orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

ちょっと脳の調子がよろしくなくて

周期的なものなのかもしれないけれども、脳の回転がとてもよくなくて、うまく集中が出来ないので、ちょっと文章を書いたりなんなりして、手癖とかそういうので集中を上げて行こうという試み。脳直で文章を書いていく。ある程度落ち着いたら、ちょっと映画でも借りてきて映画を観ようと思う。何か、焦っている時は一回焦るのをやめて、気分を落ち着けることが一番解決への近道、だということはわかっているんだけれども、当の焦っている張本人は焦っているんだからそういう事も分からないし、

「あ、今おれは焦っているな、だからこんなに出力が駄目なんだな、よし余裕を持とう」

と自覚をしていたとしても、それで、簡単に落ち着けるわけではないし、それが出来るのなら初めから焦ってなどいない!いない!!




儀式が必要だ。





ワムウが、試合の最中に目を潰したように、色々なものをリセットするスイッチ、儀式。
そういうのがあればなあと思うんだけれどもなかなか、これが。映画を観に行ったり、ラーメンを食べに行ったり、はてな村奇譚を書いたり、こうしてブログを更新したりしているんだけれども、そのどれがスイッチになっているのかもわからない。もしかしてスイッチではなくて時間経過的な物なのかもしれないし。これが、魔女の宅急便でウルスラが言っていた、とりあえずあがく、っていうやつなのかなって思ってみたり。魔女の宅急便よいですよね。あのキキとウルスラが一人二役、というのが色々と示唆的です。そういう遊びが昔のジブリにはあった。昔のジブリは、“構成”“構築”“要素の奥の衒学的な意味”というものがあって、何かから引用をしたり、その引用がまた意味をもち、全体で深い意味をもっている、という知的な遊びみたいな要素が結構あったんですが、それがだんだんなくなってきて、というか転換点は千と千尋ですね。あれからだ。自分の記憶だけを頼りに書いてますから間違ってる可能性が大きいですよ、というかそういう居酒屋の与太話的なもので聞いて下さいよ、と思うんですが。あとで調べてその通りだったらちゃんとしたエントリに直したりしますからね。しないかもしれないですけどね。


で、千と千尋から、『引用、資料、バックグラウンドの構成要素』で構成されるものよりも、『テクスチャから受ける印象を第一、物事の奥の意味よりも表面で受け止められるものを優先、意味や概念よりもものそのもののかたち』というものを優先して表現、作品世界の構成要素にしているような印象を受けます。


たぶん、現代思想的に解釈すればいくつかの“おはなし”を作れるだろうし、サブカル論的にも、メインカルチャーサブカルチャー的なところから、セカイから意味が消失し個別の物がそのものとして受け止められる時代が来た、それぞれに意味を持たさなくてもよくなった、とか、アニメが人口に膾炙して、わざわざテーマとか高尚性を求められなくなった。とか、言えるでしょうけれども。


自分的にはあれは。


ピカソが晩年になって、『70くらいになってようやく子どものように絵をかけるようになってきた。』みたいなことを言った、という風なのをどこかで聞いたような聞いてないような気がするんですが。多分それなんじゃないかなーって思うんだ。


子どもが世界を観るように、世界がそこにあるままに、とらえて、そうすると、実は個別の要素っていうのは、個別の要素で、それぞれが相関の意味を要する構造物なんかではなくて。でも、大人になって行くにしたがい認識がひろがって、そうすると関連性の呪いにとらわれるようになります。誰々の作ったものだから面白いとか、酢豚にパイナップルが入ってるのはおかしいとか。多分、生きてる限り、普通に生きてる限り、その関連性の呪縛からは自由になれない。モノをモノそのものとしてとらえるのは難しいし、そして、その一旦自分の中に入ったものをモノそのものとして出力するのは更に難しい。一旦とりこんでしまった時点でそれは、もう自分の中で解釈され整理されてしまったものだから。


則天去私。


夏目漱石を語る言葉の中でよく出てくる言葉で、その概念を自分の中でまだ整理できていないんだけれども、なんか、そういう、そんな感じの境地なのかな、と思ったりもする。






自分もそういうのを理想としてて、最終的にそうなればと思ってやってきてたんだけれども鬱になったあたりとその前後から、でも、その生き方って生身の人間には無理があるのでは、と思わないでもない。
立派な芸術家とか、そういう人は置いておいて、やっぱり人間的質量の小さい人間はそういう生き方をするとすぐ死ぬんじゃないかなって思う。ただ、そこを目指すってなった後に別の生き方の方向ってあんまり見えなくなる。どうにも『階段を上った』感じがして、そこから降りれないのかしらね。あとは、冒頭で書いてた、焦りの話と似ていて、あーヤバいなー死ぬなーって思ってても本人ではどうにもならないとか。
そこらへんの考え方にちょっとした思考の分岐点のヒントをくれたので、幻想再帰のアリュージョニストは偉大。みんなで読もう幻想再帰のアリュージョニスト。






とりあえず今日はこんな感じ。
ご成長ありがとうございました。おおきくなーれ!(ラブヒメ)ラブリーチャンスペたんこちゃん!