orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

『プロメテウスの石皿』見てきました。7/1 14:00回

昨日、麻草さん(@asakusan)脚本演出の プロメテウスの石皿 の公演に行ってきました。面白かったです。本編も面白かったけどそれ以外のところも面白かった。(そこも含めてこの公演なのだけれども)。今まで噂には聞いていた新宿眼科画廊に初めて行きました。眼科とついているけれども眼科ではない、様々なアーティストの展示をする一風変わった画廊で、そこの地下階で行われた公演でした。

secret1972.com

とにかく、会場が狭い。間口が2間しかなくて、奥行きも6mくらい。天井も低くて照明も吊れない。
とにかく客席と舞台が近い。そういう場所でどういう演技プランをやるのか、なにができるのか。そういう諸条件から逆算して作られたような舞台でした。
間口を舞台にしては成り立たないので、どこに舞台を設けるかの工夫や、天井の低さから『舞台の段を作れない&照明も用意できない』のにどうやって空間を仕切るかとか。

実際の舞台の配置の仕方は、別図のようになっていて、お客さんが25~30人程度しか一公演に入れないという、本当に贅沢な舞台になってました。贅沢だった。


(※元画像は新宿眼科画廊のホームページからお借りしましたhttps://www.gankagarou.com/price/

いい意味で中学、高校の演劇部の学校公演のような舞台でした。
演技、演出の種類というのは客席との距離(距離といっても物理的な距離と精神的な距離がありますが、大体これはは比例する)によって、演技の種類というのは変わっていって、例えば、オペラや大劇場でする演技と、小劇場の客席との距離が近い演技では全く違ってきます。

ざっくり書くと遠距離では大仰な演技、近距離では誇張のない演技。適切な物理的距離と精神的距離を調整しないと、とても不自然でちぐはぐな感じになってしまう。そして、この舞台ではさらに近くて、舞台と客席を隔てるものはガムテープ一枚しかない(段差すらない)

舞台が舞台であるには『ここからここが舞台で、ここで行われていることはそちらとは世界が区切れていますよ』という『宣言』が必要で、それがガムテープ一枚しかない。照明で行われることもあるが、照明も場を青くするのとと奥に飾ってある仮面を照らすものしかなく、今回はそれは使えない。

なので、その宣言を成り立たせるために演出でいろいろなことが行われていた。それが面白かったです。冒頭から入る異質な歌唱や全員で仮面をかぶって『宣言』を行うことなど、『ここは異質です、この線から先は異界です』を成り立たせるためのアイデアがささやかながら色々ちりばめられていて、勉強になった。

結果的にそれが、中学生、高校生の学校公演で感じる異質さに似ていて、(おそらく類似の効果をもたらすために収れん進化したのだと思う)それがとても興味深かった。

公演後のトークで、練習期間がとても短かった、合計9時間くらいしか来れない子もいた、新人、ほぼ初舞台の子が二人いる、ということを聞いたのですが、それを感じさせないくらい女優の皆さんの演技もよかったです。歌唱パートが大変だったということだったんですが、作品の雰囲気を象徴していてあって本当によかったなと思いました。公演後に朗読劇があったのだけれども、なんと、当日の朝に台本が上がったということがトークで明らかにされました。ほぼ初通しのような状態で朗読劇が始まったのですが、みんなよどみなく、キャラクターが入った状態の掛け合いも自然で、「ああ、本当に、プロだな…」と思わされました。プロの仕事だった。



舞台で使われた仮面や使われなかった仮面の展示が1階でありました。(坂藤秀峰さん(@mojya2_syuho)プロデュース)

そちらもよかったです。本当によかった。展示の場所は新宿眼科画廊の1階の奥でちょっとわかりづらい場所にあるんですけれども、一見の価値ありです。エキゾチックだったり厄かったりと。あと、オーパーツ的な仮面があったりと、非常に面白かったです。

あの頃のインターネットと私の旧車會

blog.hatenablog.com

という、習慣はてなブログの記事を読んで。
とてもよくわかる。
わかる、が、しかし、そうもいかない事情というものもある。
昔と違って、炎上しやすくなったり、知らない誰かまで届きやすくなったし、インターネットが、『一般社会』になってしまったし、場所や出来事をそのまま書くと、簡単に住んでる場所やどこの誰かが人肉検索(バーストリンク)されるようになってしまったし。

昔のように書きたいけれども、今の自分はちょっとそのように書くわけにはいかない。少なくともはてなブログでは。
(もちろん、はてなブログで日常を綴っているブログはたくさんあるし、それらを楽しく読んでいます)

というわけで、自分は、discordを初めました。
知ってる身内の少ない人間と、日常や社会で起こったこととか、どうでもいい話を話したりする場所です。
これが、存外楽しい。楽しかった。昔のテキストサイトからの知り合いだったので、「あの頃のインターネット」が帰ってきたようだった。
で、ふと気づいたんですが、これって『旧車會』なのではないだろうかって。
(説明もいらないでしょうが、旧車會というのは昔暴走族をやっていた現サラリーマンなどが集まって、暴走行為をする大人たちの集まりです)
それぞれ違う道を歩いていた人たちが、それぞれ同じように歳をとって中年になり、ふと、人生を振り返り、そして自分の若いころの気心が知れた連中と一緒に遊んだり、飲みに行ったり、そういう風にしてつるむ。『旧車會』でなくても、村の中年の集まりだったり、いわゆる「おやじの会」だったり、「父親の会」だったり、そういう中年がお互いを慰撫する集まり。
昔は(というかついこの前まで)そういうのかっこ悪いし、自分はああはならないでおこう、と思っていたんですけれども、まあ、この有様です。
しかし、そういう状態になって思うのは、歳をとったらそういうのが必要なんだろうな、っていうこと。スタンドアロンでやっていけるほど自我というのは強くなくて、孤独でないことをどこかの場所で確認しないと持たないだろうって。

fujipon.hatenablog.com


fujiponさんの日記の中で

 僕も「他人の日常日記」が、ずっと大好きなので。
 そこには、自分には経験できなかった日常や、他者の考えが詰まっていて、「世の中にはいろんな人がいる」というだけで、僕はワクワクしていたのです。

と、あって、人には『誰かの日常』が必要なんだと思う。それは、今の自分の生活から遠く(でもそれほど遠くない)場所で生きてる人で直接生活にかかわらない人たち
それが、他人のインターネットの日記だったのだろうけれども、そして、自分もそれで十分だと思っていたのだけれども、それだとちょっと足りなかったみたい。または、上記の理由でそういう日記が減ったからかも。
そして、今、同年代の他人と色々話すことによって、色々とここ10年くらい自分を縛り付けてた枷と垢が落ちてるような気がしてる。砂場で遊んでた感覚を思い出したというか(それがいいことなのか悪いことなのかわからない。もしかしたらとても悪いことなのかもしれない)

何となくまとまりがないですけれども、今自分は、古いインターネットをしていて、多分、こういう小さいインターネットはこれから増えていくんじゃないかと思っています。

文藝ハッカソン!やってきました!

文藝ハッカソンって?

山田しいた先生の作品『乙女文藝ハッカソン』内に登場する架空の競技で、ハックとマラソンを合わせた協議ハッカソン(こっちは現実にある)を文芸に適応したもので、6時間~12時間の制限時間を設けて、複数人で一つの作品(1万字から5万字)を喧々囂々しながら仕上げるというもの。すごく楽しそう。
すごく楽しそうのなので、あちこちでやりたいやりたいといっていたら友人がセッティングしてくれました。超感謝。
そして、この間の土曜日、友人ふたりと、友人の友人ふたりの5人でハッカソンをしてきました。

文芸ハッカソンしてきた。

思ってた通りすごく楽しかった。
本来は実際に顔合わせてやるものなのだろうけれども、ボイスチャンネルとscrapboxの併用で何とかなった。(scrapbox用意してくださったひとまるさん、ありがとうございます)
本来は競技という設定なので、複数組で競い合うようにやるのだろうけれども、今回は『本当に作品を仕上げることが可能なのか』ということを検証する目的もあったので、競争はなしで。

【時間制限6時間、文字数1万字の小説をかく】

という条件で行いました。

実際にやってみた感想としては、一人で文章を書くのとは別の部分の脳を使う感じ。コミュニケーション脳と創作脳の両方を使ってるのでかなりヘロヘロになる。やってる最中はなんか脳から汁が出てるっぽくてすごい楽しい。ランナーズハイに近いのかも。
問題は楽しすぎて、『自分自身の作品を出力しないと圧』が抜けてしまうことだと思った。色々と満足してしまう。
あと、物凄く疲れた。6時間を終わったあとの虚脱がすごかった。そのあと2時間くらいぼーっとしてて。ハッカソンするときの時間の調整、作業の6時間の後、休める時間も確保した方がいいな、と思った。(そうするとまた、スケジュール調整が大変なんだけど)

出来上がり、かなりいいものができたと思ってる…んだけど実際どうなんだろう。作ってる時ハイの影響もあり、冷静な判断ができてない気もするけど…でもかなり面白いものができたと思う。自分一人では絶対に書かないような物語だ。

自分一人で物語を考えるときには思いつかない展開や、思いついても収束できないような展開がバンバン提案されて、それが、何とか収束していく様子をみてると違うけれどもなんか自分が頭がよくなったような気がする。また、ハッカソン中の出来事を思い返すと、色々発言があったことは覚えているのだけれども、どれが自分の発言で、誰の発言だったのかがすごい曖昧になっている。脳が外部化されているというか、そんな感じの体験をした。6時間のハッカソンでもそういうようなことを感じたので、12時間のハッカソンとかしたら、トランス状態みたいな『なんか今すごく頭がよくなってる感じ』がするんじゃないだろうか。と思った。一回やってみたい。(そのあとは今回の比じゃないくらい超疲れて大変だと思うけど)

また、やってみたい。今度は、2チームくらいで、競い合いながらやるというのもやってみたい。

そして、出来上がった作品がこちらになります。
kakuyomu.jp
ちゃんと面白いものになってますので、読んでみてください。都市伝説と百合だよ。百合?

当日のだいたいの流れ。

【参加者】
小島アジコ
アリカ
からすとうさぎ
壕野一廻
もちむら萬寿

【お題】
お題は診断メーカーを使う。
1つだと広がりすぎてまとまりにくそう、3つだと3つ目を無理やり入れることになりそうなので(大体の三題噺ってそうなりがち)診断メーカーで最初に出てきた2つをお題として使う。

お題「ココア」と「悪夢」
ここからタイマー6時間。

それぞれココアと悪夢から連想されるキーワードとかお話とかをとりあえず話していく。

ココア→眠れない夜に飲む、とか、冬の夜とか、ココアは味が濃いので毒を入れてもばれない、とか、
cocoa(接触アプリ)とかいう案もあって、それで『悪夢のような状況』とかでもいいのでは、とか、

なんか色々話していくうちに、
『ココアを売る謎の少女がいて、その少女が売っているココアを飲むとなんか悪夢をみる』という方向に固まっていった。

そこから、それに対してアイデアだし。

猿の手、アンテン様、笑うセールスマン系の話?
少女のプロフィールは?
ココアである必然性が物語にある?
どんな悪夢を見る?
お話の構造はどうする?

とか。
それに対して、巨大なココア工場がある町が舞台とか、見たい夢が見れる、とか、飲んだ人はいい夢が見れるけどその代わりに少女は悪夢を見るとか。オムニバスにするかとか。誰目線の話にするか。とか。自分ひとりでは短時間でこれだけでないので、人数多いとアイデアだしはかどるな、って思った。

色々なアイデアが出そろったところで、5人それぞれが出てアイデアを基に『あらすじ』をかくことに。大体1000文字くらい。

で、出てきた5案の中から、『物語としてしっかりしているもの』と『キャラクターがいいもの』の2択になり、書きやすさとかを考慮して、投票の結果『キャラクターがいいもの』で行くことに。

そのあと、決定されたあらすじを5分割して(内容的に2000字くらいになるだろう想定をして)、それをそれぞれ分担して、細かい(小説を書き出していく用の、シーンごとの)プロットを書いていき、それをガッチャンコした。ガッチャンコしたものを見ながら、伏線とか、キャラクターの性格とか、エピソードの整合性をとるための修正をがつがつと詰めていった。
自分では考えないようなアイデアや、思いついてもうまく書けないからなかったことにするような展開のアイデアが出てくるのが面白かった。それが採用されて行って、組み込まれていくのとかみてるのも。

そして、キャラクターの名前決め。なかなか決まらずにここで結構無為に時間を食ってしまった気がする。
名前診断メーカーでつけようって話になって診断メーカーを動かしてもしっくりとくる名前が出てこない。
安易だけど、ココアつながりで、『森永セイカ』とかどうだろうって話になり、それが採用になる。じゃあ、相方は?っていうことで、ココアを作ってる会社を検索して、そこの商品を検索したりで、また時間がかかった。バーホーテンというアイデアもでた。外国人。苗字は小岩井に決まったけれども、下の名前が決まらない。『小岩井まきば』は何となく登場するキャラクターとあってない。結局、主人公とその友達につける名前を入れ替えると落ち着く、ということで、『小岩井まきば』と『森永セイカ』に決まった。
結構時間がかかったけれども、名前が決まると世界観とか世界のシリアス度とかが一気に煮詰まった感じがした。

詰めて、詰め切ったものを、またそれぞれに持ち帰って、本文を書きこんでいく。
共有のところに直接書き込んでる人もいたので、その内容を見ながら反映させて書いていった。

実際書き出してみると、文章量の多いところと少ないところの差が大きくて、最大2000字くらい文字量の差が出てしまっていた。それはちょっと次の課題だと思う。始める前は一番しんどい箇所だと思ってたんだけど、一番楽だった(自分の場合)。プロットがしっかり煮詰まって決まってたので、悩まないで書けるっていうのがよかったのだと思う。

そして最後、文章を持ち寄ってくっつけて、他のところのエピソードとの整合性をとるためにエピソードの修正をしたり、しゃべり言葉の修正をしたり。時間ギリギリまで粘ってその作業をしてた。

で、終了。

終了後、タイトル決め。みんなタイトル決めるの苦手みたいだった。なかなかタイトルが共有に上がってこなくて、どうしたのかと思ったら「ほかのひとがいいの出してくれるのまってた」とか。
結局すごい提案があり、みんなそれに乗ることに。天才か。
途中から、みんなココアを薬物扱いしていて、地の分で『ココアをやる』とか『ココアをキメる』とか書いてるのが面白かった。

当日利用したscrapboxの跡がこちら
scrapbox.io
音声チャットで会話をしながら、こういう風にやり取りをしていました。


すごく楽しかったです。機会があればまたやりたい。ハッカソン人口が増えると面白いし、社会現象になれば、乙女文芸ハッカソンの続編も読めるかもしれないので、みんなもやろうハッカソン。

あ、あと一つ後悔してることがあって、いざ文章を書き始めるタイミングで「よーい、ハッカソン」の掛け声ができなかったところ。

kakuyomu.jp

友達の作り方がわからない。

Q:友達の作り方がわかりません、どうしたらいいですか?

A:とりあえず友達を作ってみてはどうでしょう。

友達の作り方がわからない

いつからわかんないかっていうと、多分、小さいころからずっとかな…。大学生くらいまでのころは、学校で適当に過ごしてたら、適当に友達ができて、一緒にご飯食べたり遊んだりしてたんだけど、社会人になってから友達の作り方がわからない。わからないまま、今に至ってしまった。
漫画家になってからは、あんまり人に会わなくなったので、さらにちょっとわからなくなった。子供ができてからはなおさら。
最後に、友達っぽい友達ができたのは、インターネットの初期、テキストサイトとかしてた頃で、(そのころの人とは実際に会ったり、メッセージで話したりすることも稀になってしまったけれども)それ以降、うまく人間関係を構築できてない。
ブログや、サイトを、同時代からやって、同じようなインターネットを共有して、お互いの記事にブックマークして、認識して、多分、お互いにある程度好感を持っているだろうって人間はいるんだけれども、どうにも距離を縮めることができない。そういう状態が続いていて15年。
気づけば、そのころ一緒に同じ風景を見ていたよく知る他人が、ふと気づくと、歯が抜けるようにいなくなってしまっていた。急にサイトが消えたり、死別したり。

結局一回も直接話やメッセージをやり取りすることもなくいなくなってしまった人もいる。天野大気さん、id:hagexさん、id:raf00。多分、これからもそういうことは増えていくんだろう。今月、突然、id:fujipon さんの、琥珀色の戯言といつか電池がきれるまでがForbiddenになってしまった。twitterのアカウント(@fujipon2)も消失してしまった。多分、これは、もう戻ってこないだろう。20年来、ちょくちょく拝見していて、勝手に友達みたいな気持ちになっていたけれども、いなくなる時はみんな突然いなくなる。

友達の作り方がわからない

友達の作り方がわからない。どうも、自分は人間の距離感、車間距離の把握が苦手なのと、プライベートスペースの大きさがちょっと人と比べて変なので、いつも他人との接触で失敗する。プライベートスペースが基本的に大きい(概念的な距離表示ですが、普通が1mだとすると4mくらい)ので、人と近寄るのが苦手で、でも、その境界を超えると、距離が急にゼロになってしまい、相手を戸惑わせる。気を付けているんだけれども、そうするとどうしても4mの距離を取ったままになってしまう。ずっと何とかしようって、30年くらい頑張ってきたんだけれども、どうも器質のようで、どうにもならんものらしい。初期のテキストサイトは、そこのところの距離の取り方が、かなり曖昧だったし、そういう人の間の距離の苦手な人が集まっていた空間だったので、自分でも友達ができたのだろう。

友情の維持の仕方がわからない

あと、友情の維持の仕方がわからない。度々飲み行ったり、メッセージをやり取りしたりするんだろうけど、でも、そんなに話すことないでしょう?友情を維持するために、コストを払い続けることをさぼってしまった。その結果が今の自分です。人間関係を維持するのにコストが必要ってだれも教えてくれなかった。学校の授業でやるべきだと思う。(学校はそれを学ぶ場所だというのはさておき)

Q:友達の作り方がわかりません、どうしたらいいですか?という人生相談の問いに対して、よくある答えが、A:会社以外の人間関係を作ってみましょう、カルチャースクールとかどうでしょうというのがあって、あるんだけれども、そもそも、友達の作り方がわからないんですよ。

自分が相手に何をできるかを考えてしまい話しかけれない

人と付き合う、交流するときに、”ギブアンドテイク”を考えてしまう。いや、利害関係で考えてるわけでも、相手から何かをもらいたいというのでもなく、ただ、自分が誰かと関係を持つときに、『自分が相手に何か与えられるものがないと相手と付き合うのは失礼ではないか』と思ってしまう。何らかの利益を相手に渡さないと、と思うし、自分が相手に利益を与えれない相手と付き合うのは、何か申し訳ない気持ちになってしまう。多分、これは間違っているのだろうというのはわかるのだけれども、何となく気おくれしてしまう。

要は勇気がないんでしょ?

色々、書いたけれども、要は、自分が他人との距離を認識するのが苦手ということに尽きる。失敗しながら学ばないといけなかったのだけれども、それをさぼってきたのが原因なのだ。何度も何度も、誰かに話しかけて、距離勘を失敗しながら身に着けて行って、そして、知り合いになりたい人や友達になりたい人と、ちゃんと友達になっておくべきだったんだ。

要は勇気がないんでしょ?要は勇気がなかったのだ。
人はいつまでもそこにいるわけではなく、櫛の歯が抜けるように、川の水が流れるように、いつの間にかいなくなってしまう。ああ、寂しいな。寂しい。

友達を作ろう。思い返すと何回も同じことを言ってるけれども。頑張ろうと思います。


discord.gg



公開のdiscordをやっています。もしよろしかったら参加してください。


人間賛歌の作り方~物語の要素論~

【ちょっと文章勘を戻そうと思って】

毎日なにがしか文章を書こうと思っている。
まあ、三日坊主で終わってしまうだろうけれども。できる限り頑張ってみようと思います。

【人間賛歌とは何か】

物語の要素としての人間賛歌というのは何か。厳密な定義はありませんが、『お話を読んでいて心に勇気や人間の魂の偉大さを感じる』物語が人間賛歌です。厳密な定義ができないものなので、言ってしまえば『あなたが人間賛歌だと思うものが人間賛歌』です。いい加減ですね。ライトノベルやセカイ系の定義のようなものです。
だから、今から上げる具体例は、自分が人間賛歌だと思う物語のシーンです。

  • JOJOの奇妙な冒険第1部で、少年が、勇気を振り絞ってトラップを解除するために部屋に飛び込むところ。「ねーちゃん! あしたっていまさッ!!」
  • 銃夢で、(元連続殺人鬼の)ビュイックさんが少女を助けるためザレムの死の天使の前に体を投げ出すところ。「ハロォ、ザレムの『死の天使』さん!勝利者インタビューに答えてよ~!」
  • うしおととらで、”たゆら”と”などか”の「満足する死とは何だ?」という問いに対して真由子が答えた言葉。「泥なんてなんだい、よ」
  • サムライミのスパイダーマン2で、ドクターオクトパスにスパイダーマンを引き渡すように言われた地下鉄の乗客が体を張ってスパイダーマンを守るところ。「俺を倒してからいけ」

【人間賛歌に必要な要素】

こういう部分に自分はどうしようもなく、『人間賛歌』を感じてしまう。尊い。てえてえ。
ただ、それ以外にも、一般的に人間賛歌に入るのではないかと思われるような『勇気を振り絞るシーン』『弱い人間が成長するシーン』には、そこまで強く人間賛歌を(僕は)感じない。ここら辺はもう、人それぞれなので、好みの問題ですねとか言えないのですが、ただ、自分が『人間賛歌』だと思うものには共通点があって、今からそれを分析抽出していこうと思います。
上で上げた例で当てはまらない要素もありますが、ただ、経験的に”こちらの方がアガる”というのはわかるので、そういう要素はあるものとして抽出していきます。

  • 主人公(そのシチュエーションで人間賛歌を奏でる人物)は無力な存在(または卑怯な存在)である。(※邪悪な存在ではない)
  • 主人公に対して、その”勇気の方向”に導く存在がいる。
  • 逃げる、という選択肢がある。

っていう要素が抽出された。
うしおととらの真由子の例は当てはまらないものが多いけれども、でも、うしおととらは全てが人間賛歌みたいなものだから……。

【それぞれの要素の分析】

主人公(そのシチュエーションで人間賛歌を奏でる人物)は無力な存在(または卑怯な存在)である。(※邪悪な存在ではない)

卑屈で弱い人間が、勇気をまとう瞬間というのに弱いみたい。弱いけれども勇気だけはある人間が障害に立ち向かうというシーンよりも断然上がる。
なぜ、精神的に弱い人間が勇気をまとう瞬間に人間賛歌を感じるのかと考えたら、そこには(彼らが弱いからこそ)『人間は全てが強い存在』っていうメッセージを受け取るからだと思う。

主人公に対して、その”勇気の方向”に導く存在がいる。

JOJOの場合はジョナサンジョースターと姉ちゃんだし、うしおととらではうしおだし、銃夢ではバージャックの人たちだし、スパイダーマンではスパイダーマン。人間賛歌の奏者は、何もないところから勇気を絞り出すのではなく、『勇気あるもの』に感化されるようにして心の奥から勇気があふれ出しているんですね。
これは、サムライミのスパイダーマン2のテーマにもなっていて、『なんで人が勇気を振り絞ることができるのか』ということの答えが『心の中にヒーローがいるから』っていうことなんですね。スパイダーマンはニューヨークの平和を物理的に守っているけれども、それ以上に『この世の中には正義のために戦うヒーローがいる』という事実が人に元気と勇気を与えるっていう話です。だから、地下鉄で、スパイダーマンの正体が”息子くらいの小さい子供”だと知った普通の市民が、ドクターオクトパスの前に体を張ってスパイダーマンを守ろうっていうシーンにつながるわけです。
上の要素ともつながっていて、弱い人間が誰かに憧れたり、誰かの言葉や勇気を支えにして困難に立ち向かうっていうのは、(自分が弱い人間なので)すごいアガる。あと、説得力があるのかもしれません。

逃げる、という選択肢がある。

これは、作劇上の技術の話で、絶体絶命で戦う以外の選択肢がない時よりも、逃げるという選択肢がある方が、『自分で選んで立ち向かう』という行動、そしてそれに伴う勇気と意志がくっきりと浮かび上がるからです。好き。

人間賛歌は、以上の要素がその働きを果たすことによって奏でられるのだと思います。

【作例】

以上を踏まえると、

  • 主人公がどのように無力(卑屈)か。
  • 主人公を勇気に導く存在は何か。

という2点を設定することによって、いくらでも人間賛歌を生成することができるようになります。できるはずだ。

以下、いくつか作例を上げる。

作例1

設定

  • 主人公がどのように無力(卑屈)か。
    • 20年まえに特撮ショーの中の人をしていたが、その後退職、ずっとアルバイトをしていて、生活は苦しく、他人を思いやる余裕はない。
  • 主人公を勇気に導く存在は何か。
    • 20年前の特撮ヒーロー。そして演じていた自分自身。

物語
主人公は中年アルバイト、生活は苦しく、自分に関係ないことには関わらない。極力面倒を起こさないように、周りでトラブルがあってもすぐ逃げるような生活をしている。ある日の深夜、アパートの隣の部屋の小学生が部屋の前でボロボロになっている。どうやら、虐待を受けているらしい。トラブルはごめんなので関わりたくないが、つい、子供を家に入れてしまう。どうやら子供は昔の特撮に詳しくて、自分が昔中に入っていた特撮ヒーローが特に好きらしい。主人公は、その子供に、『ヒーローなんて本当はいない、だっているのなら、なんでそうなってるお前を誰も助けに来ないんだ』というようなひどいことを言ってしまう。曖昧に笑う子供。その顔をみて後悔する主人公。隣の家の父親が隣の部屋にいるのに気づいて入ってくる。ひょろひょろの主人公と違って結構ガタイがいい。何勝手なことをしてんだ、っていって、殴られて倒れる。ごめんなさいごめんなさい、と謝ってしまう主人公。
それからたまに深夜に部屋の前で座っている子供を見つけるが、無視して部屋に入るようになってしまう。
(昔のヒーローショーの時の自分を思い出して、煩悶とする日々)
ある日、隣の子供が家に駆けこんでくる。実は隣の子供には妹がいて、妹が今、怪我をして大変なことになっているけれども親は病院に連れて行こうとしないらしい。なんでそこまで妹に真剣になるのか聞いたら、「俺は妹にとっての〇〇〇〇(ヒーローの名前)だから」。その言葉を聞いて、かつての自分を思い出して勇気を振り絞って、隣の部屋に飛び込んでいき、ぼこぼこにされながらも妹を連れ出して、病院に連れていく。

作例2

設定

  • 主人公がどのように無力(卑屈)か。
    • 非モテ。好きな子がいるのに、好きだと伝えられない。
  • 主人公を勇気に導く存在は何か。
    • モテ。ギャル。

物語
主人公は小学生の時は普通だったけれども中学生くらいから陰キャ非モテカーストに。気が付けば高校生。同じ放送部に好きな女の子がいるけれども、告白できずに適当にはぐらかす日々が続いていた。彼には幼馴染のギャルがいる。(小学生の時の同級生、昔は普通)恋愛中毒のギャルで、彼氏が常にいる。別れて付き合って別れて付き合って。いつでも、これが最後の恋っていってる。主人公とは結構話す仲で、恋の話とか結構聞く。主人公のビビリと告白できなさに対して、『わかる』と共感を示す。どんなに場数を踏んでも、人に好意を伝えるのはいつだって怖い。でも、それを越えないと恋は手に入らない。主人公にライバルが現れる。ギャルの元カレ。急速に放送部の彼女との距離を縮めていく。「告白されちゃった」「どう思う?」って相談される主人公。最初、適当にはぐらかすけれども、ギャルの言葉を思い出して、勇気を出して、自分もその放送部の彼女のことが好きだと告白する。

作例3

設定

  • 主人公がどのように無力(卑屈)か。
    • 詐欺師。霊能者をしていて、前世の~とか言ってお金をだまし取っている。
  • 主人公を勇気に導く存在は何か。
    • 本物の超能力者。

物語
前世がわかる、前世の行いが悪いせいで今の不幸が、といって、小金をだまし取っている主人公。ある日、本物の霊能力者にであう。(※盲目だとキャラクターがたつ)触ったものから人の心が読めて、近い未来を予測できる能力者。ある老女をだまそうとしてるときに、その孫だった。その少年に触られて心を読まれて、だますプランを台無しにされてしまう。憤慨する主人公だったが、しかし『このガキを使って日一儲けできるぞ』と思い直す。一緒に来るようにいうと、祖母がもうすぐ死ぬからそれから後ならいいという。果たして少年の予言通り祖母は死に、少年は詐欺師と一緒に行動するようになる。全部わかってしまうのは辛いだろうなと同情する。詐欺師は少年と一緒に行動するが、少年は真実を言ってしまうので、詐欺の仕事にならない。少年と別れて、一人で詐欺の仕事に戻る主人公。前と同じように詐欺の仕事をする。しかし、昔は気にならなかった(だまされた人間のその後)が気になって仕方がない。ある日、大口のカモを見つける。末期のガンで、家の財産を使い込み、家族を無視して詐欺医療に莫大な時間と金を使い込んでいる。家族全員不幸になっている。今までの自分だったら、搾れるだけ搾ろうとするだろうが、ふと、あの少年だったらどうするだろうと思ってしまう。「ガンは治らない、あなたは死ぬ、家族との時間を大事にしてほしい」というのを相手に伝わる言葉で伝えて、その場をさる。少年と再会する。




……いくらでも作れるな。これ。