orangestarの雑記

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季節の変わり目のちょうど調子が悪くなるやつ


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どうも、ちょっと調子が悪い、なんか集中できない、身体だるい。
なんでかなーって思ってたけど、いつもの季節的なやつみたい。季節の変わり目に調子が悪くなるやつ。
うつ病がひどい時は2か月とかまるまる動けなかったけれども、ここ1年くらい、1週間くらいで何とかなるようになってきた。
今回は、アリスインデッドリースクールの連載終了とか、一段落するタイミングとか重なって、それでちょっと気が抜けたのだと思う。

アリス イン デッドリースクール (電撃コミックスEX)

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かってね!


それはさておき、なんか、ここ、1年くらい、はてな村の話と、自分の鬱の話しかしてないようなエントリになっていて(あとはネタエントリか、天狗とか)なんかそういうのって嫌だなあと思いつつも、他の話題っていったい何を書いていいものやら。


仕事エントリって好きなんですよ。

一般的な役立つライフハック的なエントリとか、ご飯エントリとかと違うやつ。コンビニで仕事していくに至って気を付けてるところとか、不動産売買で一般的でない個別の出来事とか、トラック運転手の人に言えないトラブルとか、建築やってて困った職人とのトラブルとかいい話とか、農業での毎日どんなことやってるのかとか。
そういうほかで全く応用の効かないような仕事上のいろいろな出来事とかライフハックとか、そういうのを淡々と時に面白く書いているエントリーって好き。ブログっぽい。


多分探せばあるんだろうけれども、そして、そういうのをいくつか知っているんだけれども。
ただ、そういうブログって、気が付いたら消えていたりする。何時の間にかなんの予兆もなく。
仕事ブログっていうのは、顧客情報とかそういうのも、ぼかしてでも何となく書くことになるから、リアルで補足されたり、そういうことが結構あるんだと思う。
また別の意味でつまらなくなっていくパターンとして、ある程度見る人が増えてきたらそれを意識して訓戒とか、仕事での個別にしか使えないような技術を一般化してライフハックとして語りだしたりとかして。
そうすると、やっぱりつまんなくなる。アクセスはどんどん増えていっているんだろうけれども。


自分も、ちょっと普通の漫画家とは違う生活をしていて、それはそれで多分そこら辺の日常を描いたら面白いんだろうけれども、それでもなんか、ちょっとリアルで影響ありそうでかけないこととか、かかないように配慮してることとか多い。結局、一般的な世間の話とか、社会の話とか、書評とか、漫画を描いたり、ネタエントリを描いたり、そういうことになってしまうよね。


それはいいことなのか、悪いことなのか。
もともと、世界っていうのはそういうものだし、1999当たりのインターネットの世界が特殊で、そこにリアルの世界が追い付いてきただけ、それだけっていうのは分かっているのだけれども。


それでも、どこかさびしいものがある。

自分自身が自分自身でいられる場所、という考え。感覚。

90年代にインターネットを経験したという経験をもっていて、今、30、40の人、限定で、多分わかる感覚だと思うんだけれども。
多分、もっと下の世代とか、上の世代とかは、また別の感覚、というかそういう感覚を持ってないのでは、と思うのだけれども。


地元とか、小学校から一緒の、肉体的コミュニケーションを深く経験した相手と一緒にいるときが、“本当の自分”という感覚は、まあ、一般的だしわかる。


それとは別に、今まで一回もあったことがないけれども、文章を同じように同じような話を書いていて、そしてその人が自分と同じような考えのエントリを上げていた時に感じる感覚。
その人とは一回もあったことないし、メールをやり取りしたこともないけれども、その文章を読んだ時の“気の置けない”感覚。


そういう感覚って、多分、極一部の人しか共有できないのでは、と思ったりする。実際、はてなには多そうだけれども。



沈黙交易としてのインターネット

そういう感じのブログ、インターネットって沈黙交易みたいだなと思うんですよ。
沈黙交易っていうのは、お互いに不可触な民族が、品物を交換する際の交易方法で、決められた場所、大体聖なる場所とされている場所が多いんですけれども、そこに取引したいA,Bというそれぞれ不可触な人たちがいたら、まずAがその場所に取引したい荷物を置く、そしてAが立ち去ったのち、Bがやってきて、その品物と釣り合うろうなと思われる商品を置く。そしてBが立ち去ったのち、Aが戻ってきて、その商品との比率に満足したら、Bの商品をもって立ち去って行く。
昔ながらのブログをやっているひとのブログってこういう沈黙交易に近いものがあると思う。
自分は、自分の思う文章を書いて、それに対して、自分の考えを置いていく。ただ、置いていったものはおいていったきりになって、それがまた誰かに届く。
そういうのがいいし、そういうのだったのかなって遠くを思いながら。