命とか魂っていっても、誰かが死んだとかそういう話ではなく。
社会における死の取り扱いというものではなく、死んだらどうなるんだろうとか、魂って本当にあるんだろうかとか、人の意識というものは自分では自分の意識を観測しているけれども、でもこれは“観測していると認識している”とだけで、本当は存在していない可能性だってあるのでは、とかそういう思考実験以前の、ポエムみたいな話です。
セルオートマトン、ってのがある
セル・オートマトンを利用したゲームの開発
セル・オートマトン - Wikipedia
ライフゲーム - Wikipedia
どういうものかは、上のリンク先を読んでもらうとして。
ざっと説明すると、格子状に並んだたくさんの四角があり、それぞれの四角は
- 誕生: 死んでいるセル(「白」)の周囲に3つの生きているセル(「黒」)があれば次の時間ステップでは生きる(「黒」になる)。
- 維持: 生きているセル(「黒」)の周囲に2つか3つの生きているセル(「黒」)があれば次の世代でも生き残る(「黒」のままである)。
- 死亡: 上以外の場合には次の世代では死ぬ(「白」になる)。
という条件が設定されている。
すると、その中に、偶然、まるで生きているようにふるまう“大きなかたまり”が生じることがある。
もちろん、それは生きてはいない。簡単な人工知能プログラムのように“個”としての塊もない。
ただ、その“生き物様のもの”は他者を捕食して大きくなったりまたは崩壊したりしながら、そして、それが多数集まって、一つの生態系のようなものを形作ることもある。
でもそれは生き物ではなくて、平面に定義された環境によって生じる、ただの模様に過ぎない。
この動画の4分半ごろから現れる巨大なグライダーを自動生成するシステムもただの模様だ。
そういうことを、時々、ふと、思う。
セルオートマトン、ライフゲームは、見てるだけでも楽しい。
入門はyoutubeのこの画像。
ライフゲーム入門 (Introduction The Game of Life)
続・ライフゲーム入門 (Game of Life Demo)