今日、家族全員で出る用事があって帰ってきたら、いつものように居間のテーブルの上にマメがちょんと座って「おかえり?どこいってたの?」みたいな顔をしていたので、いつもみたいに「ただいまめちゃ」っていってマメの頭をなでたりした。
思えば、マメはお出迎えをする猫で、家に帰ってきたら必ず玄関先にいたし(いるし)そのたびに、「ただいまめちゃ」っていうのが習慣になってた。大体人間の近くにいる猫なので、いま、キーボードを打っているこのモニターの隣でぼんやりと寝っ転がってます。たくさん人間がいるとそっちの方に行って「なにかたのしいことしてる?」みたいな感じで覗き込んでくるし、子どもたちがふたり一緒に何かしてたら必ず来て、一緒に遊んでるみたいになってる。今日も、長男と次男が、トーマスのおもちゃで二人で遊んでいたらそばに寄ってきて「なにしてるの?」って感じで、ふたりに鼻つんつんしてた。猫挨拶。猫は、出会い頭に鼻を突っつき合わせて挨拶する。その後、やっぱりいつもみたいに、次男にトーマスのレールにされかけてテッテコ逃げて行ったけど。
うちで、一番ホストする猫は、いまはもういなくなってしまったオシオで、イケメンの郵便配達員がくると必ず玄関先まで行っていた。(足音でイケメンかどうか分かるらしい)お客さんが止まりに来ると積極的に膝の上に載って撫でさせていたし。(それ以上に尻を叩けとねだっていた)マメちゃんはその次にホストする猫で。とにかく全身から「人間が好き!」っていうのを出している猫で。人がくると、グルグルとものすごい大きな音を立てて、目を見てくるタイプの猫だった。「スキ!」「スキ!」っていうメッセージ。
昨日から、自分も嫁もちょっと元気がなくて(表面上は元気にしてても沈んでて)そうするとマメちゃんがやってきて「どうしたんですか?げんきないですか?マメちゃんは元気ですよ?」って感じでいつも元気ない時みたいによってきて元気づけようとするので、それがなんか、マメちゃんだなあって思って。
自分は、となりの801ちゃんみたいな漫画を描いていますけれども、日常エッセイ漫画が苦手。日常エッセイ漫画というか、ドキュメンタリーとかそういうジャンルの話になるのかもしれないですけれども。だってエッセイ漫画って嘘じゃないですか。日常って実際意味も無くて、連続はしているけれども意味の連続性も因果もなくて、物語性のない出来事とも言えないことの積み重ねが日常じゃないですか。それが日常エッセイとして漫画にしたりしたときにそれは物語になるし、悪かったことや辛かったことも、のちに起こる良いことのための因果の一部になってとして語られるし、その「パッケージされた一つの流れ」の外にあるこまごまとした出来事は”無かったこと、あるべきではないこと”として排除されるし、語ることのできる辛い出来事は、それも楽しい思い出っていう形に変換されてやっぱり物語の中に回収されていく。
そういう風に上書きしていくことによって、“本当にある何でもない日常”っていうのが物語になって行ってしまって、でも自分は、それがその出来事や思い出に対して、誠意が無いって、そう思ってた。でも、それは、誠意とかそういう話ではなくて、日常のいいところだけ切り取ったりするエッセイ漫画は嘘とかそういうものではなくて。
エッセイ漫画と思い出って、すごい似てる。思い出は、どんどん思い出補正がかかって、それに付随するエピソードがどんどんかかわりを持った話になって行って、自分でも気が付かないうちに物語にしてる。存在するか分からない相手の感情とかも忖度して、一つの物語になってく。
そうしてないとどんどん色んな事を忘れて行ってしまう。記憶や思い出をそういう風にして、留めて行かないととどまらないから、そうやって思い出して、出来事を嘘にして、いいことだけ切り取ってアルバムにしてくのがエッセイとかエッセイ漫画なんだなって、なんかそういうのを考えてた。
ずっと、オシオの話とか、いまの、猫と子どもとの生活とか。そういう漫画が描けなかった。自分の中の”これは自分の中の「本当の出来事」を創作という行為で上書きしてしまう行為”だと思っていて。でも、そういうものを書いていこうって思った。色んな事は忘れてしまうし、どうしたって出来事はそんな風にしか覚えていられないものだから。
「今年の正月は実家にちょっと長めに帰る予定だったけれども、すこし短めにする」という電話をさっき嫁がしていた。嫁の母も、一回こちらにとまったときにマメちゃに会っていて、そのとき、一晩中枕元で「すき~人間がすき~」って感じでずっとゴロゴロ言われていた。(マメのゴロゴロはものすごく大きい)(うるさすぎて夜眠れないほど)(だからマメが枕元でゴロゴロいっていると人間は布団を頭からかぶって寝ることになる)
マメちゃんは少し猫喘息があって、よくゴヒュゴヒュとせき込むんだけど、その原因が、カゴや衣装ケースのフチに喉を乗せて、のどが圧迫される形で寝てるからで、身体をまっすぐにしてやると治まるんだけれども、自分でなんで咳が出るか分かってないから姿勢を直してやって咳が収まる度に「あれ?楽になりました。なんででしょう?」みたいな顔をする。(だからいつもそのたびアホアホまめちゃって呼んでた)それが続くと慢性的な喘息になると言われていたから咳をするたびに移動させてやっていた。
だからもし、介護することになったら、そっちの咳とか喘息の方が先かもとか思ってたんだけれどもなあ。
何時、子どもに話そうかっていう話を嫁としていて。ある一定以上、体重が減ったら(3.5kg)話そう、っていうことにした。それまでは、普通の日常として息子らにもマメにも暮らさせてあげようと思って。あと、これから、今まで避けていたけれども、オシオの話をしていこうと思って。思い出話とか、今、どうしてるとか、天国とかの話とか。嫁は、まだ、オシオのことを思い出すのが辛くて、嫁が一番話をできないのだけれども。
今日、お風呂でオシオどうしてると思うとかそういう話をしようとしたら「わかんない」って言われて少し困った顔をしたので、やっぱりまだ、長男はオシオのこと複雑なのだと思う。オシオが最後にいた動物病院の前を通ったら「オシオ、いま、ちゃんと寝てるかなあ?」って言ったりもする。
子どもとか、他の猫のこともあるので大人がしっかりしないとなって思った。
オシオのこと。オシオが今、どうしてるのかを説明するために絵本を書くのはどうだろうって思って、お話を考えたんだけれども、子どもに見せる絵本ではない感じのお話になってしまった。
オシオは、お葬式が終わった後、天国みたいなところに行って「さあ、そろそろ次は人間ね?」って思ったんだけれども「まだ、徳がたまってないからまた猫ですよ」って言われて怒ったオシオがその、天国と現世の間に猫喫茶を開くっていうお話。猫喫茶だけど、夜になるとお酒が出るタイプの店(スナック)。
そこに、恋愛に疲れた人とかが相談に来たりして益体もない返事をしたり、客に対して文句をいったり、イケメン連れてきなさいよ!って言っておこったり、他、やってくる他の猫に、カリカリを振る舞ったりする。
ちなみに嫁の友だちの婚活失敗話が一番好きだったオシオは立ち上がるのも辛くなってからも婚活失敗話には首をもたげて目を輝かせていたので筋金入りだと思う。
他にも嫁の腐女子友だちが集まって萌え話をしているときは心の底から馬鹿にした感じでわざわざため息をつきにいったりしていた。(嫁はオシオは腐女子を全く理解できないBL地雷の夢女子タイプだからと言っていた)
ただ絵本にするにあたってオシオが生前相談に乗っていた恋愛相談が、不倫っぽい話だったり、婚活だったり、シビアなのが多くて、とても子どもに見せるタイプの絵本に仕上がらないのでボツ!