まず、最初に、人間の目のはなし。
人間の目、目というか視覚。感覚器である目玉と、それを脳内で処理する機能までをワンセットとしての視覚の話。
人間の視覚はモノをそのまま見ているわけではない。脳内で補正して、いろいろな調整を行っている。例えば、縦横、ちゃんと見ているように見えても、人間の目のレンズは凸レンズなので、少し魚眼気味に見えるようになっている。それを脳内で補正して、まっすぐ縦横がそろっているように変換している。色に対してもそう、周りの光の様子を考慮して、わざわざ意識しないでも、赤色を赤色と認識できるようにしてくれている。勝手に補正がかかるようになっている。
だから、金色と白の服が紫色と黒の服に見えたり、動いてないはずの図形が動いて見えたり、同じ長さの線が違って見えたり、格子の中に黒い点が見えたりする。これは、視覚が、そういう機能をデフォルトで用意しているからだ。情報の処理を容易にするための情報処理プログラムが誤作動をしている結果なのだと思う。
たぶん、一番有名な錯視。上下の線が同じ長さなのに違って見える。
また、人間の視覚の特異な能力として、垂直と水平をかなり正確に判断できる、というのがある。二つの線が交わっているとして、それが(だいたい)直角かどうか、判断するにはどうすればいいと思う?それが直角かどうか判断するには、その二つの線を水平と垂直方向になるようにするといい。そうすると、その線が、大体90度かそうでないかが分かる。人間の視覚、脳が、自分の体の軸に対して、水平と垂直をかなり正確に判断できるようにできているからだ。
人間の空間の認識は、だから、X軸とY軸でできている。空間の考えるときや、グラフを書くとき、物事を脳内でわかりやすく図にして整理するとき、必ずX軸とY軸に分けて考える。大体のひとはそうだと思う。
そして、人間の住処。家。それも、水平と垂直でできている。地面と、柱から。垂直に立てられた柱を、水平の梁で支える。大昔から、人間の建物は、洋の東西を問わず、その形で作られてきた。人間の、認識の仕組みが、そのまま、人間が作り出す世界の形になっている。
もし、人間が、縦横90度を基準にするのではなく、例えば、30度ずつであったり、72度ずつの認識をする生き物だったなら、数学や、そのほかの学問も、全く違うものになっていただろうと思う。X軸Y軸の距離で考えるのが基本ではなくて、極座標的な考えがベースになっているのかもしれない。極座標というのは、X軸Y軸の数値で場所を表すのではなく、座標における角度と、その起点からの長さで、場所を示すやり方のことをいう。(ちょっとうまい説明ができない)
直交座標系
引用元:直交座標系 - Wikipedia
極座標系
引用元:極座標系 - Wikipedia
ミツバチは、六角形の巣を作る。空間を3次元的に自由に飛びまわる。水平垂直の考え方が、あまり必要でないのかもしれない。水平垂直の世界の認識はなく、また別の方法で認識しているのかもしれない。ミツバチが、ほかのハチに、ミツのありかを知らせるためのダンスがある。いわゆる「八の字ダンス」と言われているものだ。仲間のハチにミツの場所を知らせるために体を動かして八の字を描く。その時の角度がミツの方向を示し、そして、そのダンスの長さがミツまでの距離を示しているらしい。極座標だ。ミツバチは、人間とは、別の世界を生きている。
ミツバチのダンス - 太陽に対する角度が方向を示し、尻を揺する時間が距離を示す
引用元:ミツバチのダンス - Wikipedia
ミツバチが、人間みたいに進化して文明を気づいたら、どんな数学や科学を持つのだろうか。どういう道具や家を作るのだろうか。想像してみるけれども、縦横で世界を認識する人間なので、どうにもうまく想像できない。
六角形の巣を作るミツバチに世界はどんな風に見えているのだろうか。
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