よくある、経験と表現にまつわる話について。
「経験したことの方がリアリティがあっていいものが書ける」
「経験していないことを書くと、リアリティがなくてよくない」
(「じゃあ、ミステリ作家はみんな殺人をしてるのかよ」)
から進んで
「経験していないことを書くべきではない」
「当事者以外が、その問題について書くべきではない」
まで。
(たぶん後者の先に、「LGBTQに設定されたキャラクターは、LGBTQ以外の人間が演じるべきではない」があるのだろうけれども)
この理屈、理屈として通っているように見えるけれども、どん詰まりだと思っている。
なぜなら
「経験しているからこそ書けないことがある」
「当事者だからこそ、語りえないことがある」
という現実があり、
「経験していない人が、調べて、想像して、やっと表に出る表現、作品というものが存在する」
ということも十分にあるからだ。
戦争に行って人を殺してしまった、とか
ひどい虐待にあって人生がおかしくなってしまった、とか
逆に、虐待をしてしまい、それをずっと後悔している、とか
本人の中で、ひどい傷になっていて、その深さは、その人にしかわかりえないもので、それを語る『資格』ということになれば、確かにその人たちにしかその資格はないのかもしれないけれども、その傷の深さゆえに、それは容易に語りえないことになっていて。
そういう出来事を語る物語を、それをちゃんと調べて、想像して描かれる、当事者でない人の書いた物語に、その当事者の人の傷が癒される、ということだって、ある。(もちろんその逆もあるだろうけれども)
どんな物語だって語られていいし、経験がなくても、その物事をテーマにした物語を語ってもいいし、想像力の届く限り、どんな世界について手を伸ばしてもいい。と思ってる。取材、調査、資料集めは必要だし、いろいろと配慮は必要ではあるけれども。