orangestarの雑記

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何も思いつかん(デスゲームは思いついた)

何も思いつかんので文章を書く。外は雨が降っている。1時間くらい。何も書くことがないわけではない。アイデアはあるけれども、それを描くエネルギーがない。こないだ、自分が必死で頑張って描いたものをコテンパンにされて、それから出力が無茶苦茶下がっている。


この一連のコレ。
『お前は間違ってる、お前は間違ってるが俺の言うことを聞かない。だから殴る。殴らないとお前はいうことを聞かないから俺のやってることは正しい』
っていうのはやっぱり間違ってると思うんですよ。それすると相手が委縮するし、その相手の顔色ばっかり窺うようになって、その相手がいいと思うものを作ることが最優先になる。それで詰まんなくなったね、お前。昔はもっと自分で考えて色々してたのに、とか言ってくるのは本当に、なんていうか。本人にその自覚があるのかしらん。ただ、言ってることは正しいところもあるので、ある程度いうことを耳にするけれども、それ以外は捨てていくようにしないとダメだろうなと思う。実際今、自分はそれに完全にやられていて、新しいことが思いつかないし、今までやっていたことや今やってることが間違ってるんじゃないか、これはどこにも繋がってないんだろうな、という気持ちになって何も出来ないでいる。まあそういうのは、こう、気分なので、何とかしていかないといけない。なんかいつもそう。疲れるしメンタルも結構ダメになる。というわけで、そこら辺を何とかするためにいま文章を書いてます。
今、カクヨムで『デスゲーム小説コンテスト』というものをやっていて。
kakuyomu.jp
応募するわけではないけれども、何となくデスゲームについて考えてみた。それが、この間のブログ記事なのだけれども。
デスゲーム、やりつくされているけれども結局ヒットするのは、メタを取ったものではなくベタなものの方がヒットしている(当社観測所観測)これは、やっぱりみんなラーメンを食べたくてラーメンが出てくると嬉しいっていうことなんだと思う。ゾンビ映画と同じだ。どれだけ、そのジャンルを愛して、精度を上げられるかがデスゲームものの面白さに直結すると思うので、そこらへんがない自分にはデスゲームを創ったり考えたりするのは時間の無駄なんだろう。やりたいと思っても、時間と労力の無駄だからするべきではない。ああ、駄目だ、こういう考え方がダメだ。先の人の影響下にある。楽しいと思う、思えそうなことをやっていかないといけない。自分はその先にしか何かはないと思っていて、でも、それは間違いだといわれる。つらい。堂々めぐりだ、あまり考えないようにする。
そう、デスゲーム。自分はそこまでデスゲームを愛していないので、どうしてもメタなネタを考えてしまう。例えば、こんな話。

デスゲームは暇と金を持て余した金持ちたちが貧乏人があがくさまを面白がって見るものだけれども、それでも退屈を持て余した金持ちたちが今度は自分たちがデスゲームに参加することに。スポーツは見てるよりもする方が楽しいのだ。埼玉政財界人チャリティ歌謡祭のようにそれぞれの会社の社長会長を応援する社員たち。それぞれの参加者はそれぞれの会社の技術にものを言わせて、彼らの身体を改造している。製薬会社の会長は無限再生する不死身の肉体を、クレーン会社の社長は体にクレーンを、製鉄会社の社長は体から2000℃の溶けた鉄を噴射する機能を。それぞれ特殊能力を身に着けた社長会長が、時に協力し、陥れながら最後の一人になるまでデスゲームを勝ち残る。その合間合間にそれぞれの社長たちの立身出世物語が入って、人生が語られる。

こういう話を考えたりしたのだけれども、多分誰かやってるし、誰かやってて、まあ、誰かやっても耳に入ってこないっていうことは詰まんないんだろう。


ずっとどこかに行きたいと思ってて、でも、どうせどこにも行けやしない、と思ってたら、結局どこにも行けなかったね。っていう話。