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思考メモ、資本主義の悪魔と傷物の悪魔の相互作用について

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というような漫画を描いたのですが、描いた後でこれは、そんなに単純な話じゃないぞと思ったので
「交換不可能」と「交換可能」を行き来することによって近代、そして近代以前の社会が形作れれてると考えると、『社会システムがどのような力学で動いているか』を説明できるのでは?という霊感がちょっと出た。

交換可能なものを交換不可能にすることと、交換不可能なものを交換可能にすることは、今も、相互に起こっている

  • 丁度水の平衡状態のように、いろいろなものが交換可能になり、交換不可能になっている。
  • このふたりの悪魔は、どちらかが強いというわけではなくお互いがお互いを補完しながら、社会を形作っている。
  • 今まで、『資本主義化』だと思っていたものは、実は、『傷物化』であった、あったのだ。交換可能なものに交換不可能(付加価値)をつける。そして、それがまた『交換可能』なものに変換される(陳腐化)を繰り返し、そして、そのたびに『物の価値の総和』は膨れ上がっていく。
  • 人権のもともとの『自由権』は資本主義を形作るうえでもっとも重要な権利で、それに伴う『人権(福祉)』も資本主義が作動不能にならないために必要なオイルのような役割を果たしている。
  • 実は、人権は再発見されたものではないのか?5000年前の『組織化されたダンパー数を超えた社会』以前の社会では、人権(交換不可能な個々人としての人間)は存在していたのでは?
    • それが、ダンパー数を超え、物語(概念)で世界をとらえるようになった結果、人権が消失して、『原始資本主義社会』が終わり、封建制度が始まったのでは?
    • 原始的な部族は、『交換』によって、社会が成り立っていた、貨幣、の概念があった。

交換可能なものと、交換不可能なものは、社会制度によって変化していく。

  • 人権以前は、『人間』(奴隷、女性、子供たち)が交換可能な商品だった。人権(自由権、自己決定権)は成人男性、または、身分のある人間、にしか認めらていなかった。
  • その中であっても、『子供がおもちゃに愛着を抱くように』個々人にとって交換不可能な存在というものは生まれていったと推測できる。大家族としての荘園のようなものもあったであろうし、家臣、郎党というのもそれに近いように思う。」

「傷物の悪魔」と「資本主義の悪魔」によるファシズムやポピュリズム、政府によってコントロールされる差別

  • 交換不可能なものは、交換可能にしたときに、『高値』で売りつけることができる。
  • また、「交換不可能」なものは値段が付かないので、『価値』と交換したときに交換された相手は「なんか得した気持ち、自分は価値を持っている気持ち」になる。
  • 交換不可能なものは『ルールメーカー』によって、作成可能。

以上の権能を使うことによって、効率的に市民を支配、搾取することができる。実質は奪われているのに、与えられたような気持になる。現在アメリカで起こっていることや、過去のファシズム政権で起こっていたことがこれにあたると思われる。
『ファシズムの14の兆候』というものがある。

1. 強力かつ継続的なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
2. 人権の蔑視(Disdain for Human Rights)
3. 団結させるための敵の設定(Identification of Enemies as a Unifying Cause)
4. 軍事の最優先(Supremacy of the Military)
5. はびこる性差別(Rampant Sexism)
6. 支配されたマスメディア(Controlled Mass Media)
7. 国家安全保障への執着(Obsession with National Security)
8. 宗教と政治の結合(Religion and Government Intertwined)
9. 企業の力の保護(Corporate Power Protected)
10. 労働者の抑圧(Labor Power Suppressed)
11. 知性や芸術の蔑視(Disdain for Intellectuals and the Arts)
12. 刑罰強化への執着(Obsession with Crime and Punishment)
13. 身びいきや汚職の蔓延(Rampant Cronyism and Corruption)
14. 不正な選挙(Fraudulent Elections)

  • 1.ナショナリズムは、国籍、民族というものを強調し、それが『交換不可能』であるとすることによって、価値を「売りつける」ことができる。これによって、国民の「不平不満(金銭的な不充実)/交換可能な価値」を無理やり「その交換不可能な価値」と交換させている、3. 団結させるための敵の設定、5. はびこる性差別 も同様だ。
  • 『交換不可能』性、というのは、価値の多様性、でもある。支配するには、順列を重視し、上意下達で同一の価値観を持たせる必要がある。
    • 知性や芸術の蔑視、宗教と政治の結合は、交換不可能な価値を、同一の『交換可能な貨幣』に置き換える作業だ。

他の項目はほかの力学によって動いているが、交換不可能と交換可能の活用『効果的に、投入したコスト以上のリターンを得る』ことが可能だ。

「推し」という、『資本主義の悪魔』と『傷物の悪魔』の丁度綱引きの間にいる存在

キャラクター消費、も含めて。
金銭的に交換可能だが、それは『交換不可能』なものを『交換可能』にすることによって生じる差分を金銭に変えている。
交換不可能性が高ければ高いほど、その差額は大きくなる。



などなど。

傷物の悪魔、についての補足

傷物の悪魔は、人間が人間らしくあるために必要なもので、例えば、子育てや結婚生活というものは、この悪魔の力によって成り立っている。
『生命の泉』という社会実験があった。まあ、wikipediaとかで読んでもらったらいいのだけれども、ナチスドイツで、子供たちを集団で効率的に育てて、優秀な民族を作り出そう、という計画だった。のだけれども、盛大に失敗。人間には、どうやっても「愛着/特別に愛情をささげるという差別」というものが必要だったんだなあ、という結果に終わった。特別な存在である、特別な存在を持つ、ということは、人間が人間らしくあるために、どうしても必要なものなのだ。それは、人間相手だけではなく、物に対しても、同じで、ライナスの毛布の例えもある。
傷物の悪魔がいないと、社会が成立しない。
ゲマインシャフト(資本主義の原理が働きにくい、地域社会、家族社会)の領域だけではなく、ゲゼルシャフト(社会契約やギルトによって成り立つ、交換可能な社会)でさえ、傷物の悪魔による、人と人をつなげる引力、は発生している。

一言でいうと、『愛』と呼んでいるものと、とても近い。愛は差別的だ。万人を愛するということは誰も愛さないということと同義、みたいな言葉がどこかにあった気がする。

資本主義は、幽霊を見ない、信じない

資本主義を突きつけるとすべてが交換可能、個別の人間の魂、意思というものは存在しない、というところまで解体できるので、幽霊は、いない、ということになりそう。
共産主義の幽霊はいる。まださまよっている。

  • 経済学は、実はここのユニットとしての人間、法人は『同じ能力を持つ存在ではなく、個別にそれぞれ得意不得意があり、持つ能力には明確な差がある』という設定(建付け)になっている。
  • それぞれの支払い能力、生産能力が異なっているので、結果として『需要供給曲線』『神の見えざる手(適正な価格)』が自然発生的に決まる、ということになっている。
  • 個々人のユニットはここでは、『交換不可能な最小単位』として、扱われる。

共産主義は、個々人のユニットに、『差がない』として扱ってる…ように思う?どうなんだろ、資本論難しすぎる。よくわからない。







そういうことを、まず、さわりとして考えている。たぶん、ここからいろいろ発展して、いろいろなことを説明できるようになると思うし、それをコントロールする方法も見つかるかもしれない。