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自分にとって、ブログというものは、王さまの耳はロバの耳と叫ぶための穴のようなもの+α


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考えをブログに書く行為と、自分だけの日記帳に書く行為を、使い分ければいいじゃない - シロクマの屑籠

を読んで。

王さまの穴はロバの穴

自分は友だちがいないので、*1仕事の中で溜まった愚痴ですとか、日常の中やニュースや創作物でちょっと気になったこと、または、なにか気になっているけれども、それが何か分からないでモヤモヤしていること、そういうのを発散できる場所というのが、必要で。そしてそれは完全な匿名ではなく、自分と紐ついている必要がどうしてもあって。「自分の話を、自分を知っている相手に話す」という行為。そういう行為とそういう時間が、だれにも、どれくらいか必要なのだと思う。自分はリアル友人とそれをするのが苦手だったり、また、ちょっと時間をつくってというのが出来なかったりするので、たぶん、こんな感じに。はてな村には、こういう感じで、自分の考えとか気持ちとかをかくと、球を打ち返してくれる優しいバーチャル友人もたくさんいますし。
自分の考えたり感じたり、そういうことを、自分のことを知っている人が見てくれているという安心感。リアルが充実している人間には分からないと思いますが、そういう感覚もあるんですよ。
くねくねしたいし、くねくねする為にブログをやってる気がする。人間、くねくね出来る、安心できる巣のような場所を求めていて。自分にとってはこのブログだし、このブログをとりまく色々な物の気が。


+α 考えを“整理”する為にかくということ

後は、書いてるうちに自分の考えとか、何を考えているのか感情を整理するときに、文章を書いたりします。ローカルな環境だと、なかなかそこまで行かない事でも、オープンにする、という前提で書いた途端、急に整理がつく事も結構あって。
以前よんだ岡田斗司夫さんの本には、岡田斗司夫さんは、誰かと話をして、一方的に話しているうちに自分の考えがまとまっていくし、自分はそうやって思考をするタイプなのだと言っていました。また、手塚治虫のブッダでも、雨の中迷ってきた人に説教をしていて、悟りに到達するシーンが(自分の記憶が確かならば)あって、そういう風に、誰かに話す、ということで整理される思考というものもあると思う。ブログにかく場合は壁打ちですが。

日本語、言語でものを考えない人たち。 - orangestarの日記

で、書いたこと。ブクマなどみると、自分が言いたいことを多分、全然伝えられていないのですが、思考というのは脳内にあるときは線形ではなく、例えばある程度の関連性のあるA,Bという事象があるとして(“A”の結果“B”)ではなく、AもBもそれぞれ並列に存在しており、関連性は他の要素との相関で成り立っていて、そういうものを曖昧な状態のまま、逆に言えばある程度“現実にあるがまま”の状態に近い形で認識をしていて、それを、“人と話す”なり“文章にする”ことによって、線形の、数珠つなぎのような関連性を持った状態として認識が出来て、意味のある、因果関係の成立する世界観の中に落としこめることができる。それが、文章で書いたり人と話したりすると思考が整理される、ということなんじゃないかな、と思います。そして、その取りこぼされる比較的“現実にあるがまま”に近い部分というのは、結構、大切なものであることも多いですけれども、時間とともに忘れられていくものなので。


では今日はこの辺で。

*1:実際はいますけれども、自分は口で話すのが苦手て、どうしても面と向かって話しているとその“きいてほしいこと”自身が煙のようにどこかへ行ってしまう