やめろその攻撃は俺に効く。
ここは悪いインターネットですね。3巻発売しています。
今開催中のFGOのイベント、『復刻版レディライネスの事件簿』
復刻にあたって追加されたおまけシナリオ、『偽典の帰還』のシナリオがとてもよかった。偽物と偽物の、それでも元の場所への帰還を目指す列車の旅、銀河鉄道の旅を思わせるロマンチックな旅の物語。物凄く酔ったのだけれども、でも、そんなに自分に刺さらなかった。けれども、9年位前の自分だった物凄く刺さったのだろうという確信がある。
変ってしまったのは自分で、虚構、偽物である存在に対して感情移入できなくなってしまったのだ。
それは自分が生活者になってしまったからだと思う。
毎日、誰かの生活のためにご飯を作ってお風呂を沸かして、朝起こして、夜寝かして、買い物をして、晩御飯のメニューを考えて、洗濯をして。そういうことをしているうちに、自分が生活そのものになっていく。
それは悪いことではないという人もいるし、詰まんない人間になるっていう人もいる。自分にはよくわかんない。ただ、自分がそういうものになってしまったということだ。
孤独とか、どうしようもない存在のなさ、とか、そういうものから遠ざかってしまった。
心を震わす何かからとても遠くなってしまった。
それでも、どうしようもない寂しさもなくて、いろんなものが、生活の中に埋もれていく。
今まで感じていたことや、作ってきたものの意味が分からなくなってしまった。
かーずさんが、いつの間にか製麺業を引退していた。いろいろ理由はあったのだろうけれども、大きなきっかけは『『ゼルダの伝説BoW』をプレイできました。これがもう、快楽物質ドバドバ出て昇天し』かけたかららしい。
脳汁どばどば。
そういえば、最近、そういう体験をしていない。『うえええぇええええっぇえっ!おもしっれええぇええ!脳汁でるぅううううう!じぬううぅううう!』してない。もう数年もしていない。歳をとると、感性も摩耗して、すげーすげーしづらくなる。少なくとも自分はそうで。だから、脳汁びゃーできる人が羨ましい、自分が悲しい。嫁はゴリゴリと脳汁出して、今は若俳にはまっているけれども。あれは別の生き物だから……。
最近、ミドルエイジを迎えた周りのブロガー諸子が人生を振り返っている。これからの人生と今までの人生。
自分は、振り返るにも色々なものが途上すぎてちょっとそれどころではないのですが、今まではまってあびゃあってなったコンテンツも人生かなと思って、はまった時系列順にリスト化してみました。
リストに上がっているもののほとんどが、高校生とか大学生とか、社会人でまだ結婚する前とかに見たものだった。人生に生活が入り込む前というのが、脳があびゃああああってなるのに大事なんだと思う。あと、若さ。どっちがどれだけ影響してるのかわかんないし、鬱だった期間も間に挟むので……。
一応時系列に分けてるけれども、記憶だけを頼りにして書いてるので、ちょっと時期がずれてたりする可能性があります。事実よりも自分の記憶の方が、こういう自分語りには大事。
ああ、これってしっきースパム。何もかも懐かしい……。
異世界転移。SDロボット。小学生だった自分はすごいワクワクした。自分も異世界に行ってロボットにのって、冒険がしたいと思った。キャラクターとか世界観とかすごく好きだった。2も作られまして、僕はどちらかというと2の方が好きです。広井王子さんを知ったのもこの作品のおかげ。achi-achiの歌う主題歌がすごく好きでした。ワタルというと虎王問題というのがあって、魔神英雄伝ワタルの世界では、敵はもともと、その世界に住む人間だったんですが、倒されると今まで悪い奴だった記憶をなくして、元の善良なその世界の住人に戻るんですが、悪のオーラ的なもので記憶をなくしてるんですね。別人格。で、敵は倒して浄化されると、元の善良な人たちに戻るんだけれども、今度はその時悪キャラだった時の記憶をなくしてしまう。魔神英雄伝ワタルには虎王という、敵のプリンスが出てくるんですけれども、彼はもともと、その世界の王子様で、その記憶を失っている。そして、敵の親玉を倒したときに元の王子に戻るんですけれども、その時に虎王はいなくなってしまう。それは、死んでいなくなってしまうのとどう違うのかという。その後、その問題を掘り下げた、『虎王伝説』という小説がワタルの総監督をなさっていた井内秀治さんの手によって書かれますが、それはまた別の話。
閑話休題ですが、虎王問題は、後のドキドキプリキュアでもプリンセス問題として浮かび上がってきたけどうまく回避されてた。
ディフォルメされたSDロボットのアニメっていうのはこれが最初だったんじゃないかな、という気がする。そのあと、ラムネ&40とかリューナイトとか。最近ではグランベルムとか。
子供向けの冒険の物語っていう、ワクワクする何かがすごく詰まっていて、本当に好きだった。
みていた当時は小学生で、もう、すごくワクワクしながら見てた。学校が舞台で、クラスメート全員でロボットを動かすのが、『すごい新しい!』って思ってみてた気がする。やっぱり、自分がその世界に入って、ロボットを動かしたりしたいっていう気持ちで見てた。
大人になってからみても面白かったけれども、当時の面白さはもうなくて。さみしい。
ライジンオーシリーズはエルドランシリーズと呼ばれていて、3作作られて、どれも面白い。
元気爆発ガンバルガーと、熱血最強ゴウザウラーというアニメがこのあと放映されました。ライジンオーが5年生、ガンバルガーは4年生、ゴウザウラーは6年生が主人公。小学生の1年というのは大きいもので、それぞれの発達段階に合わせたキャラクター設定と、そしてその1年での成長を描いていて、本当に真摯なシリーズだった思っています。
このなかでガンバルガーだけが少し異質で、ロボットを操縦するのは主人公の三人だけ。そして、それを秘密にしている(他のシリーズは、主人公たちがロボットを動かすというのは町のみんなが知っていて、それによるトラブルとかもおこっている)(正体がバレると犬になる!)どちらかというとドタバタコメディで、当時はあんまり好きじゃなかったんだけど、時間がたつにつれて面白かったな、って記憶に代わっていく。ドタバタコメディっていうのは、本当に難しいっていうのを大きくなってモノを作るようになって知った。
4,5,6年生がそれそれ主人公たちの学年なんだけど、5年生の、大人でも子供でもない年齢(当時はそう思っていた)の、小さな思春期みたいな心の揺れもちゃんと描いていて、本当によくできていた。
ずっと読んでた。
初めて買ったドラえもんの単行本は、ドラえもんの宇宙小戦争だったと思う。田舎へ帰る途中の駅の売店で買ってもらった。
なので、宇宙小戦争は、田舎へ向かう新幹線のホームや、田舎の畳と夏の空気と一緒に紐づいた記憶になっていて、ちょっと切ない気持ちになる。
ドラえもんの単行本を買い集めたのはそれから。他の藤子不二雄先生の作品も買い集めるようになった。当時は、7時台に藤子不二雄先生のアニメがたくさんやっていて、ドラえもんのほかにオバQとかハットリくんとか、パーマンとか。漫画といえば藤子不二雄先生だった。一人の作家が7時台からのアニメ枠をあんなに占拠してたことって今では考えられない。
大学生になって一時期離れてしまったけれども、(藤子F不二雄先生が亡くなったこともあって、大長編ドラえもんがなんか自分の好きだったのとは別の方向に行ってしまっていた)ちょくちょく戻ってきてはいた。子供が生まれてからまた接するようになって、いろいろと時代に合わせて変わってしまったところもあると思ったけれど、それでも、ドラえもんはドラえもんだ。
自分は、ドラえもん原作至上主義者で、実は大山のぶ代さんが声を当てていたドラも『ちょっと違うな…』と思うところもあった。(ドラえもんに入ったのは大山ドラからだったけれども)
原作のドラえもんは、なんていうか『乾いて』いた。うまく言えないけれども。その乾いた感じというのは、藤子F不二雄先生以外には描くことは不可能なもので、ドラえもんは、キャラクターコンテンツとして確立していく過程で、誰にでも理解できる、描くことができるキャラクターと世界観になっていくことは必要だったのだと思う。
ちょっと、話はそれるけれども、『ドラえもんズ』の話。
ドラえもんズ、最初、すごい嫌だったんですよ。当時はその理由はわからなかったけれども、今なら言語化できる。それは、『ドラえもんはのび太だけの友達』でいてほしかったという、BBSとかNTLに近い気持ちだ。世界がきれいに閉じていてほしい気持ち。
でも、今、思うと、ドラえもんにものび太以外の友達がいて、世界が広がっているのは、本当にいいことだと思う。大人になって自分の人間関係が広がっていく過程でそう思うようになった。ドラえもんズ、ミニドラが復活したからまたやってほしいんだけど、それぞれの国のドラえもんのシリーズがあまりにもカリカチュアライズされていて(そもそも今の時代、国を代表するキャラクターというの自身がちょっとまずい)復活は難しいんだろうなって思う。
大学で自分は演劇をするのだけれども、ソレの遠い要因にこれがあった気がする。
演劇部ではみんなこれを読んでいて、よく白目をむいて北島マヤごっこをしていた白目を向きながら「マヤ…恐ろしい子…」というのだ。
高校の時には、知ってる友達の前で、体育館の跳び箱の1段目を逆さにしてゆらゆら揺らしながら「女海賊ビアンカ!」とかやったりした。
安達祐実でドラマ化もされて、そっちは妹とよく物まねをしていた。スチュアートのことを呼ぶ狼少女ジェーンとか、泥団子を食べるシーンとか。
本当に面白いし、気が付かないうちに人生ですごい影響を受けてる。
色々読んでたけど(青い鳥文庫とか、ホームズシリーズとか)あびゃあ、はしてなかったと思うので、ここでは挙げず。
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今から考えると、これが最初の萌えだったと思う。クラスの学級文庫に誰かが持ってきていて、それを読んだ…気がする……。内容もあんまり覚えていなんだけれども、なんか楽しかったの覚えてる。
本の内容よりも、本を読んでたシチュエーションの方が自分の中の記憶に残っている。学級文庫で友達の誰かが持ってきた本。今まで小説って「ちゃんとした図書館にあるような本」や、「小学生低学年向けの本」しか知らなかったので、こういう高学年向けの図書館に置いてない面白い本、に出会ったのが初めてだったのだ。
うちは家庭用ゲームを買ってもらったのが遅い家で、そして、ファミコンではなくてPCエンジン派だった。これがこれからの人生に大きく影響した気がする。
穴を掘って、敵を埋め殺すゲーム。
なぜドラえもんで?という疑問は当時からあったけれども、まあ…ゲームだし…と思って。難易度調整ができた。やりこみ要素とかは全然ないタイプのゲームなんだけど、すごいやりこんでいたな…。最初にかったゲームだったし、そんなに難しい動きのあるアクションじゃなかったので、アクションゲームが苦手な自分でも、延々とプレイできた。
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最初にやったRPG。
世界観とか、BGMとか好きだった。地獄王が強くて、強くて。倒した敵が改心してどんどん仲間が増えていくのはとても気持ちいいものだった。和風テイストのRPGがとても新鮮だった。あと、当時、月刊PCエンジンという雑誌を買っていて、そこで、裏技をみて音楽館、美術館で敵キャラとか音楽を眺めたり聞いたりしてた。ギャグの敵キャラしか出てこない平原とかがあって、そこでとても笑ったりしてた。花火が上がるシーンとか、人魚のシンクロナイズドとか、今見るとしょぼいのかもしれないけど、当時はそれにすごいワクワクしてた。
閑話休題だけど月刊PCエンジンでは読者投稿コーナーに結構投稿してた。
キングボンビーが登場する初めての桃鉄。ゲームシステム的には完全に完成されていた。
運要素や一発逆転要素が少なくて、対戦ゲームとしては一番精度が高い。これから、ファミリー向け、パーティー向けとしてゲームの実力で差が出ないようにする方向にどんどん調整が入っていく。ちょっと寂しい気持ちがある。
桃太郎電鉄といえば、毎年のように桃鉄が出ている時代があった。その年ごとに物件が更新され、時代の移り変わりを見ることができる。桃鉄2当時の物件で印象深いのが夕張の農林物件で、異常に収益率が高かった。今は財政再建団体で見る影もなく時代を感じる。『さよならうに丼屋』の音楽はいつ聞いても悲しい。
僕たちのドラマシリーズ、がやってて、見てたはずなんだけどあんまり覚えてない。学校でみんな見てて、それについていくために無理に見てた気がする。ついていけてなかったけど。アイドルとか、生身の人間がどうにも覚えられなくて。
アニオタになってて、当時はいろんなアニメを無茶苦茶見てて、そして無茶苦茶に嵌っていたんだけれども、今思い返すとあんまり”これ”というのが出てこない。血肉になりすぎてしまっているのかもしれない。
林原めぐみさんのミンキーモモ。
テンポと会話のリズムと、世界観と、絵が好きで、すごい見てた。続編もあって、そっちも見てた。やっぱり当時大好きだったな林原めぐみ。アニメ雑誌で結構特集もされていた。人気があってオリジナルアニメビデオも出た。魔法が使えなくなった後の世界の、ちょっとした奇跡の話。それもすごい好きだった。作る側がすごい真面目に作ってたんだなと思う。オタク層の存在を意識してたとは思うけれども、今ほどではなくて、やっぱりメイン層は子供たちで、それに向けて真摯に作られていた作品だったと思う。
魔神英雄伝ワタル2が終わった後の番組で、続けてみていた。なんかわかんないけどすごく面白かった。なんで面白かったんだろ。各話完結型のエピソードだったんだけど、時々キレキレのギャグの回があったような気がする。日常生活ものとちょっとしたSFと、無理やりストーリーに当てはめていったおもちゃ。(当時の子供向け番組っておもちゃの売り上げで持っていたので…)
食卓SFとでもいうような、日常に紛れ込んだちょっと不思議な出来事を描くSFだった。
毎週すごい楽しみにしてみてた。ゴザ16世がかわいくてよかったです。当時、アニメディアを買っていて、タイラーの特集とかを読んでいた記憶がある。
ここら辺から、アニメをDVDとかオタク向けの商品として作って、売り上げを回収しようって流れが出てきたような気がする。全部kingの大月さんが悪い。あとで、小説も読んで、全然違う話でびっくりした覚えがある。どちらも好き。
今のうちならネットフリックスで見れるので絶対に見てほしい。
https://www.netflix.com/title/26588007Watch Sailor Moon R | Netflix
インターネットもなく、行動範囲も狭かったので、近くの本屋での出会いや、買っていた雑誌からの出会いしかなかった時期。
岩泉舞短編集。最近、復刊されました。
表題作の七つの海が本当にいい作品で。岩泉舞先生をしったのは、当時たまたま読んだジャンプに『COMCOP(コムコップ)』の読み切りが載っていてそれで知りました。ジャンプをめったに読んだりしなかったので、本当にたまたまの出会いです。人生にはそういう出会いがある。
七つの海は、夏休みや、雨上がりのあとの空気や、そういう世界のにおいを感じさせてくれる作品で、そして、そういう一瞬は通り過ぎたら2度と戻ることはない。そういう子供の日の寂しさを含んだ作品でした。掲載されている作品、どれも、違うタイプの作品ですが、どれもそれぞれ素晴らしい。
本屋で、表紙がかわいくて表紙買いをしたのが出会いです。インターネットがなかったので、本との出会いは、本屋での一期一会だった。グルグルがきっかけでガンガンを買うようになって、そっからハーメルンのバイオリン弾きとかも読むようになった。ハーメルンも面白かったな。
魔法陣から魔法を出すってアイデアが新しかったし、ギャグもストーリーもすごい好きだった。ザムディンが何か、まだ言える。
衛藤ヒロユキ先生は、ドラクエ4コマのころから知ってたんだけれども、ドラクエ4コマの時とは絵柄が大きく変わってしまってきて、気づいたのはずいぶん後だった。ハドソンのゲームのアンソロジーの本にも衛藤ヒロユキ先生が寄稿していて、そこでの「反重力おもちゃ」とか独特のサイバーパンクな世界観がすきだった。
PCエンジン派だったので、あんまり貸し借りとかなくて…。後期にスーパーファミコンを手に入れて、それでFF6とか、新桃太郎伝説とかしてた。FF4は友達に借りた。ファミコンやPCエンジンのソフトは、ファミコンショップで買う時代で、そこでは中古も取り扱っていたので、(というかそういうお店しかなかった)そういうところで、出物のゲームをあさっていた。マジカルチェイスというPCエンジンの名作ゲームがあるんだけれども、それもそういう中古ショップで手に入れた。
[rakuten:tsunagaru:10013522:detail]
友達から借りてやった。
当時はすごい難しかった。天狗に何度も全滅させられてね……。混沌、秩序、ライト、ダーク。この世界観の分け方、認識の仕方が、自分の世界観の分け方に強い影響を与えている、それは自覚している。
ダンジョンをめぐる緊張感がすごかった。タマモが束で出てきたときは死んだと思ったし、ギリメカラに全滅もさせられた。オート戦闘で全滅したので、いったい何が起こったのか全然わからなかったな……。物理反射怖い。
[rakuten:surugaya-a-too:10158757:detail]
前述の天外魔境2でシナリオを書いていた桝田省治さんがゲームデザイン、シナリオを担当したゲーム。
ポケモンよりも前にモンスターを集めて動物園を作る、というコンセプトで作られたゲーム。ポケモンになり損ねた理由はいくつかあって、一つはモンスターがかわいくなくてシナリオがエログロいこと。でもそれがよかった。僕にとって良かった。僕の他にもよかったって思える人はたくさんいるはずで、そういうのが多様性なのだと思う。
この後、俺の屍を越えていけとか、通好みのゲームを次々と世に送り出すことになる。どれもユニークなゲームで、人を選ぶかもしれないけれども、好きな人にとっては本当に唯一無二な作品だ。桝田省治さんの『ゲーム』ということに対する考え方が好きで、ネットがつながるようになってからは、ホームページに更新される記事をずっとチェックしてた。
高校の時ってあんまり実写コンテンツにはまらなかったので、高校時代の思い出コンテンツってないです。ドラマ、『素晴らしきかな人生』は好んで見てた。井上陽水さんの 『Make-up Shadow』が好きで、カラオケに行ったときは何回も歌った。あと、『家なき子』とか、『金田一少年の事件簿』とかがやってて見てた、楽しんでみたたけれども、あびゃああ、ってなったり血肉になったかというと、そうはならなかった。ただ、『素晴らしきかな人生』の富田靖子さんの演技は、まだ記憶に残っている。
放映してたアニメほとんど見てたはずなんだけど、今思い返して血肉になってると思うもの、当時、あびゃあってなった記憶の残っているものを。
特に語ることがない。
春休みに映画を見に行って、友達と梅田の映画館の9階の映画館の非常階段に列を作って並んで、長い時間待って、映画館で映画をみて、映画館から出て、そのまま分かれて帰った記憶がある。
近くのレンタルビデオ屋で借りてみてた、なかなか最終巻まで出なかった作品だった。
主人公のベリーショートの髪型と、ロボットらしい、意志を感じない瞳のキャラデザインがすごい好きだった。そして声が岩男潤子さんだったのもとても素晴らしかった。
当時は、SFとして見ていたのだけれども、実は”アイドル”という概念を掘り下げた作品だった。
当時はよくわかんないと思っていたところは、アイドルや芸能ということの知識が増えて、アイドルのスカウト周りとか、アイドル理論とかいろいろ知るようになると、作中のスカウト会社の描写や、三和土さんの語るアイドル理論とかが、よくわかるようになった。なってしまった。
最後、鬱瀬美浦の人形がボロボロにされるところとか理由とか。偶像は破壊されないとならないのだ。(生きているアイドルは偶像ではなく実存しているので)
夏休みの夕方に読売テレビ(だったと思う)が『アニメが大好き』という番組をやっていた。そこでは、OVAや、劇場版アニメを2時間とかの枠で流していた。オタクだった自分はそれをしっかり見ていたのだけれども、そこで、たまたま見て、「わあ、これはすごい作品だ!」と感銘を受けた。そのとき残念ながらビデオにはとっていなかった。王立宇宙軍との再開は大学生になってからだった。行動範囲が広がり、梅田の大きな蔦屋でだった。手に入れてからはダビングして何回もみた。
これもただ、ロケットを打ち上げるだけの話で、ただそれだけの話が、物凄く好きだ。
学校で、貸し借りをして、すごい読んでた。
サンデー、ジャンプ、マガジン、チャンピオン、ヤングジャンプが、クラスの教室で回し読みされていて、毎週結構な量の漫画を読んでいたな……。
読み始めた当時はまだ連載中で、白面の者との最終決戦の最中から見始めた。単行本後追い。
今でも定期的に読み返して、そして、そのたびに泣ける。
白面のものが結界を破るシーンの演出が本当にうまくて、ああ、これは勝てねえな…と思わせられた。
生まれて初めてかあちゃんと再会して、うしおが、戦士からただの中学生に戻ってしまった直後に、そのただの子供のうしおの目の前で白面が復活するという絶望。その後の、「母ちゃん逃げよう!」からの「戦いなさい、母はもう覚悟を決めました」が本当につらい。
サトリの回の話が好きなのに、アニメ化はされなかったんだ…。
学校の貸し借りで。
学校の貸し借りがなかったら、たぶん読むことがなかった本。
最初、絵でとっつきにくかったんだけど、2巻まで読み進むとそういうのは気にならなくなった。
『終わってしまった世界』『死とともに生きる世界』の描き方と、そこでの諦観を持って生きる人たち、そしてそこにある、小さな希望の描き方が本当にすごい。ユパ様が本当に強くてかっこいい。手をグルンと回して、「ユパ様」(最後の爆弾を爆発させないやつ)がクラスでプチ流行した。
クシャナの代わりに毒を飲んで心を病んだ母、決してナウシカを愛さなかったナウシカの母、そしてナウシカの誰よりも勇敢で純粋な子供。女(母)そして命というものに対しての、信仰に近いような描写や認識、そしてその末の最後の選択、高校生の自分の世界認識にすごい影響を与えました。
絵がすごくうまい!
と表紙買いして、それから、話も世界観もすごい!
ってなった本。
町の真ん中に浮いているザレムという都市と屑鉄町、その世界観に素直にすごいすごいと思っていた。自我のありかとか、そういうサイバーパンク的な世界観に初めて触れた作品。
最初から最後まで男の生きざまの話で、イド、ノヴァ、ユーゴ、マカク、ザパン、ジャシュガン、ウンバ、フォギア、ヨルグ、電、ケイオス、そのほかのサブキャラクターやモブに至るまで男たち全員が、それぞれの生き方に哲学を持ち、または持たず、自分をすり減らしながら男の矜持やそれぞれ選んだ美学や夢に準じて生きたり死んだりする物語で、少女である主人公のガリィは、彼らに対してどこまでもアウトサイダーであり、だからこそ、この物語の主人公としてふさわしい。決して、彼らの夢を理解できないものだから。
貸し借りで見せてもらった本。
とにかく面白かった。
ちょっと前のツイッターで「高校の時に初めて読む寄生獣という最高の読書体験」というのが回ってきたけれども、本当に高校生の時に読めてよかった。本当にタイミングが良かったと思う。人生の一番ちょうどいい時期にちょうどよく読めた。
占い師のおばさんが「胸に穴をあけた人に会いなさい」という言葉の回収が最後の方でなされるのだけれども、そこを読んだとき、授業中なのにボロボロ泣いてしまって。(授業中に漫画を読むな)
「ミギー、防御頼む!」
谷川史子さんの絵が、好きで好きで。
ずっと単行本が出るたびに買ってます。
絵も真似して描いていて、自分の絵の源流の一つ。
初期の谷川史子先生の単行本は『花いちもんめ』も好き。
全部好き。
須藤真澄さんの絵と物語がすごく好きで。
絵の源流の一つ。
このアクアリウムは、物語の構成もすごく好きで、時間が流れくたびに代わってくものと変らないものが、本当に愛おしい。
主人公の牛島杢子が、生まれてから、大人になるまでを、ゆっくりと描いていくオムニバスで、そこで生じる人間関係の話と、須藤真澄先生のもつ、独特の死生観が交わり、他にはないお話になっている。
富士見ファンタジア、スニーカー、ライトノベル(この時はライトノベルという名前では呼ばれてなかったと思う)結構読んでた。これも漫画と同じように、学校で友達と貸し借りをたくさんしてた。
PCエンジンから、セガサターン。典型的な遍歴です。
PSではなくセガサターンにしたのは、天外魔境第四の黙示録をプレイするためでした。そのあと、リンダキューブ完全版も出たので、こちらでよかった。僕の選択は間違ってなかったんだ。本当だよ。
漫画家になりたいと思って、画材を買いこんだりした。でも、ちゃんと書くまでには至らなくて。もっとこのころちゃんと頑張っていればよかったな。進学校だったので、勉強はすごい頑張ってて他にあんまり時間が取れなかった。
このころ、無茶苦茶映画見てた。
理系で学校の勉強と課題も忙しかったけれども、演劇部に入って舞台を作ったりとか、いろんなことをして、とても楽しかった。このころも、あまり絵をかいたりとかはしなかった。4年生になって、パソコンを買ってインターネットができるようになって、テキストサイトに出会って、自分でホームページを作るようになり、文章を書いたり、小説を上げたり、漫画やイラストを描くようになった。
最初のホームページはジオシティーズだったな……。
高校のころはあんまり映画とか見なかったんですが、大学になって行動範囲が広がって、毎週のようにレンタルビデオ店でビデオを借りてみるようになった。
無茶苦茶漫画読んだ。漫画喫茶が流行りだしたころで、駅前やらの漫画喫茶に通って、こもって、ずっと漫画読んでたりした。
アフタヌーンを定期購読してた。
本当に無茶苦茶漫画を読みだしたのは、インターネットが開通してテキストサイトを始めてからで、そこで勧められている漫画とかを読むようになった。
マッドメン、も、栞と紙魚子もすごいお勧め。
大学時代は小説、評論、新書とか、とにかくたくさん読んでた。年100冊くらい読んでた。自宅住まいだったので、大学までの電車に揺られている時間がかなり長くて、当時はスマホもなかったのでその間ずっと本を読んでいた。結構読んだんだけど、何をどんだけ読んだのかとか忘れてしまったな…血肉にはなってると思うんだけど、血肉になりすぎてわかんなくなってしまった。当時脳汁出た!って覚えてるのはこんなの。
くるぐる使いもよかった。
www.aozora.gr.jp
ドグラマグラを読んでも気が狂わなかったけれども瓶詰地獄はあびゃああってなりましたね。構成もアイデアも素晴らしいし、このページ数。この少ないページで、この物語圧はすごいと思う。タイトルも素晴らしい。
短いので、まだ読んでないって人はぜひ読んでみてください。
高校の時に比べるとあんまり見なくなった。
深夜アニメというジャンルが始まったころだと思う。
部活のあまりアニメを見ない先輩が、なぜかあずまんが大王にはまってたりした。
大学時代は演劇をかじっていて、自分で演じたり、よく舞台を見に行ったりしていた。
今、インターネットを調べても、当時のことを書いた文章が全く見つからない。演劇というのは、本当に跡形も残らないジャンルなのだと思う。
ja.wikipedia.org
大学の時は演劇部で舞台を作っていた。そして、舞台とかも結構見に行ってた。
惑星ピスタチオは、そのころ超有名な劇団で、自分たちの肉体を使って舞台を表現するという「パワーマイム」という特殊?な方法で舞台を作っていた。
西田シャトナーさんや佐々木蔵之介さんが所属していて、まあ、すごかったんですよ。惑星ピスタチオについて話すととても長くなるので、wikipedia とかを見てもらうとして、自分が唯一直接見に行ったのが、『大切なバカンス』という舞台だった。(ほかの作品はビデオとかで見てた)
ギャグとシリアスと、無茶苦茶な演出がシームレスにつながっていて、「舞台ってこんなことをしてもいいんだ!」とか「ここまでしても、役者の演技で、こんな風に観客のマインドをコントロールできるんだ!」とか、物凄く感銘を受けた。舞台というのは、ビデオとみるのと本当に見るのとは大違いで、目の前で役者が演じるということは本当にうけるエネルギーが段違いにすごい。
ja.wikipedia.org
自分が大学生時代に、神戸を中心に猛威を振るっていた劇団。大学を卒業して、3~8年目くらいの人が中心になって運営していた若い劇団で、でも、1回の公演の動員数が4000人とかを越えていた。若い中高生に人気の劇団だった。学校への訪問公演や、学生に招待チケットとか配ったりして、今考えると、本当に運営がうまかったんだと思う。でもたぶん、運営していた人たちはそんなことを考えないで、『ただ面白いから、多くの人に見てほしいから』やっていたのだろうけれども。
自分もよく見に行った。
大量のパーライトをガーン!バーン!ドーン!と使い、音楽もかっこいいのをズガーン!ズガーン!と鳴らして、その音と光の洪水の中で、逆光に照らされた役者が並んで、声をそろえて口上を述べるだけで無茶苦茶上がる。上げたテンションのまま、大長編ドラえもんのような、またはガンダムポケットの中の戦争みたいな、熱くて、感動できる物語が始まり、終わる。
泣ける!というのが売り文句だったし、実際にすごい感情を揺さぶられたし、物語が物語なので、すごくすっきりした気持ちで劇場を出ることができた。キャッチフレーズは「カーテンコールまで泣くんじゃない」だけど、みんなカーテンコールまでに泣いてた。
行動範囲が広がって、大きな本屋に行くことも増えて、そこで、美術書を覗いたりするようになった。
快楽天を毎月買っていた。
実用には向かない本だったけれども、エロ描写さえあればどんなことをしてもいい、というような雑誌だったので、エロ以外の部分が充実していた。
OKAMA先生も書いてたし、道満晴明先生も書いてたし、SABEさんも書いてたし、その後の時代で、主流になる絵描きの人が多くいた雑誌だったとおもう。エロ漫画界のあらびき団?だったのかもしれない。リリカルな話がたくさん載っていて、本当に好きだった。
このころも、無茶苦茶映画見てた。
仕事が9時とか10時に終わった後、会社の寮まで1時間半かけて帰って、その途中のレンタルビデオ屋によって、適当なビデオを借りて週末に見るのが日課だった。仕事、朝の早い仕事で、7時くらいには始まるので、朝の5時には家を出ないとならなかった。土曜日も出勤で、よく体もっていたなと思う。若かったから。でも結局、体が限界になって、そこは1年半で辞めました。
アニメ映画の方は怖いのでまだ見てないです。
時期的には、世間?では涼宮ハルヒが話題になってた頃ですね。
当時、テキストサイトで、セカイ系っていう言葉が流行っていて、灰羽はセカイ系か否か、っていう話が出ていた。
灰羽連盟の世界によく似てる『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という村上春樹さんの小説があるんだけれども、そっちはセカイ系で、でも灰羽はセカイ系ではない、というのが自分の結論です。
違うんだな…違うんだ……。
中学生の思春期の第二次性徴の変わっていく体と、うまく変わりきれない心の話なんだ…。
すごいんだ…これ……。
という三人がね、不器用に人間関係するんですよ。
*1
相変わらず漫画は読んでました。
インターネットをよく使うようになって、ネットで話題になった本とかをよく読んでた。
話題になった本、よりも信用できる人が勧めてる本の方がヒット率が高くて、そういう本を探して読んでました。
片山まさゆき『ノーマーク爆牌党』に出てくるセリフを例に、「わかりやすい物語」に頼りたがる人間の心の弱さについて話しています。
— pha (@pha) 2021年12月12日
世界というのは無秩序で、人間はその中に秩序を見出したがるけれど、それは認知バイアスの一つで偏った見方だ。確率に従って淡々と打つ奴だけが生き残る。 https://t.co/LUswsQek5D
あの頃、インターネットでは、あちこちで、たくさんの人が小説を書いていた。
テキストサイトだったり、小説投稿サイトだったり、2ちゃんねるだったり。
今、小説家になろうとか、カクヨムとか、エブリスタとかで、当時以上のたくさんの物語が生まれている。そこで物語を綴っている全ての人に対して、素直に尊敬の念を抱く。
なんとなく自分が文章を書いていた当時と比べると、今の方がコンテンツとしててこなれてて、読む人のことをちゃんと考えてる作品が多いなあって思う。当時は、みんな、書きたいものが先行して、うまく形になってないものがあちこちに転がってた。それは今もそうで、そういう作品を書いてる人はたくさんいるのだろう。でも、そういうのが目につきにくくなってるのだと思う。
shishoseries.seesaa.net
【死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?】っていう2チャンネルのスレッドがあって、そこに当時投稿されていたシリーズ。八尺様やコトリバコなどの今もyoutubeとかで語られる怪談はここが発祥。
当時は実話と創作の垣根が曖昧で、この師匠シリーズも半ば実話として受け入れられていたと思う。
ひとつひとつの話でも完結しているのだけれども、その話が実は別のお話とリンクしていて、読み進めていくうちに点と点がつながり、実はあの時のあれは…というのが明らかになる瞬間があり、それが本当にぞくぞくする。
コミカライズもされてるし、いまだにゆっくりだけど話の更新も続いている。『ブギーポップストレンジ』*2みたいな、いまだ語られてはいないけれども、この物語の核心になるであろう出来事というのは示されていて、その物語がいつか語られることを本当に心待ちにしています。
esupa.xrea.jp
当時、テキストサイトに、『ゴレ』さんっていうすごく物語を書くのがうまい人がいた。
当時のテキストサイトには同じようにうまい人もたくさんいて、そしてその人たちは何人かプロになっていったのに、ゴレさんは結局プロにならなかった。
淡淡と文章を書いて、そこを自分の居場所として、それが本当にゴレさんっぽいと思う。
じんるいのみらいは、くらい−−−−−−−−−−−
ゴレさんのサイト。書きものがたくさんある。
ところで、大昔の約束ですけれども、『波を飼う』のコミカライズ、許可いただいていたの、まだ、有効でしょうか。
なんか、大人になってからとんとゲームをしなくなった。
ゲーム機も持っていなかったし。テキストサイトやインターネットではノベルタイプのアダルトゲームが話題になっていて、でも、全然そういうのもプレイしてなかったな……。
雫 (アダルトゲーム) - Wikipedia
ここに挙げてますが、実は、やったことないんですよ。
エアプ。
なのになんで挙げたかっていうと、当時、伝え聞くゲームの内容が、物語が、キャラクターが、あまりにも面白そうで、魅力的で、そして、それをもとに『脳内でエアプした雫』という架空のゲームがあるんですね。自分の中に。
note.com
cr.hatenablog.com
理想のエロゲ、という集団幻覚。それと同じように、自分の中になる、幻覚の『雫』があり、幻覚の『瑠璃子さん』がいるんですよ。そしてその瑠璃子さんは今でも僕を見てる。昏い、夕闇の淵で、微笑みながら僕の方を見ている。
"長瀬ちゃん、電波届いた?"
物語のギミックとしては一発もののアイデアなのに、こんなに続編が出ていまだに愛されてるのは、物語のギミックだけではなく、キャラクターが本当に魅力的dだったからだと思う。圭一くんや、レナ、魅音、佐都子、梨花ちゃんには幸せになってほしい。…と思ってたところに卒と業である。佐都子勉強しろ。あと、詩音、ちゃんと情報共有しろ。
当時勤めていた会社での理不尽で、完全にメンタルがぶっ壊れまして。それは今でも後を引いています。人間、無茶して壊れると後々大変なので、適当なところで逃げるの大事。本当に大事ですよ。ゆめゆめ忘れることないよう。
2006年の末にに801ちゃんの1巻が出まして、それで、会社を辞めて漫画家になりました。漫画で食ってく、というよりも、もう会社勤めが無理になったんですね。で、専業。実は体調もガタガタの状態がずっと続いてて、年1冊何とか出して、っていう感じでやってました。
『メンタルが弱っているときでも特撮は見れる。』
そういう言葉をよく聞きますが、それって多分正しいですね。アニメよりも特撮の方が見るのが楽だった。特撮は鬱に効く、かどうかはわかんないですけれども、辛い時でも見れる何かがあった気がします。
アニメも比較的見てた。液晶テレビの大きいのが普及し始めた時期で、それと一緒にブルーレイレコーダーを買って、片っ端から録画してみてた時期だった。
大きな画面で見ると、小さい画面で見るよりアニメが面白い…気がする。たぶん、気のせいじゃないと思う。
かっこいいところを上げるとキリがないのですが、とにかく、美術や演出の細かいところが本当にしびれるんですよ。内容の解釈はそれから後でも。
漫画、人生で読みすぎて、もう二周くらいしてしまってたので、新しい漫画を読んでも『ああ、これ、どっかでみたやつだな』って思ってしまうようになってしまった。よくない。面白いは面白いけれども、あびゃああああ、ってはなりにくくなってて。(鬱だったのもあるかもしれないけれども)
友人の麻草https://twitter.com/asakusan?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthorさんが脚本を書いた舞台を見に行ったのがきっかけで、それから舞台を見に行くこと少々。
麻草さんは、いつか終わってしまう予感のする物語を書かせると天才なので、もっともっと世間の人は知るといいと思う。
貼り付けているのは、何度目かの再演のアリスインデッドリースクールPARADOX。期間限定公開ですが、今なら見ることができるので、時間があればぜひ。
最初に演じられた無印のアリスインデッドリースクールは、記録映像もなく、もう見ることはできません。本当にお芝居というものは記憶にしか残らない(そしてその記憶もいつかは消える)コンテンツなのだと思う。
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コミカライズもさせていただいて、そのころに書いた記事がこちらになります。
子供生まれて無茶苦茶忙しかった。ほとんどコンテンツに触れることができないくらい。そんな中、時間があるときにどばっと浴びるように見たりした。
実際、ここら辺のコンテンツみたの、2016年以降で、子供生まれて4年目、までは本当にコンテンツに触れる余裕がなかったんだと思う。
アマゾンプライム、に生活を、支配されている。
アニメもあんまり見れてなかったなー、テレビ放送や配信を追いかけるというのがあまりなくなった。
僕だけがいない街、はテレビでの放送を追いかけてた、次の話を楽しみにしながら見てた。
育児中、小説が一番自分の時間を調整しながら読めた気がする。
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読もう!アリュージョニスト!これも以前記事を書きました。
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今、カクヨムで再放送?中なので、追いつくチャンス!
本当に、アリュージョニストには人生を救われた。救われたといっても過言ではなくて。
鬱をこじらせていた時に、”因果関係を求めてしまうのは人間のバグで世界に物語は存在しない”という真実にたどり着いてしまったんですね、頭ではなく実感を伴って。それは恐ろしい虚無です。でも、真実だから逃げることができない。さらに、”物語は存在しない”というそれ自身も”物語”であり、しっぽを飲み込む蛇のように、出口のない煩悶をずっと続けていたんですね。でも、アリュージョニストを読んだことによって、解消されました。
人間の本性、は物語を見出すこと。そして、この世界で認識されるすべてのことは”その物語の押し付け合い”。この認識を得て、蛇の環がスルリとほどけました。世界のベースが虚無であることは変わりがないけれども、”ここで認識される世界”に関しては、自分の都合のいい物語を他人に押し付けていいんだ、その押し付け合い自身の責任を自分でとらなくて(正しさの保証を自分でしなくていい)んだっていうのが、本当に救いになりました。ありがとうアリュージョニスト。
昔ちょっとだけメモを書いた。
今、ハックスリーの「素晴らしい新世界」を読んでいるんだけど - orangestarの雑記
ゲームは本当にやんなくなってしまった。
一応、家に、PS2もwiiもあったのだけれども。
やり始めたころは新規と呼ばれていたが、今では古参の部類に入る…。
人理修復の旅:FGO6章終わりの方まで - orangestarの雑記
FGO人理修復の旅:6章「神聖円卓領域キャメロット」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
FGO人理修復の旅:7章「絶対魔獣戦線バビロニア」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
FGO人理修復の旅:終局特異点「冠位時間神殿ソロモン」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
当時の自分に、『宝具スキップまだ実装されてないよ』っていうとどんな顔するだろう……。
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https://twitter.com/asakusanさんの脚本作品。10万年後の未来、人類が滅んで人類の後継が生きる世界で、ただロケットを打ち上げるだけの話。
…これが、本当にいいんだ……。
舞台なのでログが残らない、記憶しか残らない。それが本当に残念で、再演を待つが、再演されたとしても、それはかつて演じられたお話とは別のものだ。
いつかコミカライズしたい。
少し余裕が出てきて、いろいろなものに触れることができてきた。
反面、子育てっていう圧倒的な人生圧力を持つものに、感受性の風船が押し出されて、あびゃああああ、って感じること自身が難しくなってる、という自覚がある。
あと、”生活”ですることが増えてきて、それにも感受性のメモリをずいぶんと喰われてる気がする。
宮沢賢治も『告別』という詩の中で、才能や素質について
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
というように述べているけれども、まさしくそんな感じで、生活に削られていってるのを実感してる。頑張れ自分。
澤村先生の初心者にお勧めなのは、ぼぎわんシリーズ。
映画化もされた人気作で、映画の感想としては「ぼきわんの登場シーンよりも前半の田舎のシーンが辛い」「モラハラ旦那がきつい」「ぼぎわん早く来てくれ~!って思った」など、ホラーシーンよりもそこに向かう人間関係の方で辛い辛いと評判でしたが、小説もたがわず、人間の辛いところが描かれていて、うう…辛い…ってなる。
ぼぎわん以外の作品は、そこまで辛くないので、読むのなら『ししりばの家』からがお勧めです。
短編集のなどらきの首、もさらっと読めてお勧め。ここら辺から入るのがよいです。
洒落怖で見たみたいな僧侶や神職が出てきて解決してくれるってことはなくって、なぜそれがそうなってるのかというミステリを解くような解決策で怪異を解決、たまに物理って感じです。いや…結構物理…?
澤村作品はジャンルごとに作品の作りがちょっとずつ違っていて、とても楽しい。全体に横たわる露悪的な趣味はあるけれども、それがあまり見下すような感じではなく、寄り添うような、それでもダメになってしまう人生な感じとかが、ちゃんと書かれていて、好感度高いです。自分の個人的な感想ですけれども。
ファミリーランドは、現実と地続きのちょっとだけ未来(そして、それは早晩実現されるであろう社会)の話で、人間のためにすごく整えられた環境で、人間が息苦しくて生きていけない社会をオムニバスで描いています。(id:p_shirokuma)先生の『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を物語に落とし込んだような小説です。はてなブックマーク、はてなブログ、はてな界隈で話題になるような、そういうお話なので、はてな界隈の人はぜひ読んでみてください。
『ひとんち』は本当に好き勝手やってるな、って短編集で、本当に好き。よくできたショートショート。個人的には一番楽しく読めて好きかもしれない。この中に収録されてる『シュマシラ』が本当に好き。
それ以外にも、澤村伊智作品は、「読者を楽しませよう!」という悪意サービス精神にあふれているので、ぜひ読んでみてください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054897874501kakuyomu.jp
テサキザさん作のカクヨム連載作品。無茶苦茶面白くて好きだったのに、連載が途中で止まってしまった。見ているだけではなく、ちゃんと広めたり、感想を言ったりすればよかったと本当に反省している。(連載が止まったのは別の理由かもしれないけれども。)
怪異もの。
口裂け女とかいろいろな妖怪が出てきて主人公が機転で切り抜ける話なんだけど、主人公が淡淡としすぎていて、一番怖い。
面白いのでみんな読んでみて!
v2.kan-geki.com
実際に見に行ったわけではなくて、アマゾンプライムに入っていたのをみた(現在は公開終了)だけど、無茶苦茶面白かった!
瞬きもできないようなテンポの速い芝居に歌踊りがついて、見てるだけでも楽しい作りになっているうえに、相互参照する入れ子構造っていうめまいを呼ぶような物語の構成になっていて、さっきまで遊びで劇中劇で行われていた芝居が、現実で、現実だったのものが語られた物語だったり、過去のことだと思っていたことが現在のことだったりと、幻灯機のように目まぐるしく動く世界が本当に楽しい。普通、物語って、どこからどう作ってどう付け足して、っていうのが見たら大体わかるんだけれども、これはどこからどうやってつないで、はじまりがどこでどうやってこんな風に収めてるのかが全然わからなかった。初めて見る物語で、本当に興奮してみてた。
www.youtube.com
とてもいい。1月くらいから聞き始めたんだけど、どんどん良くなる。
自分の中の柔らかい部分が戻っていく感じ。
1月の、「そろそろ人生のまとめに入らないとな…」って雰囲気から「色々また初めて見るか…」って思えたのは花譜さんのおかげかもしれない。自分が、一つの音楽をこんなに長く聞き続けることってないので、本当に好きなんだと思う。
(※後でかく)
(※後でかく)
(※後でかく)
2023年はこれと言って深く入り込むコンテンツはありませんでした。
そうそう出会いがあるわけではない。
映画『窓ぎわのトットちゃん』はかなりいい映画だったけど、人生を、というとそこまでではなかった。
…という感じでした。
今までの人生とそのコンテンツ。
これ以外にも面白いコンテンツはたくさんあったけれども、脳汁がドバドバ出て、『これは自分の人生の一部だ!』って強く言えるのが、上に挙げた、125本+αになります。
別にこれは、『面白いからおすすめ』っていうのではなくて、どちらかというと、自己紹介に近い。
美味しんぼの中で山岡が「ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランが『あなたが普段から食べているものを教えて欲しい。あなたがどんな人であるか、当ててみせよう』と言っていたが俺もそう思う。あんたがいつも食べているものを教えてもらおうか」っていうようなことを言うんだけれども(うろ覚え)今までの人生で面白いと思ったコンテンツというのは、それ以上の自己紹介だろう。恥ずかしい。
自分だけじゃなくって他の人の『人生オールタイムベストのコンテンツ』を見てみたいので、みんなやってみてほしいです。
よくある、経験と表現にまつわる話について。
「経験したことの方がリアリティがあっていいものが書ける」
「経験していないことを書くと、リアリティがなくてよくない」
(「じゃあ、ミステリ作家はみんな殺人をしてるのかよ」)
から進んで
「経験していないことを書くべきではない」
「当事者以外が、その問題について書くべきではない」
まで。
(たぶん後者の先に、「LGBTQに設定されたキャラクターは、LGBTQ以外の人間が演じるべきではない」があるのだろうけれども)
この理屈、理屈として通っているように見えるけれども、どん詰まりだと思っている。
なぜなら
「経験しているからこそ書けないことがある」
「当事者だからこそ、語りえないことがある」
という現実があり、
「経験していない人が、調べて、想像して、やっと表に出る表現、作品というものが存在する」
ということも十分にあるからだ。
戦争に行って人を殺してしまった、とか
ひどい虐待にあって人生がおかしくなってしまった、とか
逆に、虐待をしてしまい、それをずっと後悔している、とか
本人の中で、ひどい傷になっていて、その深さは、その人にしかわかりえないもので、それを語る『資格』ということになれば、確かにその人たちにしかその資格はないのかもしれないけれども、その傷の深さゆえに、それは容易に語りえないことになっていて。
そういう出来事を語る物語を、それをちゃんと調べて、想像して描かれる、当事者でない人の書いた物語に、その当事者の人の傷が癒される、ということだって、ある。(もちろんその逆もあるだろうけれども)
どんな物語だって語られていいし、経験がなくても、その物事をテーマにした物語を語ってもいいし、想像力の届く限り、どんな世界について手を伸ばしてもいい。と思ってる。取材、調査、資料集めは必要だし、いろいろと配慮は必要ではあるけれども。
特技・趣味はTwitterって書いちゃうような面白い人たちは集まれ! https://t.co/3SYACYVnsT
— Twitter Japan (@TwitterJP) 2021年12月14日
趣味Twitterはまだしも特技Twitterは完全に手袋を顔面に投げつけてるでしょ
— さめ (@SAMEX_1u2y) 2021年12月14日
特技・趣味はTwitterって書いちゃうような面白い人たち、これまでの人生で見たどの言葉よりも人の尊厳を踏みにじっている
— チクワスキー (@Tikuwa_sky) 2021年12月14日
ヒウィッヒヒー意訳にも程があるよ「面白い人たち」なんて一言も書いてないんだから、やめろよ、おれを紹介する時にインターネットで有名な人って言うのをやめろ……(20年前の記憶がフラッシュバックした) https://t.co/f5x26viGWr
— 麻草郁(かわいい) (@asakusan) 2021年12月14日