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「書きたいことが無くなった」ではなく「考えたくないことが増えた」

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最近はそれすらしていない気がする

 10年前、20年前に比べて更新の頻度が下がった。極端に下がった。昔は湯水のように書くこと、考えることがあって、毎日のように更新していたのに、最近はそういうことがとても難しい。一言でいうと「歳をとった」ということなのだと思う。
 歳をとるということは複合的な要因で成り立っている。発現の仕方も人によってさまざまだ。年齢を重ねて、出力の質と制度が上がる人もいれば、変節して、昔の面影をなくす人もいる。とりあえず自分は昔のようにはいかなくなった。

 ブログを更新してない。理由は、書きたいことが無くなったからだと思ってたけれども、ちょっと掘り下げてみると、書きたいことが無くなったというよりも、考えたくないことが増えた、というのが、より正確だと思った。とにかく、歳をとって、経験や知識を積んで、自分にできることできないこと、人間の集団(社会)にできることできないこと、難しいこと、やったけど結局できなかったこと、結局最後は破綻することが、より正確に見えるようになってきた。
 今も昔も、あちこちに問題はある、いろいろある。自分にだったり社会にだったり。昔はその問題について“考えるべきだ”と思って、いろいろと思索をしたり文章を書いたりしていた。そして今も同じように、世界は問題や考えるべきことで溢れてる。溢れてるけれども、その殆どがどうしようもないことだっていうことも、わかってしまった。
 動かないものをどうにか動かそうとすると、疲れる。とても徒労感がある。ただ、考えるだけでも、ちょっと絶望的な気持ちになる。昔は、それでも、その絶望感をバネ的な何かにして頑張れたのだろうけれども、歳をとってしまって、ちょっと、もう、そういうのしんどいですね、となってしまった。心の体力が無くなってしまって、ちょっとした徒労感とか絶望感で動けなくなる。体力がなくて。とにかく、体力もない。
 とにかく、自分の半径2mにかかわる部分に体力を注ぎ込むのに精いっぱいで、自分に関係ないことで、心を使うことが本当にしんどくなってしまったのだと思う。世の中の殆どのことは自分にどうこうできることではないし。
 
 あと。
 上から偉そうに、これはコレコレこういう社会現象ですね、これが原因で、これをこうすれば解決するでしょう、みたいなことは、もう恥ずかしくて言えなくなってしまった。
 それがそうであるにはいろいろな理由があるし、そこでそういう状態になってしまっていたり、そういう選択を選んでしまう人には、そうならざるを得ない理由がある。みんな自分の精いっぱいを、瞬間瞬間を必死に生きた結果、そうなってしまって、それを、上から正しい間違ってるというのは恥ずかしいことだと思う。思うようになってしまった。
 もし、そういう人なり現象なり状態なり社会なりに何かできるとするなら、それは、ブログでブロブロいうことではなく、実際その人や状態に接して、丁寧に解きほぐすみたいに時間をかけてやることだけだ。そして、それをする体力も時間も自分にはないのだ。「生きるのが辛い、世界が憎い」というブログやツイートがあれば、昔は、「生きるのは辛くない、世界は美しい」とか「その辛いのはシステムのせいだ」とかいうブログや文章が溢れて、そして自分もそんな文章を書いていたけれども、それは、正しくはなかったのだ。本当に必要だったのは、すべきことだったのは、その「生きるのが辛い」と言っている人と友達になって、電話で話をすることだったのだと思う。今でも、必要なのはそれなのだろうけれども、でも、自分には、そんな余力はもうなくて。あと、そもそも、その人にとって自分は求められてないという問題もある。どうこうできる力がない。自分にはそれをするだけの能力がなかったりしたのだ。無為無為。無力。それもどうしようもないことで、やっぱり「考えたくないことが増えた」になってしまう。

 それでも考えなきゃいけないことや、その他大勢の人の一人として、理解しないといけないことは、たくさんあって、そういうのは、「考えたくないことが増えた」で、思考停止してたらダメなんだよな、ってのも事実なので。

 時間と体力の隙間をみて、出力と入力はなんとかやっていかないとな、って思う。