前提として、近代という時代があります。1900くらいから本格的に始まってポスト近代などと言われていますが、現代(現在)までずっと近代が続いています。続いていました
2度の大戦は、近代の大義を問う戦いでもありました。近代の『自由、平等、民主主義』という旗印のもとに人は戦って、勝って、そして、その結果、1960年からの植民地だった国々の独立が果たされました
地縁、血縁、荘園、そのようなものから社会契約に基づく社会。人の自由権(自由に契約をする自由)から始まった人権の概念、ゲマインシャフト(家族、商売ギルド)からゲゼルシャフト(都市化、参入障壁の撤廃)への移行
ポスト近代、みたいな言い方も50年くらい前からありましたが、結局は近代のこういう『近世、中世よりも後の価値観』の上に立脚した、『近代』がずっと続いていたわけです
現代の券売機コミュニケーション、チェーン店でどこでも同じ味が食べられる、仲人ではなくマッチングアプリで結婚相手を探す、そういう現代的な関係性にも繋がってきている訳です
で、その近代が、そろそろ終わりそうな予感、雰囲気がだんだんとしてきているな、とちょっと思っているわけです。近代的な価値観というのは個人主義の価値観です。その下で少子化が進むのは【個人としての人間の最適化】を考えれば必然です、近代的な価値観自身が近代を終わらせようとしている
また、近代的な価値観自身が、非人間的(動物的な人間の部分を否定している)であり、それに対する反発のようなものが強くおこりだしているというのが、ここ最近の世界的な出来事としてあるのではないか、と思ったりします
排外主義であったり、領土戦争であったり、人種差別であったり、侵略であったり、虐殺であったり。ガザの進行に対する西側諸国の冷淡さは、『近代的な正義』をその在り方としていた西側諸国の欺瞞が剥がれる出来事でありました
近代というものは、もう、終わりに来ているのではないか
いや、そもそも、近代、近代という物語は、『言葉を語る人達、歴史を紡ぐ立場に入る人達(学者、新聞記者)』の中にしかなく、実際は、ゲマインシャフトが世界の根底を相変わらず動かしていて、近代というのはその上にかぶさられた薄いテクスチャでしかないのでは?
そして、その欺瞞が剥されようとしているのが今現在では?
近代が終われば、だから、その、近代以前の近世、近世以前の中世的な世界がまた始まるのでは?
近代が終わって中世が始まる
↑そう思っていました。ちょっと最近まで
テック封建制、デジタル荘園制という言葉があります。あるかな?あんまり聞いたことないけれども
中世の封建制のように、テック系の長(イーロンマスクみたいなのが)荘園領主、王となって、エコシステムをつくり、そこの下で下々のユーザーは農民のように税を納めて生活するというような社会。そのような経済圏がいくつかありその下で人は生まれ生きて死んでいくような社会。デジタル封建制
ただし、この世界観には無理があります
それは、中世の荘園領主にとって農民は財産であり、管理して摩耗しないようにする必要があったのだけれども、デジタル荘園制の主にとっては、そのユーザーは財産ではなく、自由民であり、管理の対象外、守る必要のない存在のわけで、そこに、継続可能な環境というものは存在しない
テック封建制のような状態が成り立ったとしても、それは100年もつものではなく、長くても10年くらいしか成立しない社会形態でしょう
近代が終わって中世のような世界が始まるとしても、デジタル荘園制は来ない
じゃあ、どんな時代が来るのか?以前のような、地縁血縁に基づいた社会が来る?
ですが、それも難しいでしょう
地縁血縁地域によるゲマインシャフトは、『その環境で生産がおこなわれる』というのが前提です。生産手段が工場や会社に移行した現代では、地縁血縁によるゲマインシャフトは成立しがたい。昭和の日本の会社『JTC』がゲマインシャフトとして機能していた時代がありました。人は、会社で結婚相手を探し、会社が家のローンを貸し出し、定年まで働いて、会社と共に死んでいく。そんな時代があったんです。でも、今は会社も、そのゲマインシャフトとして機能しない
ゲマインシャフトは死んだ!
しかし近代も死ぬ!
じゃあ、その時に人がよって立つ社会は一体どこにあるのか!
近代が終わります。でも、近代が終わった後に中世が始まらないんです



















