orangestarの雑記

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僕はブロガーになれない

なんというか、僕は、所謂ブロガーにはなれないんだなあ、って思う。

世間でブロガーとして認知、人気がある人の素質というものが、リアルで必要とされる能力と、とても似てきていると思う。
それは共感能力であったり、空気を読む能力であったり、コミュニケーション能力であったり、人を不快にさせない能力であったり、政治力であったり、人を元気にさせたり元気づけたり、ポジティブにさせる能力であったり、器用さであったり、要領のよさであったり、物事を始める時の勘の良さであったり、何か、面白いものを見つける嗅覚であったり、行動力であったり、新しいものに対する好奇心であったり、視野の広さであったり。などなど。

著名ブロガーの人たちはリアルでも多分有能

たくさんのPVを集めて、たくさんのフォロワーを持っているブロガーの人たちは、これらの能力や才能にあふれてる人が多い(ような気がするし)多分、ネットを介さないリアルの世界でも、結構うまく、要領よく仕事ができたり、人をまとめたり物事を良いように調整したりとか、そういう事が出来るんだろうなあ、って思うようなことがある。そういう人の記事とか文章を読んでいると。
そういう人の文章は、とても分かりやすい。それにわかりやすいだけじゃなくて、何より本人が、その物事に対して、楽しんでいるとか興味を持っているとか、ここが面白いところだよ!っていうのが、行間から分かる。この行間から分かる、っていうのがポイントで、本人のその物事にたいして語る文章はあくまで客観的で、整然としてわかりやすい。初めてその問題や、そのコンテンツに触れる人にも、1から分かりやすいように説明してくれている。

僕はブロガーになれない

もし、自分が、同じように自分の興味のあることについて話したら、最初っからブーストを飛ばして、初心者置いてけぼりの文章になる。
“わかってるひとはニヤニヤとするけれども、わかってないひとには何の事だかわからない”
という類の文章だ。オタクが、深夜、仲間同士で集まって、自分たちの好きなことに対して、ただひたすら語る、そういうタイプの文章だし、せっかく知り合った女の子に、スタバで延々話し続けて、女の子の相槌が「へーそうなんだー」と「すごいねー」のループになっても構わず話続けるタイプの文章だ。

更に悪いことに、自分は、自分のそういう文章を書きたいと思っていること。

分かりやすい文章をかく。
自分にとって、そして自分と同じクラスタにとっては自明のことを初心者にわかりやすいようにかく。
そういう事をすることが、多分、ブロガー、という人種には必要なことだし、そして、そういうブロクが人に好まれると思うのだけれども(そいういう専門的な領域のことを分かりやすく話してくれるブログは僕も好きだし)そういうことをする熱意が僕にはかけている。
多分それは共感能力、というやつに似た感じの何かなんだろうと思う。


「みんな!楽しいよ!これ一緒にやろうよ!」とか
「面白いことを見つけたのでみんなに教えたい!これすごい」とか
「これ今まで知らなかったけど教えてもらってすごいって思った、みんな知ってた!?」とか


リアルのコミュニケーションでも重要で、そして必要とされる


『みんなでワイワイとやって楽しむ』


っていう能力。
そこら辺のちからが僕には結構かけていて。
そして、そういうちからがある人が、今、ブロガーとしてみんなの注目を集めている人たちなんだと思う。

そして、そういうタイプの人間が、これからのインターネットになる

というか、もうなっているのだけれども、インターネットが完全にリアルになって、そして、インターネットの中でも、そういうコミュニケーションの能力や、共感の能力が、求められるようになってる。
昔のインターネット、たった10年くらい前のことだけれども、その頃はもっと非コミュとか非リアが、閉じたオープンなコミュニティ(矛盾した言い方だけどそういう感じの世界観だった)で、さっき言ったみたいなオタクの言語でお互いの知らない世界で同じように育った感覚を説明なしに共有し合っていたのだけれども、今は、一般的なプロトコルを使って、わかりやすく、物事を説明して共感を持つ場になっているような気がする。
『狭くて閉じたオープンなコミュニティ』はなくなって、『広くて開かれた共感によって成り立つ広い場』としてのインターネット。
狭い言語と世界観で話していると、すぐに見つかって、学級会にかけられる世界。
今は自分みたいな人間にも居場所が何とかあるけれども、そのうちなくなって行くんだろうなあって予感はある。
(id:p_shirokuma)先生も、昔は狭い言語で話していたのに、いつのまにか、初めてその問題を知る人にもわかりやすいように話すような話し方になってしまっている。(まあ純粋に年をとっただけかもしれないけれども)

楽しいよ、っていいたい

狭い世界で潜る。狭い穴の中でノミと金槌で壁に文様を掘り続ける。屋根裏の部屋で、自分の書いた水彩画と自分の書いた物語に囲まれて過ごす。僕は分かりやすく人に説明することが出来ない。他の人のしらない新しい世界の話を出来ない。誰もいけない遠い場所の話や、みんなが知ってるけど見ることのない足元の話しかできない。
でも、そんな世界を知っている人とは、ああ、そうだなあ、って思えるようなことは書いていきたいと思うんだよ。きっと楽しいよ。





僕はブロガーになれない。