orangestarの雑記

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画像をパソコンでみるだけで逮捕される先の社会

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www.itmedia.co.jp

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ここらへんの話。
委縮効果はもちろんあるだろうし、それによってネット上での情報の交換やら色んなものが制限される。


その先にあるものは、技術力の衰退と文化の荒廃だろうし、その先ってたぶんこんな感じ。


猫を殺す仕事 現代寓話

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怪物は夢を見ない 現代寓話

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※昨日に続いてこれも3カ月前に準備しておいたもの。更新できずにこんなタイミングで。ネットの時間の流れは速い……。

R18年のR18事情

未来の世界は優しいので、人を傷つけるコンテンツは一切ありません。

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令和18年


すっかり令和ネタに乗り遅れてしまった。清書したのは2か月前だったのだけれどもパソコンに向かう時間が全然取れなくて、更新までに時間がかかってしまった…。本当にネットは時間が経つのが早い………。
更新するのもどうかと思ったのだけれども、どんどん投稿する時間が無くなっていくので、とりあえず。


kindleで出してる同人誌もよろしくね。

ここは悪いインターネットですね。2

ここは悪いインターネットですね。2

ドラえもんのび太の月面探査記、旧ドラファンは絶対に見に行った方がいい旧ドラ映画でした。

ドラえもんの映画をみた。3月の真ん中くらいに。

子供と見に行った。面白かった。面白かったけど、これって大山ドラ(旧ドラ)だって思った。去年ののび太の宝島、個人的には、ううううううという感じだったのだけれども、でも、それを否定するわけにはいかなくて、当時はジレンマだった。ドラえもんにはいろいろな側面があって、キャラクターコンテンツとしてのドラえもん、藤子作品としてのドラえもん、子供向き親子向きコンテンツとしてのドラえもん、旧ドラのドラえもん、新ドラのドラえもん、みんな違うドラえもんだけれども同じドラえもんで、そして、それぞれのドラえもんは相互に影響し合っている。


宝島は、キャラクターコンテンツのドラえもんとしてとても正しかった。ミニドラがごちゃごちゃしていてとてもかわいかった。楽しかった。みんなでオールを必死に漕いでいるときに一人だけドラをたたいてるミニドラがいて、それがよかった。


ただ、どうしてもだめだった不満点があって、それは、リアリティラインとSF的なものの使い方について。ドラえもんという作品は(基本的に)ある程度のリアリティライン、肉体の強度ラインを守っている(のび太もジャイアンも子ども以上の物理的な力を持たない、ドラえもんも壊れる機械)。それを宝島は大いに逸脱していて、それが、ううううううううって思った。


思ったのだけれども、それを否定してしまうとじゃあお前の好きな旧ドラの「雲の王国」はどうなんだ、って話になるし、(ドラえもんは基本的に)SFとしての収支を合わしてる(SF的なところの説明はちゃんとする)っていうところでもうううううってなったんだけれども、じゃあ、映画後期ドラはどうだったのっていうと血を吐くので、自分は宝島ドラを一切否定できない。


そして後で説明するけれども新ドラ映画のフォーマットとしてはとても正しい。自分的には満足できるものではなかったけれども、ドラえもん映画としてとても正しかったので、ううううう、ってなった。絵作りも楽しかったし、よかった。キャラクターコンテンツとしてとても正しくて、それを否定してしまうことは旧ドラのドラえもんズとかどうなんだってなる。そういえばドラえもんズどうなってるんですかミニドラ出てきたから復活させてほしい。


で、のび太の月面探査記だけど、旧ドラファンとして「とてもよかった」。とても良すぎて、「これは逆にやりすぎではないか、自分たちがみたかったドラえもん映画だけれども新ドラの映画としてはまずいのではないか、あと、リスペクトが過ぎるのではないか」と不安になった。旧ドラへの目くばせが多すぎた。


のび太恒例の「もっと立派になったからジャイアンとスネ夫にみせよう」のセリフがでて、そういうところやぞ、それが原因でいつも大変なことになんねんぞ。また鼻でスパゲティくう羽目になるぞ、って思ったし、出木杉君の「う~ん、そうだったらロマンがあるんだけどね(でも実際は~)」発言がでて、そういうところやからいつも冒険に連れて行ってもらえないねんぞ、って思ったりした。出木杉君の靴下が黒いのが出木杉君らしかった。でも、この出木杉君のキャラ造形って旧ドラの出木杉くんなんだよな。


他にも、宇宙小戦争や鉄人兵団でみたシーンをリスペクトしたようなシーンが結構あり、また、久しぶりに、宇宙空間をワープする光景が見れたので(旧ドラでわくわくしたシーン)個人的に満足だったんだけれども、これ、本当にいいいの?って気持ちになった。例えるなら、「今日はカレー食べていいぞ、いくらでも食え」って言われたような……。
1000年っていうはったりの利かせ方も見事だったし、旧ドラ成分100%の中に、最後のルカの決断の今までのドラえもんになかった20%を付け加えてSFとしても、物語としても素晴らしい出来の120%の映画だったと思う。すごい良かった。よかったけど、これ、本当に、新ドラ映画でやっていいの?大山ドラじゃないの、このドラえもんとのび太たち…。
(全然関係ないけれども、ドラえもんの道具は冗長性がなさ過ぎてヤバイ。安全装置がなさすぎる。寝ぼけてバルスっていったら空中分解するラピュタみたいな道具が多すぎる)

新ドラと旧ドラは、実は、のび太やそのほかのキャラクターの解釈が決定的に違う。

新ドラが始まってからずいぶんと迷走の時期はあったのだけれども、時代に合わせて、のび太とドラえもんのキャラクターの設定というのはマッシュアップされていってる。旧ドラののび太っていうのは、全体的に能力の低い内向的な子、っていうキャラ造形だったのけれども、新ドラののび太って”コミュニケーション能力にステータスを全ブリしたコミュ強”として設定されていて、映画だとその特徴がとても顕著に出ている。


明確に映画にそれが現れるのが、「ひみつ道具博物館」からで、”誰とでもすぐ仲良くなれる””他人の懐にすぐ入っていける”というキャラクターが際立っている。そして、それに伴い、映画の基本骨子も旧ドラから変化しており、旧ドラの”冒険”は”知らない世界をめぐる”というものだったものが、新ドラでは、”登場人物たちの冒険”というものになった。フォーカスが世界から人間に。明確な変化がある。その明確な変換点、そして”フォーマットとして形になった”のが「ひみつ道具博物館」であり、自分の中で年々評価があがる不思議な作品だ。
最初に見た時には「なんだこれ、これはドラえもん映画じゃない」って思ったんですよ。冒険の場所も、取って作られた博物館という場所だし、そこで起こる事件もとてもミニマムなものだったから。でも、のび太を中心とした人間としての物語としてドラえもんをとらえなおしたときに、ひみつ道具博物館は、新ドラ映画として、どこまで旧作のフォーマットから外してよいか、というのと、新ドラ映画を作るうえで、最低限踏まえなければならないフォーマットとは何かを示した、ドラ映画の転換点になってるんですよ。


で、新ドラのコミュ強としてののび太の話なんですけれども。

ぼく、のび太。君は? から始まる新ドラ映画

映画のゲストキャラクターが出てきたとき、旧ドラでは、まず挨拶するのがドラえもんだったんですけれども、その役目が新ドラではのび太になってる。「ぼくのび太、きみは?」って笑顔で聞いて、そして相手のふところに入っていく。
これ、すごいんですよ。「南極カチコチ大冒険」では、ゾウのお化けみたいな意思疎通できなさそうな生き物(ほかのジャイアンたちは動き出したら一斉に退避してる)にたいしても「ぼくのび太、きみは?」をかましてる。新ドラののび太は、共感能力特化型の子どもとして描写されていて、だから、誰とでもすぐに仲良くなれる人物として書かれてる。まさに「人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことができる」人間として。で、それが物語を動かす動力となっていて、その動力をもとに物語を転がしていくのが新ドラの映画の構造のフォーマットになってる。のび太が(ある意味で)超常の力を持つヒーローとしてのヒーロー映画の構造をしている。(そういう意味で、「宝島」は新ドラ映画としてとても正しい)


で、月面探査記なんですけれども、とても、旧ドラなんですよ。のび太は確かに、共感能力の高い新ドラののび太なんですけれども、そののび太の行動が物語を動かす原動力になっていない、物語はものすごく緻密に作れらていて、それを動かすのは運命だったり、”普通のなんでもない子供たちが勇気を振り絞る”話であったりで、とても良いジュブナイルなんですが、そしてとても個人的には大好きなんですが、新ドラ映画のフォーマットからは外れているんじゃないか、ってよくわかんない不安に駆られたりした。まあ、たぶん、自分の見たいものが見たいママで出てきたのもので、逆にものすごく不安になってしまって、いろいろ考えすぎてしまっているだけだと思うんですが。


月面探査記、絵作りも本当にフィティッシュでよかった。エスパルの能力を発動させるときのポーズとかが全員違うのも、フィティッシュだなあ、って思った。キャラクターの造形のベースが80年代で、「ああ…好き…」ってなったんだけど、それも本当に「え?カレー食っていいのか?」案件だったのでとても不安になった。とても、いい映画だったんですよ。

月面探査記が「あ、これ旧ドラだ…」って思った最大の理由

そして物語の少しネタバレになりますけれども。新ドラと旧ドラのフォーマットの大きな違いとして、新ドラでは物語の決着に対して子どもたちが自力救済します。つまりデウスエクスマキナの排除というものがあります。


リメイクされた日本誕生は、最後ボタンをおしてタイムパトロールが助けてくれるラスト(のび太の役割はギガゾンビの基地を発見するところまででギガゾンビの捕縛はTPまかせ)から、のび太やククルが協力してギガゾンビの基地を破壊して、TPが来るのは決着がついてから、っていうように変更されました。旧ドラは、一部の例外を除いて、ほとんどがデウスエクスマキナタイプです。宇宙開拓史しかり、大魔境しかり、魔界大冒険しかり、宇宙小戦争しかり。
これは、さっき書いた、物語構造のフォーマットが”世界の描写”から”人間の描写”に変わったというのに関連していて(ただ、これには「Fの物語の在り方」としてデウスエクスマキナ問題もあるんだけどここではややこしくなるので書かない)だから、南極も、ひみつ道具博物館も、宝島も、自力救済、子どもたちが子どもたちの力だけで、物語の決着をつける、という形になっているんです。だけど「月面探査記」は物語構造が「デウスエクスマキナ」型なんです……。旧ドラなんですよ……。ああ…好き……。

というわけで、月面探査記、とても面白かったんですけれども

旧ドラだったんですよ……。旧ドラ好きだった人はぜひ見に行った方がいいですし、大山ドラからシームレスにドラえもん映画です。本当に……。






あと、どうでもいいですけれども、のび太の射撃ってFGOの宝具レベル。
「命中した」という未来の結果を観測してから「射撃する」という因果律を逆転させた能力なんじゃないかアレ。