orangestarの雑記

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インターネットとグレーゾーンの時間と空間

 毎日何か、なんでもいいので文章を書いていこうと思っていた。
 矢先にこんな感じになってしまって本当に書きにくい。
 何かに導かれるようにしてはてな同窓会が始まってしまった。
 昔も何回か村祭りはあったけれども、村祭りというよりも、同窓会。いや、同窓会というよりは、法事で親戚一同が集まって、昔はああだった、あそこのところの子供はもうこんなに大きくなった、大学へ行ったらしい、結婚して娘ができたらしい、今どこどこで働いているらしい、っていう話をしているような感じ。

 みんな年を取って、それぞれの人生があって、たぶん昔はある程度同じように同じ時間を過ごしていたのだろうけれども、それぞれの生活の中で、色々な経験を積んでいく中で、当時の過ごした経験の意味も変わってきて、当時のはてな村での生活の意味もそれぞれの人で別のものになっているのだろうと思う。

 村の話がまだ、続いているので、ちょっと思ったことを書く。

インターネットとグレーゾーンの時間と空間。

 かつて、インターネットがパソコン通信だった時代、そしてインターネット黎明時代。インターネットというのがアジールであった時代があったと思う。世間の”普通”や”常識”や”ルール”から離れた自由な場所として。
 インターネットが広がり、一般社会になっていく中でそこはどうにも小さくなっていったと思う。テキストサイトニコニコ動画はてな村
 アジールというのはちょっと言いすぎなので、モラトリアムと言い換えてもいい。ちゃんとした社会と、それ以前の場所。実社会へ出るまでの準備運動をする場所。練習場所。
 モラトリアムとかアジール、そういうふう名前で例えて呼ばれる、グレーゾーンで既存の法や常識やルールが及ばず、なんかそういう存在。そういう存在は確かにあった。
 はてな村が消えた、屋根まで飛んで壊れて消えた。まあ、一つのコミュニティーがなくなってしまうのはよくあることなので、それ自身は問題ではない。けれども、はてな以外の、そういうモラトリアム空間や時間というのもあまりないような気がする。時代を経るごとに減っていった。それはインターネットにも、リアル社会にも。
 例えば、性にまつわる話。18歳になるまで、性にまつわることは見ることも実行することもタブーとされて、18歳になった途端に自己決定でやりなさいと言われる。建前は昔からそうだったのだけれども、昔はグレーゾーンみたいなのが結構あった。今は、なんていうか、グレーゾーンが真っ黒になってしまって、”許されざる”になってしまってる感じがある。他にも子供から大人、学生から社会人になる間の曖昧なモラトリアム期間というのは、どんどん少なくなってしまっているように感じる。80年代は土管のあった空き地だったものが90年代には公園になり、その公園も今は遊具が撤去されボール遊びが禁止されているように。
 そういうのをなんか自分は、生きづらいな、って思うし、息がしにくい、閉塞してるな、と思う。
 

逃げ場。にも、社会の目が入る。

 『議論が深まったろう』で結局何も変わらないことが多いインターネットの議論の中で、数少ないよかったことのひとつに『戦うより逃げろ』というのがある。
 そして、今は、インターネットでも、リアル世界でも、いくらでも探せば、ほかのコミュニティを見つけることができる。趣味でも、なんでも。(みつからない場合もたくさんあるけれども)
 ただ、今、その逃げた先も、既存の法と常識の世界で、なんていうか、社会に適応を求められるしんどさっていうのがずっとついて回ってる感じがする。とりあえずコミュニケーションをとらないとどうにもならないところが、ある。
 それで今の若い人たちがかわいそうとかそういうこともなくて、まあ、それなりに適応していくのだろうと思う。自分たちよりも上の世代が、学生寮で鍋をつつきながら革命の話をしたみたいに、自由な”社会と隔絶した空間と時間”を持っていたみたいに、時代や社会が先に進み、健康で文化的になるにつれてなくなっていくものなんだろうと思う。いいとか悪いとかではなくてそういうものなんだろうと思う。ちょっと寂しいけれども。

 
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