orangestarの雑記

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スポーツ嫌いの子供を失くすためにするべきたったひとつのこと

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での、続きのこと。というか、もう少し自分の考えてることをちゃんと。



スポーツ庁の考えている“スポーツ”“スポーツを通じで伝えたいこと”っていうのはどういうことなのか

「1億総スポーツ社会を実現」 基本計画を答申 :日本経済新聞

こちらの、「一億総スポーツ社会」の基本計画からは、推測することしかできないけれども、(というか一億総スポーツという響きから何となく伝わってしまうような気もするけれども)


プール授業 飛び込みの是非 スポーツ庁長官・鈴木大地氏は全面禁止に難色「もやしっ子が育つ」(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

こちらの記事には、スポーツ庁が(スポーツ庁長官が)どのようにスポーツに対して考えているのかが、ある程度明確に書かれている。
1mという危険なプール深さでの飛び込み(プロの選手でさえ怖くてできないという浅さ)での指導について

飛び込みという行為は楽しみでもある。飛び込みを思い切りできる環境や指導者の資質整備が大事。1mのプールでも飛び込みの練習はできる。指導法が問題で、質の高い教員を採用することが大切。スタート台からは技術を要するので、最初は水面に近いところから段差がない形で飛び込みをする。なんでもかんでも危険だからと全面禁止し、もやしっ子を育てあげていくのはどうかなと思う。

ということを言っている。

この文章から読み取れること。

1、もやしっ子=悪としている

2、危険を考慮し、安全を重視するという事は“もやしっ子をそだてる”

3、飛び込みは楽しい



また、「飛び込みを思い切りできる環境や指導者の資質整備が大事。」と書いておきながら、その次の文章が「1mのプールでも飛び込みの練習はできる。」と書いており(1mのプールではそもそも危険)、ちょっとした絶望感がある。


まあ、こういう風な感覚の人間が、スポーツ庁の長官であり、また、スポーツの振興というものは大体このような感覚で行われているのだなあ、というような暗澹たる気持ちになる。どうにも、スポーツというものを、


1、運動できる人間が偉い

2、スポーツ(体育)というのは運動ができない人間を、運動ができる人間に鍛え上げるためにある

3、スポーツは楽しい


というようにとらえているようだ。



また、そこまでの意図はないのだろうけれども、“(自分や周りの人間の)危険を考慮せず、安全を重視しないで、「飛び込みは楽しいので」飛び込みをするタイプの人間”というのは、いわゆる世間で言われている“悪い体育会系の人間”で、コンプライアンスを重視せず、勝機を観たら躊躇せずに突っ込んでいける人間であり、(まあ、往々にしてそのような人間の方が社会的に成功するのだけれども)(周りの人間を燃やし尽くしながら)なんというか、それがいいか悪いかは別として、ここらへんのマインドというものはゆるやかにつながっているんだなあと思う。

ハンディキャップを付ければ、みんなで楽しく競技できる

こういう風に、もやしっ子をネガティブなものとしてとらえていると、どうやっても運動ができない子、基礎的な能力が低い子というものが、学校のスポーツの場からは排除されてしまう。
だけれど、こういう状況をたった一手で改善する方法がある。
それは、学校でのスポーツの授業での試合の時間や球技大会にハンディキャップを導入すること。
パラリンピックの競技では、選手のハンディの度合いによって、それぞれハンディキャップがつけられていて、それで、障害の度合いに違いがあっても、同じように協議に参加して、楽しむことができるようになってる。
車いすバスケでも、

一度にコート上でプレイできる選手に関しては障害の程度に応じてクラス分けされ、障害が最も軽度ならば4.5、重度ならば1.0のポイントが与えられている。コート上の5人の選手のポイントは合計で14.0を超えてはならない。この制度は、重度の障害を持つ選手が競技への参加を妨げられないようにすることを狙いとしている。クラスの目安として
1.0 - 腹筋・背筋の機能が無く、座位バランスが著しく悪い。
2.0 - 腹筋・背筋の機能が残っているため、わずかに前傾姿勢などがとれる。
3.0 - 下肢に筋力の残存があり、すばやく上体移動ができる。
4.0 - 主に切断など。体幹の側屈運動ができる。
それぞれのクラスで上位の運動能力のある選手には0.5ポイント加算される(最大4.5)。3.0以上の選手はハイポインター、2.5以下の選手はローポインターとも呼ばれる。 人工関節などの軽度障害者にも参加資格が与えられている。また日本国外などでは、健常者もクラス5.0として参加が許されている地域もあり、多くの人に門戸を開いている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E3%81%84%E3%81%99%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

というように、ゲームバランスを取っている。


また、小さいとき、子ども同士でゲームをしているときに、体力が無かったり、足が遅かったする子が一緒に遊べるよう特別ルールを入れたりしたことがあったとおもう。その子がポイントしたときだけ点数が3倍とかいうルールを作ったりとか。
全員が全員で楽しめるように色々な工夫をしてた。
それは、勝負で優劣をつけることが目的でなく、“みんなで楽しむこと”が目的だからだ。


ハンディの付け方を生徒自身で考えることによって得られる真のコミュニケーション能力

学校でのハンディの付け方は色々と考慮の必要がある。
でも自分は、ハンディをどのようにつけるかということは、生徒たちに考えさせるというのが一番いいと思う。全員で楽しむために、どのように配慮して、誰が何をできるのかを考えるという事は、“体育会系的協調性”“体育会系コミュ力”ではなく、真の協調性、コミュニケーション能力をはぐくむことができると思うからだ。
だれが、何をできて、何をできなくて、そのためにはどういうルールを作ればいいのか、それに対して試行錯誤するという事ができるようになるという事は、財産だと思う。




スポーツの目的を“もやしっこを減らす”ではなく、“みんなで楽しむこと”にすれば、本当にそれだけでスポーツ嫌いの子どもを減らすことができると思うのだけれども。



遊びと人間 (講談社学術文庫)

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つーかんじで今うちの4歳児。

来年度から年中さんなので幼稚園内の選択でお習い事ができるようになったんですけれども、英語や絵画、音楽もあるのによりによって体操を選ぼうとしていて。
4歳児の中の自己イメージの運動をしている自分と実際の自分がすごいかけ離れていて(実際は全然できていないけれども、自分はぐるぐる前回り回れていると思っているとか)まあ、でも楽しくやっているのでそれを伸ばしてあげたいという気持ちと、体操教室で、運動ができないという事に気付いてへし折れてしまわないかという過保護な気持ちがある。
あと彼自身の身体能力としては、持久力がものすごくあるので(6時間くらい平気で歩き続ける)(ヒトかよ)(ジャバリパーク脳)、ここでスポーツへの苦手意識を持ってしまったらもったいない。マットや鉄棒だけがスポーツじゃない。
自分と嫁の遺伝子をしょっているので運動は苦手村だと思うんだけれども、ただ、スポーツとか、みんなでワイワイするのは楽しい子どもに育ってほしいなと。
なんとかならないものかなあ。




追記

これは決して子供の可能性を親が決めるとかの意図はなく、得意なことを伸ばすことと、苦手なものを克服するの、どちらが子供にとって向いているのかを親がどこまで提示できるかという悩みです