明もいらないでしょうが、旧車會というのは昔暴走族をやっていた現サラリーマンなどが集まって、暴走行為をする大人たちの集まりです)
それぞれ違う道を歩いていた人たちが、それぞれ同じように歳をとって中年になり、ふと、人生を振り返り、そして自分の若いころの気心が知れた連中と一緒に遊んだり、飲みに行ったり、そういう風にしてつるむ。『旧車會』でなくても、村の中年の集まりだったり、いわゆる「おやじの会」だったり、「父親の会」だったり、そういう中年がお互いを慰撫する集まり。
昔は(というかついこの前まで)そういうのかっこ悪いし、自分はああはならないでおこう、と思っていたんですけれども、まあ、この有様です。
しかし、そういう状態になって思うのは、歳をとったらそういうのが必要なんだろうな、っていうこと。スタンドアロンでやっていけるほど自我というのは強くなくて、孤独でないことをどこかの場所で確認しないと持たないだろうって。

fujipon.hatenablog.com


fujiponさんの日記の中で

 僕も「他人の日常日記」が、ずっと大好きなので。
 そこには、自分には経験できなかった日常や、他者の考えが詰まっていて、「世の中にはいろんな人がいる」というだけで、僕はワクワクしていたのです。

と、あって、人には『誰かの日常』が必要なんだと思う。それは、今の自分の生活から遠く(でもそれほど遠くない)場所で生きてる人で直接生活にかかわらない人たち
それが、他人のインターネットの日記だったのだろうけれども、そして、自分もそれで十分だと思っていたのだけれども、それだとちょっと足りなかったみたい。または、上記の理由でそういう日記が減ったからかも。
そして、今、同年代の他人と色々話すことによって、色々とここ10年くらい自分を縛り付けてた枷と垢が落ちてるような気がしてる。砂場で遊んでた感覚を思い出したというか(それがいいことなのか悪いことなのかわからない。もしかしたらとても悪いことなのかもしれない)

何となくまとまりがないですけれども、今自分は、古いインターネットをしていて、多分、こういう小さいインターネットはこれから増えていくんじゃないかと思っています。