orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

AIの未来って詰まんなかったな、って話。

結局こんな感じで昔から想像されてたありふれた未来に落ち着きそう。

機械が俺たちの充実した仕事を奪う件

学生の頃、飲食店のバイトで楽しかったのって提供の時のお客さんの反応とか嬉しそうなのとか見える部分が大きかったので、たのしい部分をロボが担ってバッシングだけを人間がやってるのを見ると、こう、やりがいみたいなの持ちづらくなるな〜って思っちゃった

これ以外にもさんざん言われてる
「絵は自分たちで描くので確定申告とか公共料金の手続きとか請求書描いたりとかAIにはしてほしい」
というのもあり。
結局なんかめんどくさい仕事は人間がやって(まあある程度はやってくれそうではあるが、しかし責任を取る部分では人間がしないとならないのでめんどくさいことには変わりない)楽しくて充実する仕事は機械に奪われそうな雰囲気はすごいある。ざっくりというと承認欲求や社会的欲求と呼ばれるものも含めて。

AIが人間に置き換わらない仕事は責任を取る仕事だと思ってたけれども違うみたい。

責任を取る仕事、保証とかではなく切腹、刑罰などの、感情的な責任含む。
前は、AIっていうのはあくまでも道具で、決断は人間がしないといけない、というようなことから責任を取る部分は人間に残された部分だと思ってけれども、でも、そうでもないっぽい。一人一台AIを所有するようになると、その所有者が責任をとるので、責任を取る以上AIに全ての判断を丸投げできる。

自動販売機社会との相性の良さ

自動販売機社会と、色んなものが自動化されていく現代社会。多分(id:p_shirokuma)先生あたりが言っていたのだと思うんだけども、現代はそういう風に進んでいる。で、色んな人が阻害されている。どういう人が、どういう理由で阻害されているのか。
めんどくさい客、自動販売機に対応できない客が今までなんとかなっていたのは店員に『責任を丸投げ』していたから。
自動販売機で判断できない、決断できないことを人間の店員が決定してくれる。厳密をやると店員はそんな責任取れないからしないが、そこは、なあなあでやってきてた。これがいいですよ最高です、って売れ残り売ったりしてた。
ひとりひとつAIを持つようになると、そのAIが判断する分には(その場合責任を取るのは自分なわけだが)問題ないので、どんな提案もできる。そして、本人が任せるならどんな外の自動販売機とのコミュニケーションもAIがやってくれる。
「なんか暑いので冷たいのが食べたい」『じゃあ富士そばに行きましょう』「来たけど何が食べたいかわかんない。適当に選んで(自動販売機以前ではここで店員に話して人間との対話が発生してた)」『適当に冷やした抜きそばを選びました』「なんか違うんだよなあ」『すいません』
お母さんか、ドラえもんが常に同伴してくれてる状態で、自動販売機社会で疎外される人が(疎外されてるわけだけど)疎外されない。

人間に残された、残されるべき、感情を使う仕事

結局、最後に残る人間の仕事は感情しかないのではないか。と思っていた。
誰かのサンドバックになる仕事。誰かの暴力の対象になることで支払われる対価。売買春もその一つだし、コールセンターの給料の中にその感情労働も含まれてる…と思う。そういう、『この怒りを人間を殴ってすっきりしたい』という明確な悪意から『寂しいから人間に慰めてほしい』という一方的な好意ややさしさの要求まで。
だけれども、

誰かを肯定するという仕事は、まず間違いなくAIに取って代わられる。
感情/配慮とは有限の『資源』だ。だが人間はそれを認めたがらない。認めないことによって心の優位性を保っているから。
配慮されずとも配慮を捻出できるAIは、感情という資源をたくさん使う現場にこそ、実用性があると思う。
配慮をたくさん消費する現場というのは教育、介護、そして風営接客だと思う。

と、SF作家の人間六度先生がおっしゃっていて。
なるほど、今の予測される未来からはそちらの方がありえそうな未来だと思った。
人が、AIに人格を見ることができるのなら、名前を付けてパーソナリティを見つけることができるのなら、その彼、彼女からの承認や褒めは本物になるだろうと思う。
惜しみない愛を全員に注ぐ。AIはまるで神様みたいだが、しかし、愛というものは選別するから愛であるのであって、無批判に全員に向けられる愛は愛ではないのではないか、と思うが、多分、未来のAIは個々が独立して対象とそれ以外を分別してくれるようになると思う。技術的には簡単だし。

先の段落と合わせると、AIは『楽しい仕事』を人間から奪い、それによって社会的欲求や自己実現欲求を奪った後、無批判の承認欲求を与えるというマッチポンプを行う!

AI技術と、機械が俺たちの仕事を奪うことと、高福祉社会と、差別のない社会、資本の再分配が上手くマリアージュしながら進まないと地獄しかない

まあ、これは説明するまでもないけれども。
19世紀から比べて、物理機械(コンテナ、重機)が進歩し、概念機械(計算機、コンピュータ、インターネット)も格段に進化したけれども、私たちの労働時間は減ってないし、むしろ増えていさえする。なんでかわかんないけど。本当になんでなの?わからん。誰か説明して。消費が加速して今まで家庭で済ましていた李諦めていたものを外注できるようになったから?寝るまも惜しんでネットフリックスをみているけれども、其れだってそういうことをするのにどれだけの人的資源が使われているか考えたことある?考えてもよくわかんないけど結構な人的資源が使われてるんじゃないかな。コンビニだって24時間空いてるし。そういうところに人的資源って使われてるのかしら。
まあ、そんなこんなで労働強化。

で、AIがこの先世界を支配するようになった時、どうなるかわからない。

こないだまで想像されていた地獄みたいな未来予想に、発達障害やそれ以外の理由で社会に適応できなかった人間を『障碍者』とみなして、最低自給以下の賃金で雇用するというものがあったのだけれども、AI社会において阻害される人間というもの、また、役に立たないとみなされる人間は、今までと全く違ってくるはずだ。
今までの社会で求められていたものは。つまり資本家に求められていたものは、少数の牧羊犬と大多数の羊だった。しかし、今この言葉の意味を改めて思うのは、『羊』というのは何も考えないという意味ではなくて、羊として考え、羊として行動する個体、という意味だったのだと思う。AI以後は、羊としての考えも不要になって、…なんだろう、どうなる?あんまり考えたくないな。



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