orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

大人になればなるほど、大人になるっていうことがわからない。

アラフォーなんですが。大人になるということがわかりません。歳をとる度にどんどんわからなくなる。

10代のころは大人になるっていうのは『詰まらなくなること』だと思ってた。楽しいことがなくて、自分のしないといけないこと所謂仕事とか責任とか言われているものを担々とこなしていかないといけない生き物だと思ってた。ゲームとか漫画を読んだり、物語の中に没入したり空想の中を泳いだり、そういうことをしなくなるのが大人だと思っていた。耐えて我慢して、自分を殺して生きていくのが大人だと思っていた。(これは専業主婦をしていた母の影響が大きいのだと思う)

20代のころ。もう自分が年齢的には大人になっていて、そんな自分が思っていたのは、仕事をちゃんとこなすこと。周りと協調し、利害を調整し、一番いいように自分と周りをコントロールすることだと思ってた。言い方を替えれば社会の歯車になること。そしてそれなりにうまく歯車をやって行けていたと思う。力を受けて、それを適切な相手にトルクを変えて伝える。交換可能になるように適切にリストと資料を整理して議事録を残す。まあ、途中で調整しきれない周りの状況(ダブルバインド)で、潰れて鬱になって人生の長期休暇に入ってしまったのだけれども。

30代になって思ったのは、ちゃんと大人をしてる人間はちゃんと人生を楽しんでいるということ。仕事の合間に趣味に走る人間もいれば、ワーカホリックになって仕事を楽しむ人。大人っていうのは、自分で自分の舵取りをすることができる生き物のことなのと思った。周りの環境でそれができない人もいるけれどもそれでも、自分の裁量を確保して何とかやってくっていうのが大人なんだと思うようになった。大人というのは、見方によっては子供よりも自由だ。大人で輝いてる人間は子供よりも自我を通して、そして、子供と違って自分のしたいことを実現していった。大人になってからの10数年の蓄積で力があるからだ。それが、ちゃんと大人をやるってことなんだな、と思っていた。ここらへん、自分はうまく大人をやれてなかったと思う。生活と人生を回すために自分の楽しいこととかを削除していってどんどん空っぽになっていったのが自分の30代だった。

40代になって、大人になるっていうことがわからなくなった。いや、自分が年齢的には大人以外の何物でもないものだっていうことはわかるし、大人としてやることはやってると思うけれども。でも大人って何かがわからない。能力でいうなら年齢を問わず10代でもやることをやれる人間はいる。経験値なら年長者の方が大きいけれども、例えば全然別の分野に移動したりしたときは、それはリセットされてしまう。人生何があるかわからないから、ある程度歳をとってから別ジャンルに移動しないといけないことも多々ある。色々と自分の中で飲み込んで、正しい判断ができるのが大人だとも思うけれども、じゃあ、正しい判断ってなんだ、とも思う。結局それも経験からしか得られないし、それは時代が変わり価値観が変わると意味がなくなってしまったり、害悪である可能性する。だから今は価値観のアップデートが叫ばれているのだけれども、じゃあ、同時アップデートされた価値観でこの世界が回っていくのなら、大人とか子供とか、そういうのって関係なくなるんじゃないか。結局、歳をとる、ということ以外で、大人を定義できないんじゃないか。いや、そんなことはない、っていうことはわかる。でも、じゃあどうなんだ、立派な大人、理想的な大人になるってどういう風になることなんだ。そういうことを考えなくなることが大人なのか?どうなんだ。


さて、ここで、お待ちかね、論語を張っていきますね。ここまで読む間に論語を頭の中で思い描いた人間、手を上げてください。

子曰(のたま)わく、
吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳従(したが)う、
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。

翻って自分です。
40ですが惑ってる。
基礎もできてないし(立ってない)『耳従(したが)う』と『心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず』を世間から強いられる日々です。
でも、最近、ちょっとやりたいことや好きなことが見つかってきた。『学を志す』にはもう結構な年なのだけれども、そして大人気ないかもしれないけれども、自分のしたいことをしたいようにやってみてもいいのかもしれないと思うようになった。それが正しい大人のふるまいなのかはわからないけれども、わからないんだから、自分の欲するようにやっていこうと思う。