orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

メンタルが弱ったときに脱出するための方法

指と脳を動かすために落書きなどをしている

落書きなどをしている。
ここ数日、気候の変動が大きくてすっかりメンタルがダメになってしまっていたので、何とか立て直すために落書きをしたりなどして指を動かしている。何とかなりそうなので、これからネームをしたり清書をしたりする。

orangestar.hatenadiary.jp
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ここらへんのも、その調整のための絵や文章です。何か吐き出して出力していくうちに整っていく、そんな感じがある。ダメな時もあるけれども。一昨日それで一回ちゃんと整ったんだけど気候がまたおかしくなって調子が悪くなってしまった。なのでこんな感じでまた出力してる。




本当に調子が悪い時はそういうことをしても駄目なのだけれども。

チラシの裏やローカルのメモ帳に書けばいいけれども、でも、それではだめなのだ

inujin.hatenablog.com

言いたいことや弱音やなんかそのほか零れ落ちる感情というものがあって、それは零れ落ちるままにしておくと日常に支障が出てきたりするので、どこかで書き留めたりして整理する必要がある。出力しておいておく必要がある。
それを前提として、じゃあ、それはチラシの裏や、パソコンのローカルフォルダのメモ帳に書き留めておくのではダメなのか。答えとしてはダメだった。少なくとも自分の場合は。何処かに吐き出さないとダメだった。なんというか、王様の耳はロバの耳のように、どこか吐き捨てるその感情をいくらでも捨てられる場所が必要なのだと思う。愚痴や悩みを吐き出す場所。昔の人はそういうのをキャバクラとかで、女の子に対して吐き出していたのだと思う。わからないけれども、今のパパ活をしている人たちの中にもそういう人たちはいるんじゃないかな、感情労働だ。大変だ。
それはさておき(ちょっと話があちこちに飛ぶ。特にオチとか考えず思いつくままにタイプしているのでこんなことになる)とにかく、インターネットというのは自分の意見を表明する場所というだけでなくそういう風に悩みを吐き捨てる場所としても存在しているし存在していいのだと思う。
もっとも、今は(多分昔もそうだったけれども)そういうことが難しい。(id:inujin)さんが言っているみたいに、SNSやブログで自分の感情を吐き出すのが難しくなってる(といっても最近の話じゃなくてここ10年くらいの話だし、それは今も加速している)。インターネットが公共の空間になって久しい。チンコ丸出しであるくにはちょっと難しくなってる。その難しさは媒体の開放度、ソーシャル(社会具合)に拠っていて、だからSNSの方がブログよりも難しいしそして、disordのようなクローズドなところでさえ、ソーシャルであるのでチンコを出して踊るのは難しい。
でも、逆に。
今、一番チンコを出して踊りやすいのはブログなのではないだろうかって思う時がある。(さっきはやりにくさをSNSとdiscordの間に置いたけれどもそれは忘れて)
discordのように直接知人が見ているわけではないし(見てても見て見ぬふりをしてくれるかもしれないし)拡散される度合いがSNSに比べて小さい。(というか本当にブログは見られなくなっている)
あと、今このブログははてなブックマークからシャドウバンされているのではてブに捕捉されて炎上する可能性もない。よかったよかった。
そういう訳で、ここ最近はこのブログを色々なものの吐き捨てる先に使っている。



あと。
そもそも論として、完全な匿名であ太r敷くブログなりをすればいいという意見もあると思う。もっともだ。でもそういうことじゃないんだよな。
実際にそういうこともしてたりはしたんだけれども、匿名である自分は自分ではなくて(小島アジコというのも自分ではない匿名だけれども、ずっとこの名前と存在で、そして小島アジコとして思考して行動して出力してるのでそれはもう自分自身のようなものだ)なんか他人のようで、うまく自分の問題を語れない。出力しても自分ではないような気がしてうまく発散できない。
そういうことがあって、自分が自分のまま、色々なことを出力できる場所として、このブログがあったりします。



なんか、いぬじんさんの記事への返信という感じではなくなってしまった。まあ、こんな感じでブログを描いています。ここにいます。



www.du-soleil.com


池田仮名さんが、ブログで感想を書いてくれたら喜びますグループに参加しておられて、だから、少し、ここで書いてみる。
思えば、池田仮名さんに直接言及(言及?)するのはこれが初めてのような気がする。お互いはてな村(?)に属していて、お互いにおそらく認識していて、同じようにはてなの未来を憂いて(?)いた仲間だと思っていたのだけれども、そうしていた時期からもう5年くらいが立ち、お互いに住む村も飲む水も変わってしまったような、そんな感じがある。

はてなブックマークのそのインターフェイスとしての不具合について書かれていて、もう何度目だという気もしないでもないけれども、一向に改善されない(嘘、少しずつは改善されてる)ので、何度も話題に出るのは仕方ない。もめごとと不快感を呼ぶことの多い仕組みになっていると思う。はてなのホッテントリに上がると、何も知らない、文脈を読まない、むしろタイトルしか呼ばない人間がやってきてどうでもいいコメントをつけていく。まあ、これはTwitterでバズった時も同じだけれども。(それでも、リツイート的な行為とコメントがくっついてるはてなブックマークという仕組みの方がPVに比較してコメントが飛んでくる割合が大きい)このブログがはてなブックマークからシャドウバンされて、PVが物凄く下がって、それでも、すごく快適になった。こういう風にどうでもいい話とか、ちょっと自分の考えとか書けるようになったし。気楽に。楽しくインターネット。


ところで。池田仮名さんがこのサイトのこの記事を読まれているかわからないのですが。私信。

www.du-soleil.com

この記事とてもよかったです。
このとっちらかったエントリーでだらだらと書いていることがすごく綺麗にまとめられている。

まあ、あれだ。それでも自分の言葉でいうことにはそれなりの意味があるのでさ。
それでは。

何も思いつかん(デスゲームは思いついた)

何も思いつかんので文章を書く。外は雨が降っている。1時間くらい。何も書くことがないわけではない。アイデアはあるけれども、それを描くエネルギーがない。こないだ、自分が必死で頑張って描いたものをコテンパンにされて、それから出力が無茶苦茶下がっている。


この一連のコレ。
『お前は間違ってる、お前は間違ってるが俺の言うことを聞かない。だから殴る。殴らないとお前はいうことを聞かないから俺のやってることは正しい』
っていうのはやっぱり間違ってると思うんですよ。それすると相手が委縮するし、その相手の顔色ばっかり窺うようになって、その相手がいいと思うものを作ることが最優先になる。それで詰まんなくなったね、お前。昔はもっと自分で考えて色々してたのに、とか言ってくるのは本当に、なんていうか。本人にその自覚があるのかしらん。ただ、言ってることは正しいところもあるので、ある程度いうことを耳にするけれども、それ以外は捨てていくようにしないとダメだろうなと思う。実際今、自分はそれに完全にやられていて、新しいことが思いつかないし、今までやっていたことや今やってることが間違ってるんじゃないか、これはどこにも繋がってないんだろうな、という気持ちになって何も出来ないでいる。まあそういうのは、こう、気分なので、何とかしていかないといけない。なんかいつもそう。疲れるしメンタルも結構ダメになる。というわけで、そこら辺を何とかするためにいま文章を書いてます。
今、カクヨムで『デスゲーム小説コンテスト』というものをやっていて。
kakuyomu.jp
応募するわけではないけれども、何となくデスゲームについて考えてみた。それが、この間のブログ記事なのだけれども。
デスゲーム、やりつくされているけれども結局ヒットするのは、メタを取ったものではなくベタなものの方がヒットしている(当社観測所観測)これは、やっぱりみんなラーメンを食べたくてラーメンが出てくると嬉しいっていうことなんだと思う。ゾンビ映画と同じだ。どれだけ、そのジャンルを愛して、精度を上げられるかがデスゲームものの面白さに直結すると思うので、そこらへんがない自分にはデスゲームを創ったり考えたりするのは時間の無駄なんだろう。やりたいと思っても、時間と労力の無駄だからするべきではない。ああ、駄目だ、こういう考え方がダメだ。先の人の影響下にある。楽しいと思う、思えそうなことをやっていかないといけない。自分はその先にしか何かはないと思っていて、でも、それは間違いだといわれる。つらい。堂々めぐりだ、あまり考えないようにする。
そう、デスゲーム。自分はそこまでデスゲームを愛していないので、どうしてもメタなネタを考えてしまう。例えば、こんな話。

デスゲームは暇と金を持て余した金持ちたちが貧乏人があがくさまを面白がって見るものだけれども、それでも退屈を持て余した金持ちたちが今度は自分たちがデスゲームに参加することに。スポーツは見てるよりもする方が楽しいのだ。埼玉政財界人チャリティ歌謡祭のようにそれぞれの会社の社長会長を応援する社員たち。それぞれの参加者はそれぞれの会社の技術にものを言わせて、彼らの身体を改造している。製薬会社の会長は無限再生する不死身の肉体を、クレーン会社の社長は体にクレーンを、製鉄会社の社長は体から2000℃の溶けた鉄を噴射する機能を。それぞれ特殊能力を身に着けた社長会長が、時に協力し、陥れながら最後の一人になるまでデスゲームを勝ち残る。その合間合間にそれぞれの社長たちの立身出世物語が入って、人生が語られる。

こういう話を考えたりしたのだけれども、多分誰かやってるし、誰かやってて、まあ、誰かやっても耳に入ってこないっていうことは詰まんないんだろう。


ずっとどこかに行きたいと思ってて、でも、どうせどこにも行けやしない、と思ってたら、結局どこにも行けなかったね。っていう話。