orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

『エロい』というには語彙が足りない

『性的な感じを含む魅力がある』の表現

エロい
エッチい
色気がある
艶っぽい
スケベ

などありますけど、最近(というか昔から)性的な魅力がある、ということをいうのはあんまりよくない(相手がそういう売り方、自己アピールをしているとき以外)んですけど、そういう魅力があるということに対して、こう、言いたくなる時ありません?そして、その言葉を表す語彙を自分はうまく持てない(使えていない)感じがする

【かわいい】と【エッチ】の間にあるような、お互い処女と童貞どうして付き合い始めて、初めてセックスをしてから、1ヵ月目くらいの、お互いの自他境界が曖昧(自分も相手のことが好きだし相手も自分のことが好きだということに疑いが無い状態)で、常にくっつきたがってる状態、を表すような、そういう雰囲気の「エッチさ」を表す表現が無いし、そういう供給ないですよね。エロ漫画もそういうエロ漫画最近無いです。エロを求めている訳では無いんです。そういう感情を求めているんです。昭和初期の快楽天とかの雑誌にはあった気がします。


自分が以前書いていた、『【前略】大好き小池さん』に出てくる小池さんとヒロシ君などはそういう関係性だったような気がします。

思い返すと昔から自分はそういう関係性が好きだったのかもしれない。

好きなアーティストの楽曲からそういう『空気』を感じることが時々あるのですが、そういうことを明言するのって憚られる感じがしますよね。難しいです。本当の気持ちで感想を言おうとするとそういう表現を避けて通れなくなる。

『戦わないといけない時代』にウケる作品とはどういうものか

最近(コロナ、ウクライナ戦争、ガザ侵攻、そして先日のイラン侵攻)の社会情勢、そして、誰もが『戦う』ことから逃れられなくなっていると思う。
戦う、というのは、戦争をするということではなくて、『自分の立ち位置を決めて、そして、その場所で『なにか』を迎え撃つ、という姿勢が求められる』ということだ。
この間の高市早苗率いる自民党が大勝した選挙だって、そういう『戦い』のある選挙だった。

常に『問われる』

そういう時代に置いて、それ以前の『平和な時代』に作られてきた作品と、近年の作品は決定的に違いがあると思う。

高度経済成長から失われた20年目くらいまでの『平和な時代』に作られた作品は『問いかける作品』が多かった。お前はそれでいいのか、世界にはこういう問題がある、それに無関心で良いのか、考えろ、感じろ、目を開け、そういう問いかけをしてくる作品が多かったし、そういう作品が評価されてきたと思う。

じゃあ、今はどうかって言うと。

とにかく見たあと『楽しかった!!!!!!』って思えて、その後に何も残らなくって、楽しかった余韻だけが残る、そして明日からの『戦い』に備えた充電ができる。そんな作品が求められているし、作られるようになってくると思う。超かぐや姫とか結構そんな感じだと思うし。

バランスだ。

現実で、透明でない戦争をしているから、コンテンツは日常を忘れるものが求められる。逆に、平和だった時代は透明な戦争をしていたから、明確な敵(問題)を提示する作品が多かったのだろう。

これから増えてくる作品群は、多分、評価されない。評価、批評家、議論の的に上がるようなわかりやすいテーマ性が無いからだ。少なくとも、以前、平和な時代に使用されていた『作品分析ツール』は使えない。
ただ、そういう作品には意味があるし、決してそういう作品群は(評価の対象にならないからと言って)質の低い作品というわけではない。

釣りバカ日誌という映画がある。

それは『平和な時代』に置いて、『日常の労働や悲喜こもごも』という具体的なことと戦っていたサラリーマンを対象にした映画だ。明確に敵がいて、戦っていた人に向けて作られた映画だ。釣りバカ日誌には作品テーマが無い。(いや、あるんだけど、作品分析ツールで使われるようなテーマが無い)釣りバカ日誌は楽しい。そしてただ楽しいだけで、後には何も残らない。そういう映画だ。自分は大好きです。

で、これからはそういう映画(物語、コンテンツ)が必要とされているし、求められるようになると思う。

今は悪い時代だし、これからもっと悪くなっていく予感のようなものがある。
それを指摘して何とかしようぜ、っていうテーマの作品というのは必要だし見られるべきだと思うが、然し、もう、そういうコンテンツによる表現(現実から距離を置いた問題定義)よりも、直接、『戦う』ことの方が求められる、そういう時期に既に差し掛かっていると思う。できることは少ないが、できることを少しづつやってくしかない。

自分もできることをできるだけやっていこうと思う。

また、くだらない、カビの生えたような価値観を、こねくったような作品が作れるような時代が来ることを目指して。

ベタ、メタ、書く側から考えること

p-shirokuma.hatenadiary.com

返信のようなそうでないようなもの
そんなに長い文章でまとまった感じでかけないので、ちょっと思った事を箇条書きみたいな感じで
ベタとメタ、視聴側からだけではなく、創作側からでも、結構意識するところがあるので

ベタとメタざっくりと

  • ベタとメタ、要は作品との距離感
    • カメラがどれだけ物語自身にフォーカスしてるかという事
  • パロディ(オマージュ)を入れると『メタ』側に触れる(ジークアクスとかそう)
    • 分析とか、解釈とか、考察。そういう遊びができるのは『メタ』だから。読み筋、というものが提供される
    • が、真剣にパロディ(オマージュ)をやり過ぎると、ベタになっていく(初期のガイナックス作品など)
  • 今は、基本的に『メタ』的なつくりの話が強い。『メタ』の『読み筋の多さ』はネット(SNS)で語られるのと相性がいい、言及の多さがコンテンツの宣伝になるので
  • しかし、やっぱり強い物語は『ベタ』な作り。やっぱり売れてる作品は核の部分に『ベタ』がある
    • つい先日完結したfate grand orderは全体的に『メタ』な部分が多い作品だが、キメるところでは、『引用』を極力使わずに、それ自身の物語、『ベタ』で作り込んでいる

『ベタ』は作るのに体力がいる

  • 『ベタ』『王道』の物語はやっぱり強い
    • 本当にしっかりと『ベタ』『王道』で作られた作品は、『メタ的な読み方』を許してくれない
  • 藤田和日郎の作品とかすごいベタ
    • 聞くところによると登場人物の感情、表情、シンクロして描いているので、泣き顔とか怒ってる顔を書いてるときはずっとすごい顔になっているそう
  • ベタは結果として『王道』のストーリー展開になるが、『王道のストーリー展開をする事』がベタではない
    • 本当のベタとは、毎回『車輪の再発明』をするという事
    • 登場人物が悩んで、闘って、すべての力を尽くして、得るもの、失うもの、それをすべて出し尽くした先にある、結末を得ることがベタで、それが必然的に王道になる
    • なんで必然的に王道になるか、というと、人間がもともと持つ物語というもののアーキタイプの話になるのですごく長くなります。またいつか書きます。以前にもどこかで書いたような気もするけど……
    • だから本当に体力がいるし、なので、自分はメタとか逃げだと思ったりする。エヴァンゲリオン、お前のことだよ!

『メタ』も本気でやると、実はベタになっていく

  • 初期のガイナックス作品、お前のことだよ!
  • 本歌取り、という文化が日本には(そして世界にも)あってですね……
  • メタ、冷笑とか『冗談ですよ』みたいな視点がどこかにあるけれども、そういうものが『本気のメタ』にはない

ところで『メタ』が入ってない作品はしんどい

  • 見てる人間が体力がいる
  • どこかで、ニヤリとしたり、作品と距離を置く瞬間を入れた方が、見る方が体力無く、離脱率が逆に低いような気がする
  • すくなくとも、今の時代、そこら辺のことを考えるのは必要だと思う
  • そうね、上でかいたSNSとの相性の話もあるかもです

自分も『ベタ』で話が書けるようになりたい

  • はい、頑張ります
  • 結局、自分自身の話、自分自身が深くコミットしている問題や出来事に対しての話の話になっていくと思う、ベタにしてもメタにしても。そして、逃げを打たない、っていうのが深く作品を作るということに必要なんだろう

不可解参(想)にまつわる(私が)気持ち悪い話

感情、ログに残さないと忘れていってしまうからね。書かないでおいた方が良いことではあるのだけれども、これも、ログだからね、ということで当時思ったことを書きます

不可解参(想)とは何かというと、神椿からのカンザキイオリさんの卒業です
そして、『花譜(プロジェクトとしての花譜)』の方向性が大きく変わった瞬間でもあります
そして、花譜さんとカンザキさんが別の道を歩き始めたという事でもあります
14歳の多感な時期からずっと一緒にやってきた花譜さんがこの時は19歳でもう少女ではなくなった時期です(こういう書き方をするとすごく気持ち悪い)
自分が花譜さんに惹かれていた理由の大きな部分に、自分の中にずっと住んでる少年の問題があります
彼は、ずっと14歳のまま成長が出来なくて、ずっと世界と自分との齟齬を憎んで、世界とうまくやっていけなくて、理不尽に悩んで、怒って、叫んで、悲しんで、恋して、願って、希望をもって、絶望して、そういう存在でした(これは自分だけではなく、男の人の中にはずっとその少年が住んでいるのだと思う)
彼が、成長する花譜さんという存在に共感して、そして、掬って救ってもらって、だから、彼女のことがすごく大切になったのだと思います
(だって、花譜さんと出会うちょうどその頃、色々と所作に困っていた自分は、自分自身のためにその少年を殺すしかないと思っていたので)
だけれども、彼女は成長して、高校を卒業して、大学に入学して、大人になった
僕は置いていかれた
「花譜―っ!大人になるなーっ!俺を置いていくなーっ!!」(←すごく気持ち悪いことは自覚していますが、でも、感情のログだからね……)
いつも女の子の方が先に大人になって、少年の方は置いていかれるのが世の常ですが、それがすごくあった

そして、カンザキさんは、だから、神椿を(そして『花譜』)を卒業したんだと思います
実際あれを私は、卒業したというよりも『置いていかれた』という風に感じました
花譜ちゃんは大人になっていくのに、カンザキさんは彼の中の『少年』を捨てられなかった。彼の中の少年を見捨てて前に進むことが不誠実だと言った
去っていく、前に進む花譜ちゃんを見て、その背中を、最後に押す、振り返らないで進む花譜ちゃんの背中を
その歌が「春を発つ」で、この歌は、もう、何回聞いても泣けます。もうボロボロです(この歌から着想を得たお話があってプロットも組んだのですが、それはまた別の話、置いてかれる、老いて枯れる話です)

(で、それで、花譜さんを推すのをやめたかというとそんなことは無くて、やっぱり花譜さんのことが好きです、楽曲も声もそういうフィジカルなところも好きだし、何より、自分が本当にボロボロになっているときに救って下さった恩人なので……)


そんで、今回のライブ、Twitterで感想を漁っていて、次のような感想を見ました

かなた@tn4mdg1
花譜と同年代の観測者の一部は渋い顔をしていて、大人の観測者は良かったと言ってるのが今回のライブをよく示してる気がするな

私たちにとっては成長した彼女だけど、同年代にとっては一緒に歩んできた彼女なんだよな。22歳、普通に働いてる人もいる中でみてる目線はまた違うんだと思う

https://x.com/tn4mdg1/status/2028136948112732244

ないろん@nylon2434
我々はもう過去の自分と比較することしかできないけど同年代の方々は比較して、影響を受けて、さらには進む道まで選べるというのが本当に羨ましい

https://x.com/nylon2434/status/1217134745286369281

かなた@tn4mdg1
最近の花譜はアイドルを超えてクラブカルチャーに寄ってる。
音楽性がそれだし、TikTokで踊って楽しむ音楽性を志向してる。
古の観測者がターゲットから外れて落ちたように、今度は不可解からハマった観測者がターゲットから外れるターンがきてるだけだよ。カンザキイオリはもう神椿にいないんだから

https://x.com/tn4mdg1/status/1826555938024948104

ものがたりに出てくる登場人物を友人とするということのお話を少しします
何処かの誰かのブログか書籍かで、ドストエフスキーのものがたりに出てくる登場人物たちを、自分の友人にする人のエッセイを見ました
他にももっと下世話な方で言うと、エヴァのアスカを自分の人生の一部にしてしまった人も知っていますし、深く、深く、触れ合ったものがたりの登場人物というのは、その、触れ合った人の人生の一部になる
まず、これを事実として話しておきます

そして、花譜さんに深く触れた人たちは、花譜さんを友人にしたのだと思います
でも、物語の中に出てくる友人と違って、花譜さんは変わっていく、水がひとところに留まれないように、人もうつろい変わっていく
仲の良かった友人がいても、別の進路を選んで、疎遠になっていく事は、人生で普通にたくさんある事で、そして、花譜さんと同じように成長した同年代の人たちは同じ様に、ささやかな別れの時にいるのかもしれない(そしてそれは、もうその時期を過ぎてしまった自分からするととても羨ましい)

私は、私と言えば、14歳の少年はもう取り残されて、でも、花譜さんとの出会いと別れは覚えている。きっとそれを糧にして前に進める
そして、自分の本体の方は、花譜さんに背中を押されて、今日の生活を、明日の生活を、一日一日、頑張っていけます

ありがとう花譜さん、これからも応援していきます


(すごく気持ちの悪い文章だという自覚はあるが、それでも、こういう人間もいるというログは残していかないとならないとと、思って)(こういう感情のログって世界に残らないから……)











それと、全然関係ないんですが、毎回毎回ライブや新しい神椿の企画が始まる度に
『PIEDPIPER(プロデューサー)悪い大人だな~~~~~~!!!!!!』
って思う
(自分のこと笛吹き男って名乗る大人が良い人間のわけないだろ!)

大人には色々な冠詞があって

  • つまらない大人
  • 物分かりの悪い大人
  • 汚い大人
  • ずるい大人

などがありますが、大人になるってことは、大抵、ずるくなったり汚くなったり(それはそうすることが全体のために正しいからとかそういうちゃんとした理由がある、大人には守らないとならないものがたくさんあるんだ)するんですが、悪い大人はそんなことしない、ただ、面白いことを面白く、悪だくみをしながら仕込んでいって、人をわっと驚かすことに命を懸けてる(山師とか呼ばれる)
本当に悪い!悪い大人!

自分もそういう悪い大人である部分があって、見習わないとな!と強く今回も思いました!
面白き、ことのなき世を面白く!(この言葉がBIOに書いてある人間はつまらない、というネットミームが流行りましたが、そういうのこそつまらないと思う。面白くやっていこうぜ!)






閑話休題を挟んで、今回のライブのこと再び
今回のライブは本当に楽しかった!楽しい、後に何も残らない、ただ楽しいだけ残って、そして、明日から頑張れるということを重視したような構成だったと思う。ライブが終わっても3日寝込んだりしない!
誰かの何かになって、そして、誰かの何かであることが終わった後、残った自分自身と、私と、あなたで、どうやって新しく関係性を作っていくのかの『正解』を見せてもらったような気がしました
ふたつくらい前のブログ記事で自分が「だれかのなにか」だった時の話をかいて、そして、その次にどうなるかを失敗した話を描いたのですが、こういう正解があったのだな、というのを見せてもらった気がしました

そういう意味でも良かった、これからもずっと友人でいて下さい!

『誰か』の『何か』になるということ

内向きの話。ちょっとしたメモ


モノをつくる人、物語を作ったり、歌を歌ったり、作曲をしたりする人は恐らく、みんな『誰かの何かになる』と夢を持っていると思う。
ゴールデンカムイでも贋作師・熊岸長庵が「観たものの人生をガラッと変えてしまうような本物の作品を作りたい」と言っていたように、自分の創作物が、誰かの人生に対して、何らかの支えになったり、夢になったり、絶望になったり、願いになったり、呪いになったり。そんな風に『誰かの何か』になりたい、という願いは、創作や表現をしている人間はみんな持っていると思う。自分も持ってる。自分の書いたもので誰かの人生を変えたい

……ですが、よく考えると、実は、もうやってしまっていた
ご存じの方はいると思うのですが、『となりの801ちゃん』という漫画をかつて描いていまして、これは自分の人生(と自分の周りの人生)をかえた作品なのですが、これによって、多くの人の人生が変わってしまった、変えてしまった作品でもあって、小さな社会現象にもなったのです、今ではすっかりその変わったライフスタイルというものが一般化して、ゾルトラーク化されて忘れられてしまったのですが、確かに時代の節目にいて、ベンチマークになっていたのです。これは客観的にそうでした、今から考えると

で、自分はそれから、降りてしまった。自分の器量が小さかったのもありますし、上手くそれを理解することができなかった。人の心が分からないもので……。演じることができなかったし、演じることができなかったのが逆に良かったのかもしれないですが、責任(?)から逃げたみたいな気持ちがどこかにあります

あと、アイコンになったのは自分ではなくて、当時の彼女(現嫁)でしたし、それの人生を大きく変えてしまった、という、そういう責任もあります(ただし、本人、人間としてかなり面白いので、自分がそういうことをしていなくても、どこか別のところでこんなことになっていたと思う、それは間違いないし、なので、あまり責任は感じていません……むしろ自分が巻き込まれたまである)

規模は違うのですけれども、それが、少し、花譜さんとカンザキイオリさんと、PIEDPIPERさんとタブるのですよ。規模も何も全然違いますけれども。人の人生を巻き込んで、801ちゃんというアバターを着せて(自分はチベくんというアバターを着て)本人だけれども本人じゃない、でも、本当のことだっていう、この不思議な感覚。そして、誰かの何かになるということ、そういうので少しシンパシーを感じているのかもしれない

そして、『誰か』の『何か』になった後の、何か、をし続けることに対して。自分はそれから降りてしまって、本当に、申し訳ない。人の思いを受け続けることに対して、怖くなったのかもしれません。自覚は無かったのですが、そうかもしれない。別の申し訳ないの気持ちは妻に対してあるのですが、でも、自分は人間を頑張っているのでちょっと許して欲しい。自分はご存知の通り、人間に向いていないのです、表皮だけの存在だったので。それに中身を入れてくれたのは妻(と家族)ですが、それに対しては感謝の気持ちとなんかちょっと別の気持ちもありますが、それはまた別の話です

話がそれた……(?)まあ、とりとめもなく。とりとめもない日記なので


これからのこと、これから、まだ、また『誰かの何かに』

やっぱり今も、モノを書いているので、『誰かの何かになりたい』という気持ちはあります。モノを作り続ける限りそれはある。それは、誰かの作ったものを受けて、それを自分の中の何かにしてきたことを誰かに返したいという気持ちから来てるのだと思って、だから、なんかすげえもんを見たりすると、その気持ちは(モノを作りたいという気持ち)は強くなります

それがどんなものになるかは分からなくて
ただ、人生に関係なく、それを読んだ人間が『ああ、面白かった!』って思ってもらうだけのただ楽しいものを作りたいとも思うし
自分の感じてる社会や世界の問題を同じように知って欲しい、というものを作りたいという気持ちもあるし
自分の感じてきた人生のカケラ、その時の感情を、同じように知って欲しい、という風にも思う
自分が知らないものを、知って、その広がっていく世界を一緒に見て欲しいという気持ちもある

でも、時々、生活につかれて、『もういいや…他の誰かが同じようなものを作ってるし、それで十分でしょ……』って思うことも、まあ、あります

でも、今日は、昨日、とても良いものを見て、『ああ!自分も作りたい!』という気持ちがとても高まっていて、だから、今日は(当分は)すごく頑張ろう!色々作りたい!という気持ちがあふれてる
そういう気持ちを日記みたいにここに書きました


もう駄目だ、って思った時に見返そう


自分へ。もう駄目だって思った時は、花譜さんのライブブルーレイを見て下さい