orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

駄目だ駄目だ(体のこと/窓ぎわのトットちゃん/花譜、怪歌)

12月の末からメンタルが悪くって、で、最近メンタル悪いのは治ったのだけれども、作業をやるための回路が死んでしまっていて、どうやって物語を作ったrい文章を書いたり絵を描いたりしていたのか思い出せなくなった。後、だるい。休みすぎてダルダル休み癖がついてしまった。何かをやるのにも「さあやるぞ!」となるまでに時間がかかってしまう。これはよくない。よくないので、まず、一番簡単な文章勘から治そうと思ってだらだらと思いつくままに文章を書いていこうと思います。日常のよしなしごと。

体のこと

ちょっと不調が続いている。
一昨年の12月に椎間板嚢胞を発症した。椎間板嚢胞というのは椎間板に嚢胞ができる病気です。椎間板ヘルニアと症状が似ていて、とにかく足が痛くてたまらなくなる。治療方法も椎間板ヘルニアと同じで、自然治癒するのを痛み駄目を飲みながら待つしかない。待った。1年待って、去年の12月に一応嚢胞も痛みもなくなって、治った。
と思ってたら、1月になってからちょくちょく痛むようになってきた。なんだろう。辛いです。そこまで痛くなくって我慢できる痛みだけれども、とにかく、不快なのが続く。
あと、腎臓が悪い。
健康診断で腎臓を検査も受けたのだけれども、腎臓の数値が無茶苦茶悪くて、腎不全一歩手前みたいな数字が出た。
そして総合病院に行って検査を受けた。尿に糖もたんぱくも出てなくて、夜に尿に起きることもない、エコーも取ったけれども腎臓に異常はない。ただ、数値だけが無茶苦茶悪くて、3ヵ月後にまた様子を観ましょうということになった。メンタルの方で、腎臓にあんまりよくない薬を飲んでいるのでそれが原因の薬剤性の腎炎ではないでしょうか。ということ。今度メンタルクリニックに行ったときに相談してその薬を減らせないかどうか相談してみる予定。ただ、10年以上飲んでいる薬で、それで何とか人間生活を送れているので、他の薬に変えたときにうまくやっていけるか心配。

映画「窓ぎわのトットちゃん」

観に行った。とてもよかった。

p-shirokuma.hatenadiary.com

ここに、自分の感じたことの50%位が言語化されていたので、もう感想を書かないでもいいか…と思っていたのだけれども、少しかく。
発達障害の話、戦争の話、そういう風にこの映画は分析することができるし、そのように作られてもいる。でも、そういうのを一回脇に置いて、この映画の普遍的なテーマについて考えてみる。そういうのを除いても、この映画はとても素晴らしいものだ。
これは、「子供時代の終わり」の話で、「子供の時に見えていた世界が見えなくなるまでの話(そして大人の見てる世界を見るようになる話)」だ。

『アクアリウム』(須藤真澄/作)という漫画がある。

これは自分の人生のなかのとても大切な本で、もし興味があるのなら何とかして手に入れて読んで欲しいくらいの本です。
この漫画の中の主人公の牛島杢子は他の全ての子供がそうであるように、水の中の世界(あの世、幽世、常世、魂の世界と呼ばれているようなそういうもう一つの世界、人が来て帰っていく世界)を見ることができる。でも、殆どすべての子供はその世界を大人になっていくしたがって見えなくなっていく。(それをこの漫画では『目が固まる』と表現している)。そして、その世界が見えていたことも忘れてしまう。(主人公の牛島杢子は変な風に目が固まってその水の中の世界が大きくなっても見えるままなのだけれども(それでもゆっくりと見えなくなっていく))
『窓ぎわのトットちゃん』を見たとき、自分はこの『アクアリウム』と「目が固まる」ということを思い出した。子供だけが見ることが、感じることができる世界。肉体のリズムとその中にあふれてる命。
「九つまでは神のうち」、という言葉がある。子供が死に安かった時代、9つまでは人間ではないので、死んでも、また、元の世界に帰っていくだけで(だからそんなに悲しいことではないよ)という言葉なのだけれども、そういう言葉も思い出した。子供は死にやすくて、だから、死(幽世)ととても近い存在なのだ。
泰明ちゃんのお葬式の時、トットちゃんが「大きくなったらまた会えるよね、その時(足)直ってるといいね」ていうシーンがある。この時までは、死、というものが、子供たちにとって絶対境界線ではなく、行き来できる場所であるということを示している。そして、その直後、トットちゃんは、その境界が越えたら戻ることができないものだということを悟り、そして、今まで見えなかった大人の世界(境界のこちら側)の世界をはっきりと見ることになる。(目が固まる)
そういう、子ども時代の終わり、「目が固まる」までの物語だと、僕はこの映画を見たときに思った。
最後、チンドン屋さんの幻影を電車から見たときに、トットちゃんは、窓の外側に行かずに、扉を閉める。子供時代の終わり、自分より小さい保護者としての自覚をもって生きてくという、そういうことを表している。
泰明ちゃんのシーンの後、お父さんがいなくなって飼っていた犬もいなくなったのだが、そのシーンはあっけなく過ぎてしまう。もう、トットちゃんにとって、世界は固く可塑性のないものとして認識されてしまっているからだ。
いちいち絵が素晴らしく、歴史に残る映画だと思った。
戦争の話も特に否定的に書いてないんですよね、あの映画。ただ、取り巻く世界の変化として描いている
指の間から水がこぼれていくような、櫛の歯が抜けていくような、世界を作っているものがボロボロと溢れていく(そして世界とはそういうものだ)として描かれている。

花譜さんのライブに行ってきた。1月14日、代々木決戦

本当に良かった。
でも、これ、本当にいいの?ライブってこんなので?と思った。
自分はライブに行ったことがほとんどなくて、人生で花譜さんのライブにしか行ったことがないので、他のライブとの比較はできないのだけれども、ライブってただただ、楽しくなるものではないのかな?聞いてるライブとはそういうものなのだけども……。
花譜さんのライブは、花譜さんと観測者(花譜さんのファンのことをこういう言い方をします)の真剣勝負というか、お互いがお互いの覚悟を試されるというか、情緒を無茶苦茶にしていくというか、花譜さんという少女の人生自身をすごい圧力で見せつけてきて、そして、それに対して、観測者の人生自身を問いかけてくる、そういう風なライブでした。これ、普通なの?
花譜さんのライブは、いつも、花譜さんの成長への覚悟のようなものをいつも見せつけられる。それに対していつも思うのは

「花譜ーっ!俺を置いていくなーっ!ひとりで大人になるなーっ!」

いえ、自分の半分よりも年下の女の子なんですが、成長への覚悟とか決意とか、そういうのものを見せつけられるとすごいショックを受けますね。こんなに何もできずに自分はなんで大人になってしまったんだろう、と、強く思わされます。そして花譜さんが頑張っているから、自分も、自分自身の人生に対して真剣に生きよう、頑張ろうって思わされます。花譜さんはすごい。みんなも花譜さんの曲を聴いてください。


www.youtube.com


とりあえず今日はこれくらいで。大体40分くらいで3000文字。