orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

前橋ウィッチーズ/よかった/どことなくアリスインプロジェクトの演目っぽさがあった

『前橋ウィッチーズ』
見ました

良かった

本当に通じる人はすくないけれども
どことなくアリスインプロジェクトの演目っぽさがあった


『複数人キャラクターが出てきて、それぞれに問題を持ち、それぞれが解決をして、最終的に、主人公の物語として回収されて、物語が閉じる』
という、こういう、魔法少女もの以外の複数人女の子が出てくる物語(アイドルマスターもそう)のフォーマットを踏襲してる。その物語構造が丈夫だから、いくら無茶苦茶なものを放り込んでも大丈夫、みたいなところがあって、それで、破綻することなくきれいにまとまった作品だと思った





シンギュラリティは起こらない。起こるとしたら、それはAIが人間の知能を超える瞬間ではなく、人間が因果知で世界をとらえるのをあきらめる瞬間だ

シンギュラリティは起こらない。起こるとしたら、それはAIが人間の知能を超える瞬間ではなく、人間が因果知で世界をとらえるのをあきらめる瞬間だ

と、いうのを考えているが説明が長くなるし難しい
以下、自分にだけわかる箇条書き

LLMの認識する『世界』について/圧力知

  • LLMは因果知ではなく圧力知で世界を認識している
    • 圧力知とは「地球外少年少女」に出てきた言葉で、因果推論で未来や空白を予測するのではなく、周りの状況からそれがある『確率が高いもの』を選んで答えとする知識。粘菌が迷路を解くのに似ている。
  • 実際のところ世界や未来は因果知ではなくて、圧力知でとらえるほうが正確にとらえられる。
    • なぜならば『微細な個別の現象』同士では因果があるが、世界はあまりにも複雑にできており、要素が大きすぎてすべての因果を認識することは不可能。また、『微細な個別の現象』同士『ゆらぐ』ので、因果ですべてをとらえるのは不可能。
  • 圧力知は、もし、その計算者が『現状を全知』であるなら、未来や空白を因果知よりも正確にとらえられる。全知であるというのが不可能であるということに目をつぶれば
    • どれだけ、LLMに情報を食わせたら、その『全知』に近づくことが出来る?(文字情報、計算知識のみならず、すべての人間の行動や所作)(ところでここには、『最も詳しい地図はその地形と同じサイズが必要になる』問題が発生する)

圧力知は3次元方向に延びていかない(この場合の3次元というのはモノの例え。うまく表現できていると思えないので他の言い方があると思う)

  • どこまでも『確率的にそれらしい答え』を選び出すので発想の飛躍がない(人間が出せなかった答えを出すが、それは計算能力の違いによる
  • 因果知で考えていると発想の飛躍が起こる。圧力知に比べて、3次元的な部分に思考がある(複素数空間と言い換えてもいいかもしれない)
  • 因果推論をするLLMも開発されるだろうし、圧力知も精度を上げていけば、人間の因果知による予測を行うようなLLMもできるだろうと思う
  • それをもってシンギュラリティと呼ぶ人はいるだろうけれども、しかし、それはシンギュラリティではない
  • なぜならばそれは結局人間(因果知)の模倣に過ぎず、人間を超えたわけではない
    • そして、LLMの強みは『因果知ではなく圧力知で世界を認識する』ということであり、その方向性で知能を発達させた『新しい生き物』
  • なのでLLMについては『人間を超える』という表現は当たらない。違う生き物が現れる、ということ
    • シマウマはキリンを超えた、とは言わない。アリと象、どっちが優れた生き物?みんな違ってみんないい
  • なので、二つの知性が共存共栄する状態は来ると思う

人間が因果知で世界をとらえるのをあきらめる瞬間

  • LLMがなんでも答えを出すようになって、人間が、『もう考えたり、未来予測(あんなこといいな、できたらいいな)をしなくていいや、するだけ無駄』と思うようになる時が、人間が、AIにすべてを奪われる瞬間で
  • そしてそれは、//////////////////////////【以下思考中】

LLMに対して、人間の優位が取れる能力『境界を定める力』と『未来を引き寄せる力』

  • LLMには境界がない
    • それは自他境界だけではなく、物事の境界
    • 圧力知で考えているので、物事の切れ目、がない。すべてが、なだらかな地形のように認識されている。厳密に、海と陸の切れ目を定めることが出来ないように
    • 人型の外部入力機器を得るようになっても、そこは変わらないと思う、変わるかな?わからない////////////////////【以下思考中】
  • 因果知は時にありえない未来を無双する
    • それは、因果推論が間違っているということだけれども、しかし、その間違いが『本当にその未来を引き寄せる』ことがある(社会科学の分野ではよくある)

ここら辺の違いをテーマにしたSFをちょっと考えている









ちなみに圧力知について磯光雄監督自身が開設しているのがこちら

こういう風に手探りで結果を探り当てる知性を「圧力知」、知識や計算から結果を出す知性を「因果知」という造語を数年前に作ってみたけど、学者からはいまいち反応薄い
圧力知は生物の形状など人類以前の知性で、AIがそれに近づきつつある気がしている。ちなみに路地にも因果路地と圧力路地がある。

因果路地は最初から目的が設定された道で直線が多く、圧力路地は不規則に曲がりくねって意味不明のゆらぎがある。圧力路地の多くは暗渠化した川で、水圧や土圧などが釣り合って導き出された形状。路地フェチの自分は圧力路地を瞬時に探知できるので、陰圧に吸い込まれるように迷い込んでしまいます。

丁寧な暮らしについてみんなが語っていて昔のはてなが戻ってきたみたい

自分も話したいことがないわけではないけれども、みんなが楽しくやってるのに水をさすのもアレなので、こんなことを言ってたよみんな、というのをログに残しておくね。
流れとか。


anond.hatelabo.jp

発端はこれ。
多分、特に意識されて書いたものではないと思うのだけれども、はてなで何か言いたい人の琴線に触れたらしく、ホッテントリに。
そしてそれに対して(だったと思う、元記事がないので正確にはわからない)

b.hatena.ne.jp


元記事がないので、ちょっとどういうことを書いてたのかわからない。後でちゃんと読もうと思ってブクマしてたらいつの間にか消えてたんだよね、消えるの早いよインターネット。

で、ここらへんで、はてなで、『丁寧な暮らし』の話題が広まってくる。

そして(id:anmin7)さんの記事へ

anmin7.hatenadiary.jp

色々と「こんなことに気を付けたり、こういうのを見たりするといいよ」というアドバイスもあるのだけれども、核の部分は以下の部分だろう

ここから先は持論を書いていく。これは男性が不幸になる素の話なのだが、基本的に男性は高いHPとそこそこの装甲値(防護点etc…)があるので微細なダメージを無視して日々を生きていくことができる。しかし、ダメージを無視できてもダメージが入っていることで感じ続けている不快さに目を向けることがあんまりない。この話は以前もここで書いた。どういうんだろう、ごく微小なセルフネグレクトをずっと続けている状態に男性はいて、ともするとそれは「無頓着=男らしい」の文化によるものではあって、それこそ持っていくところにもっていけば「トキシックマスキュリニシティ」として唾棄してもらえる。じゃあなぜその有害な文化が今現在まで残っているかというとそれはそれで現在まで残るだけの要請というのは社会全体からあったからなんじゃないかとも思うがそこらへんは専門家が説明してくれると思う。大事なのは今おれたちは不快であることを無視しがちであるということだ。


丁寧な暮らしっていうのが、できないように『男性』はできているのだなあ、という、ちょっと真理ぽい話だ。

同じように、丁寧な暮らしがうまくできない、っていう共感の記事も出てきた

cooking-for-golden-age.hatenablog.com


で、(id:anmin7)さんの記事に対して、はてなの肉食獣(id:p_shirokuma)先生の記事

p-shirokuma.hatenadiary.com

(旧来の)男性のように働き、女性のようにていねいであれ
 
ということは、現代人は私生活の次元では旧来の女性ジェンダーに近い振舞いが、仕事の次元では旧来の男性ジェンダーに近い振舞いが期待されていると言えるかもしれない。
  
それをジェンダーの否定とみるべきか、別の何かの否定とみるべきかはわからない。それとも肯定だろうか? なんにせよ、今日のあるべき暮らしの姿、働き方の姿、ひいては人間の姿は旧来の性役割でみればキメラのような何かで、ひょっとしたら生物学的な性別という観点からみてもキメラのような何かかもしれない──なぜならかつての男性のように喧嘩っ早くあってはいけないし、かつての女性のように妊娠や出産にかかずらわってはいけない……というのが(少子化がここまで進んでいてもなお)実質的な社会規範の正体、ひいては今日の思想が私たちに強いてやまない社会圧の正体であるよう思われるからだ。

というように書かれているのですけれども、これは、『マッチョ』ですよ。
性別の大変なところをそれぞれ取り合って、二倍苦労してやっていけ、ということなので。

(id:anmin7)さんのもともとの記事も『ストレスなく生きていくためにどうやって日常のストレスを軽減していくのか』という話だったのに、シロクマ先生の結論は『ストレスなく生きていくためには、ストレスフルな生活を必死で生き抜いていかなければならない』みたいな話になってる。これはひどい。まあ、それが現実なのだろうけれどもさあ…あまりにも身もふたもない。
さらにおおかわりとしてこんな記事を

p-shirokuma.hatenadiary.com]

乱暴に要約すると
『丁寧な暮らしができるのは貴族だけだ!お前ら貧乏人は泥をすする価値観を生きろ!無理?じゃあ、かわいそうなことになりますね…』
っていうことなんですよね……。マッチョ…

((
その前に
anmin7.hatenadiary.jp
という記事があるのだけれども、シロクマ先生の記事は、それに返信というよりは、前回の記事の補足という部分が大きかった
))

自分も丁寧な暮らしと、ストレスのない暮らし、社会性のある(社会から要請される必要最低限度の暮らし)などに一過言ないわけではないだけれども、それをまとめるにはちょっと時間と体力もないので、また、余裕ができて、ほとぼりが冷めたころにちょっと書こうかと思います。

自分の言いたいことはちょっとシロクマ先生にも近くて一言でいうと
「「
「クウネル」や「ベニシアさん」みたいな所謂『丁寧な暮らし』は有閑階級の遊び、余裕がある人たちしかできないので、あれを『丁寧な暮らし』のロールモデルにするのは間違っていて、できないことことはできないし、体力がなければそもそもできないし、生活は必要最低限度で壁に絵を描いて暮らしたいひとだっているし、そういう生き方(多分、古い男性的な生き方)も否定されるべきではない。ただ、『生活』を営みたいなら『生活』をやっていくしかない
問題は『生活』をやっていくためのロールモデル、見本みたいなものが、前述の豊かな人の行う『丁寧な暮らし』くらいしかないっていうのが問題なので、やっぱりそこのロールモデル、見本みたいなものは欲しいよね、という気がする。
」」
です、一言にしては長かった。

これに関しては(id:Ta-nishi)さんのコレが答えになってくれるような気がする。まだわからないが。

このへんAIが救世主になるんじゃないかと思ってる。ドライヤーの当て方とかアイロンのかけ方とか洗濯機の使い方とか最近なんでもAIに相談してるんだけど知らなかったテクたくさん教えてくれてメチャクチャ助かってる。AI相談、ズボラにおすすめ。

こんな感じの。なんかクネクネしたはてなを久しぶりに見たので、メモ。

コルプタリア、という言葉を考えたし、これ考えたのオレ最初だから!って主張するためにここに

労働者を意味する「プロレタリア」
この言葉の意味は『子供しか資産のない人』という意味なのだけれども、でも、今の労働者、子供すらもてない人ってすごく多いと思う。その場合この言葉は不適切(というか状況はもっとひどい)ので、プロレタリアをもじって、「コルプタリア」という言葉を考えた。


プロレタリアが
ラテン語の(proletarius) 子供(proles)+生むもの?(tarius)
で「子供しか資産が無い物」が語源なら

子供も産めずに肉体しか資産が無い物 「肉体しか資産が無い物」 として 肉体(corpus)+(tarius)で『コルプタリア』

肉体しか資産を持たないもの。




表記ゆれ

コープタリア
コルプトリア
corputarius
corputaria

階級 tier
資産家 ブルジョワジー
再生産可能な労働者 プロレタリア
再生産不可能な労働者(末代) コルプタリア

愛さない、生まれない

反出生主義、というのと似たものに、「反恋愛主義」というのがあると思う。いや、言葉としてはないし、概念としてもまだ成立してないのだけれども。

反出生主義は、雑に言うと、この世界は楽よりも苦のほうが多いので、生まれないほうがいい、という考え方。で、反恋愛主義は、『人を好きになると、楽しいことよりも苦しいことのほうが多いので、人を好きにならない』という考え方。主義主張としてはないけれども、こういう考え方で人を好きになったり、恋愛に消極的な行動をとる人、実は多いのではないかな?と思う。


人を好きになって、それが叶わないとつらいし、人と交際するようになっても、すり合わせていくのはとてもしんどい行為だし、嫌いになって別れるまでにエネルギーを使うし、愛し合ったままでも、いつか、死という別れが来て、それは本当につらい。

総和で見たときに、恋愛の楽と苦では苦のほうが勝るのではないか、そういう見方もできるし、生が苦のほうが多いとするなら、恋愛だって苦のほうが多いのだろう、きっと。仏教でもなんかそういうこと言ってた気がする。

そこらへんの、理性的に総和で人生をみるという考え方が少子化につながってるような気がするけれども、じゃあ、どうすればいいのかわからない。


ただ、自分が思うのは、人生というのは『瞬瞬必生』なのではないか。それでしか、人生というものは評価できないのではないか。
積分ではなくて、微分の数値で評価するべきではないか?

とか、そういう風なことを思うのだが、まあ、これに対しては他人の人生の話だし、考え方の話だし、言葉でいうことでもあるまい、と思う。