※いじめについて、いじめられている人間の今おかれている状況に対する個人的な対応の仕方について、色々な方がアドバイスをしていて、ソレについて、思うことを書くんですが、でも、以下に書くことは、今、既に、その現場から遠く離れた自分が描いていい事ではなくて、だから、2002年ごろの、まだ、20代前半の自分が書いた物として読んで下さい。
いじめられている人へのアドバイスとして、
朝日新聞デジタル:いじめられている君へ - 教育や
茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第646回「学校に行かないという、権利もあるんだよ。苦しかったら行くな」 - Togetter
のように、「逃げろ!」というアドバイスがある。確かに、「いじめに負けるな!」とか「みんな君の味方だ!その耐えた経験は君の力になる!」とか「それをバネにして頑張れ!見返してやると発奮するんだ!」とかに比べたらマシだけど、しかし実際は飢えて死にそうな子供に、
「パンがなければお菓子を食べればいいです、食べ物はいくらでもあります」
といってるみたいなもんだ。無理。実際逃げるの無理。
どれくらい無理かを説明する
逃げる、といっても、中学生、高校生にそんなに逃げる為の手段なんてない。
ひとりで生活する手段はないし、家出をしても、結局連れ戻される。都心部だったらゲーセンとか、いくらか逃げ場はあるけれども、田舎だと(田舎ゲーセンは逃げ場でない)もう本当にどうしようもない。
まず、不登校をするにしても転校をするにしても、最初に、親に事情を説明するところから始めないといけない。(というかどうやったも親を経由しない逃げる手段がない)自分がイジメにあっていて、具体的にどういう被害があるかという話。でも、これがとても難しくて、自分の自尊心や親に心配を掛けたくないというのもあるけれどもそれよりも、
親は、自分の子供が苛めてるというのと同様に、自分の子供が苛められているというのを理解したくない。
というのがある。
子供から、そういう相談をされたとき、
「うちの子が苛められているなんて信じられない」
「うちの子が苛められるような子のはずがない*1」
「うちの子の勘違いじゃないか、ちょっと大げさに言ってるんじゃないか」
と思う。そして、その場で、その子供の言ってることを否定してしまうと、アウト。完全詰み。子供は、最後の逃げ場として両親を頼るわけなので、そこに否定されると完全に逃げ場がなくなります。
また、そこで苛めの事実を親が認識しても、親が
「苛めで逃げたりするのは負けだ」
という意識の持ち主だと、子供に「負けるな!やり返してやれ!」といってまた詰み。
上記のようなことがあるので、親がどういうタイプの人間で、どういうことを考えてるかに関わらず(実際は、逃げろ逃げろ転校しろ気にすんな!というタイプの人間で、苛め事件とかのニュースを見るたびにそういう発言をしている人間だとしても)、子供は苛められている事実を親には相談できない。
親が実際にどういうリアクションを取るかは相談してみるときまでわからない。そして、相談によって返ってきた返事の何分の1かの確率で即死確定するカードを人は裏返せない。
だから親には相談できないし、逃げることも出来ない。
また、親の説得、というハードミッションが成功したとしても、その後の道が今の日本には全然ない。頑張って通信で大検とって大学にいっても就職のときに
「中学高校が空欄になってますがこの期間なにをしていましたか」
「はい!苛めにあってひきこもりをしておりました!」
という人間を会社はとらない。
鴻上さんは
http://www.asahi.com/edu/ijime/kougami.html
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
って書いてあるけれども、
それでは将軍様!その屏風から南の島を出してください!!
鴻上さんは演劇人で、演劇が、“南の島”足りうることは知ってる。でも、南の島にいて、「ぼくは南の島で生き延びた人を見ました」といってる言葉の裏には、南の島までたどり着けなくておぼれ死んだ人がたくさんいる。
南の島なんて地図の上にしかない。
あと、死ぬ気になれば何でもできるという人がいるけれども、世の中には死ぬよりもおそろしいことがたくさんある。死んだほうがマシなことが多くって、でも死なないのは自分が死んで困る人や悲しい人がいいるからだ。だから、苛められっこに死ぬことを禁じる!とかいうのは本当に厚顔無恥というか、ひどい。死ぬ人は、それでも耐えられなくなって死ぬ。親の為に、とか家族の為に、なんとか生きてみようかなと思って生きてる。だから、上でいったみたいに、その相手から否定されると、死ぬより辛いのよりも更に辛い。
だから死ぬ人は、一人で削れながらゆっくりと死んでいく。
そして、苛めている人間は苛め対象を人間としてみてない。ダイオウグソクムシくらいにしか思ってない。
ダイオウグソクムシ - Wikipedia
キモイし、何で学校に来てるのかわかんないし、積極的にいじめてる人間は害虫駆除をしてるだけのつもりなので、むしろいいことをしてる気持ちだし、もし、そのダイオウグソクムシが自殺して死んで、遺書とかで名指しされたときも、「何で自分があんなクソムシのせいでこんな目にあわないといけないんだよ」って被害者の気持ちにしかならない、絶対に反省なんかしない。貴方は庭先でダンゴムシを踏んで罪の意識を感じるか?
だから苛められている人間は、逃げられないし、戦うことも出来ないし、話し合うこともできずに、心身を削り取られながら、へばりついて生きていくしかない。そこを前提に話をする。南の島にはいけないけど、家の裏に穴を掘ってそこにこもる方法を、僕はいくつか知ってる。
痛みに耐える為に。削られても死なない為に。
痛みに耐える為の方法のひとつに
"これは私の身体じゃない"
というのがあります。
どうにも耐えられない苦痛が身体や精神を襲ったとき、
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の精神じゃない”
と心の中でつぶやいてください。そして感覚を自分の体を丁度斜め上から俯瞰する位置にある、とイメージして、全体を見渡すようにしてください。ファイトクラブでエドワード・ノートンがディカプリオに拷問されるときにやっていたのに近いです。慣れてくると、大概の痛みには耐えられるようになります。
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
殴られているとき、耐え難い屈辱を味合わされているとき、これをつぶやいてください、自分の感覚を自分の外側にだして、逃がしてください。
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”
“これは自分の身体じゃない”。
“コレ”をする場合、自分の意識を逃す、“本当の自分”を心のどこかに作っておく必要があります。逃げ場です。いじめ問題で“お逃げなさい!”といわれるような恒久的な逃げ場ではなく、防空壕的なところ。“本当の自分”の置き場。いくつか自分の知ってる例や知人の例から具体的な例をいくつか挙げていきます。
- 雑誌の投稿コーナーやラジオの常連。
- 自分の場合は、月刊PCエンジンという雑誌の投稿コーナーでした。上位ランカーでした。今だったらtwitterのネタついったらーとかでもいいのかもしれません。
- ゲームセンターなど
- 都心部に限りますが(そして今は分かりませんが)ゲームセンターが他に行き場のない人間のたまり場になってるときがあったらしいです、多分今もなんかそういうとこあるんじゃ。
- ブログなどをはじめてみる
- はてなダイアリーとかで、いままでの人生とか今どうおもってるのかとか整理して書いていくと共感してくれる人やフォロアーも得ることが出来ると思います。
- マンガを描く、小説を書く。
- うまく発表の場さえ得ることが出来たらそこで評価を得られるかもしれません。
ただ、ひとつ注意して、絶対に気をつけて欲しいのが、上の行動を絶対にリアルの人間に知られないこと。知られると、仮の自分と本当の自分が繋がってしまい、「これは私の身体じゃない」が効かなくなります。
以上の方法を使って、3年間〜6年間耐えてください。社会人と違って、(田舎は別だけど)学校の苛めは学校内だけなので。(田舎在住の人は頑張って東京に出てきてください、とりあえず出てきたら何とかなります)“耐えてください” 本当にそれしかいえません。それが、リアルで知り合いでない自分に掛けれる精一杯の言葉です。
……上の防空壕よりも深い穴に“妄想の世界を『作り込んで』そこの住人になる”というのがあります。妄想のなかの世界が“本当”でこちらが“偽”。今この世界は、自分が見ている夢で、本当の自分は眼が覚めると別の場所にいる、という世界です。
ヘンリーダーガーという人がいます。
- 作者: ジョン・M.マグレガー,John M. MacGregor,小出由紀子
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彼は、彼自身の孤独と彼をさいなむ世界から、彼と彼自身の内面を守る為に、誰に見せる為でもない、彼自身*2の物語を80歳で死ぬまで書き続けました。彼が死ぬ直前まで、その物語の存在を誰も知らなかったそうです。
自分を守る為に、自分の内面の世界を作り込んで。そういう方法もあります。
それは別に架空の世界でなくてもいいし、ラノベみたいなハーレム世界でもいいし、自分と同じようにさいなまれている女の子がいる世界*3でもいいです。適当なマンガから世界観をかりてきて構築してもいいし、とりあえず何でもいいです。
要は、現実と真正面から向き合わないこと。それは現実じゃない。
(し、本当の意味でも現実じゃないです、閉鎖系の中でだけ成り立つ現象なので閉鎖系から出た場合は別の物理法則で世界が動き出します)
最後にいくつか参考になる本をあげていきます。
- 作者: ジョン・M.マグレガー,John M. MacGregor,小出由紀子
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- 作者: 大槻ケンヂ,江口寿史
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- 発売日: 1999/07/12
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- 作者: 木城ゆきと
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傷物の赤
あと、いろいろ残ってるときに書きました。
……多分、まともな大人はこういう“逃げ方”の話をしないです。というのは、こういう逃げ方は、生きながら死ぬのを(現実を生きない)のを勧めてるのと同じだから。でも、寝たり冬眠したり、“かたくなる”というのは生存戦略として必要。だと思う……。わからん、答えなんて出ない。少なくとも自分はそうやって生きてて今生きてるし、でもソレが良かったのかもやっぱりよくわかんない。普通の閾値内にいる人にはやっぱり「死ぬことが救いになる」ということがあることが想像もつかないらしいという事実の前に、ちょっとだけ絶望する。
自分の頃はネットも携帯もなかったから、殻の中に引きこもってマンガ読んだりゲームしたり小説読んだり*4してた。その頃に自分で作り出した自分のなかの世界の風景は、今、自分が作ってるものの原風景として時々顔をだしたりする、し、物事を考えるとき、想像力を補ってくれる部分になってる。ひとりで苛めと戦うことになる場合、「外部からの悪意から身を守る」というのと、「孤独と仲良くする」という両方が必要になるけれども、ネットと携帯のない頃の自分は、そこらへんが今現役で問題と取り組んでる人間と比べると、恵まれていたと思う。多分いまは、悪意も、孤独も、桁違いになってる気がする。
ただ、ネットと携帯は、逃げる、と決めたときに結構遠くまで逃がしてくれるツールだと思うので、えーと、はてなでダイアリはじめようぜ!
あと、追い詰められるのを避けるためのもうひとつの手段として、悪意の最終処理業者から中間処理業者にランクアップ、苛められる側から苛める側へ!(更に下を作る)というのもあるし、実際あった。だけどあー……。……責められんよなあ……。
※14:30追記
twitterなどで結構肯定的に拡散されているのですが、実際コレ(この逃避方法)はマジ良くないので、死ぬかどうかという本当に、本当にどうしようもない時にだけこの手法をとって下さい。あんまり“これは自分の身体じゃない”で感覚を遮断してると、問題が終わった後もずっと(数年から数十年)うまく言葉に出来ない“現実感のなさ”に苦しめられる事になる。(解離というらしいです)どんな状態かというと、顔がふやけたアンパンマンみたいな状態がずっと続く。マジお薦めできないです。
追記2(7月9日)
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20120709/1341803206
追記記事のようなものを書きました。
あとディカプリオじゃなくてブラッドピットでした。すいませんでした。