ピエール手塚先生の初単行本の「ひとでなしのエチカ」と「ゴクシンカ」が先日発売されました。*1
この、先生、ってつけるのくすぐったいですね。多分手塚先生もくすぐったいと思うので、以降ピエテツさんと呼ばせてもらいます。人間はこんな風にして失礼ギリギリを探しながらコミュニケーションして距離を縮めていかないといけないのだ。
人を急にあだ名で呼ぶというのは暴力です。突然DMを送ってくるのも暴力だしlineのアカウントを聞いてくるのも愛を告白するのも暴力だし目が合って挨拶をするのも暴力です。人と人とのコミュニケーションというのは総じて暴力でできていてその折り合いの中で僕らは生活して呼吸して社会を作って友達を作って恋人を作って日常を送ってる。そしてその暴力性に対して目をつぶって生きてる。または暴力性に怯えてコミュケーションを放棄して知らない他人のまま誰かを放置して生きていってる。
ピエテツさんの作品は、そういう日常の中で行われる暴力性に対して、『自覚しろ!』と強く訴えてくる。
まだ少年ジャンプ+で見ることのできる『恋のニノウチ』のテーマもそれだ。(短いしすらっと読めるのでまだ読んでない人は読んでみてください名作!)
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暴力で他人に自分に恋に落ちさせるということができるという世界の話なのだけれども、これはやっぱり現実のメタファーなのだろうと思う。人に自分を好きにさせるときにはみんな暴力を使っている。端的にお金であったり、プレゼントであったり、マメに連絡を取ることであったり、相手好みの容姿になることであったり、相手に対しての無遠慮な力の行使、暴力を伴っている。
『恋のニノウチ』は、そんな世界で悩む少年と少女の物語で、その悩みの果てに暴力を肯定する話なのだけれどもそこに至る流れが物語の見どころになっていて、ですので是非見てください。
先日発売になった『ひとでなしのエチカ』も『ゴクシンカ』もコミュニケーションと暴力性の話で、生きて誰かと交わるということは相手に暴力を振るうことであるということが前提の社会で、どうやって暴力を肯定するのか、受け入れていくのか、というのがテーマになっていて、そして結局失敗する(ことも多い)のだけれども、それでも死ぬまで生きていくことを辞めることはできないし、生きていくうえで暴力を振るわないといけないし振るわれないといけない。他人を支配しないといけないし支配されないといけない。
ただ一つ明らかなことは『殴り合わないと自分の意思を示すことが出来ないし相手の意志を受け取ることができない』ということだ。
ピエテツさんはその寓意を漫画に落とし込むのがとてもうまい。とても面白い漫画なので、みんな読むといいと思います。
*1:献本頂きましたありがとうございます