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FGO人理修復の旅:終局特異点「冠位時間神殿ソロモン」ネタバレ感想と考察

こちら、

FGO人理修復の旅:6章「神聖円卓領域キャメロット」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
FGO人理修復の旅:7章「絶対魔獣戦線バビロニア」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記

の続きです。



先日、やっと、FGOの第一部をすべてクリアしました。人理修復を完了しました。

以下ネタバレ感想です。









終局特異点「冠位時間神殿ソロモン」人理修復後、最初の感想。

「え?」「え?」「所長は?」
















オルガマリーショックからやっとこさ立ち直ったので、色々と終局、また、第一部の感想を書きます。こういう風に描いてるけれども、本当にFGO1部は素晴らしくて、いい物語だったので、(だからこそオルガマリー所長の不在が辛い)本当に面白かったんですよ。ありがとうございました。


以下、本編に対する、ネタバレがあります。本当にネタバレがありますので、プレイしてから読んでくださいよ。約束ですよ。









Fate/Grand Order

Fate/Grand Order

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当たり前の展開なのに当たり前に泣いてしまう。ずるい。

それまでの章は、毎日、1節ずつとか少しずつ進めていたのだけれども、終章は1日で終わらせてしまった。物語的にそちらの方が正しいと思ったので。物語上でも設定されている制限時間は72時間、一気に戦い抜くシーンだと思った。
去年、リアルタイムでプレイしていた人間は何度も復活する魔神柱との戦いのイベントがあったらしくて本当にうらやましい。
どうやっても絶望的な状態になったとき、今まで一緒に戦った仲間が助けに来てくれるっていう王道展開。とてもベタでベッタベタなんだけれども、これだけしっかりと準備して、そしてその展開へ対する地盤をしっかり固められたうえでやると、本当に心がムーブするというか、泣いてしまう。今までの自分たちの旅は無駄ではなかった、そう思える。


魔神柱の「わーこれ手に負えんわ、あかんあかん」ってなってからの、1章からの仲間が助けに来てくれるシーンの連続が本当に良かった。良かったんだけど、ナベリウス…。「フハハハハハ!俺を読んだか!」「誰?知らない人…?」


巌窟王、巌窟王イベントしてないから誰だか分からない…。ほか、イベントでしか見ない人たちが助けに来てくれて、他はそれ以後のイベントでも結構出ているから知ってるんだけれども巌窟王だけはあまりにも初対面な上、「呼んだか?!」っていうテンションで来るので、本当に困惑する…。今までの「おおお…」って涙がヒュン!って引っ込む。これ本当に問題だと思うので、巌窟王イベント復刻してください本当お願いします。多分、そのうち、BBちゃんのイベントも同じようになるような気がするので、BBちゃんのイベントも復刻してください。あと、それとは別に綺麗なオルガマリー所長分が不足しているのでそれも何とかしてほしいです。


絆を結んだ英霊のほかに、その時の時代時代の兵士や海賊や人間が助けに来てくれるのがすごいうれしかった。むしろ英霊よりもそっちの方が嬉しかった。人の歴史を作り守るのは、一握りの英雄ではなくて、その時代を生きたたくさんの人間たちだったいうのが、多分、お話の根っこの部分にあって、だからこその、一般市民召喚がとても良かった。ずっと一緒に戦ってきたもんな。名前もないたくさんの人間が人間の歴史を作るんだよう。


ロマニ=アーキマンという人間

なんでロマニ=アーキマンは人間で無ければならなかったのか、っていうと、上の、人間の歴史を紡ぐのは英雄ではなく、ひとりひとりの人間である、っていうところに繋がってると思っていて。ロマニっていう、英雄でもない普通の人間が、魔神を倒す、封じるということに意味があるんだと思う。ソロモン王という魔術師ではなくて。


「ラーマーヤナ」の主人公、ラーマはヴィシュヌの転生なのだけれども、記憶を失ってただの人間として生まれる。ただの人間だからこそ、神様でも倒せない魔王ラーヴァナを倒すことができた。ラーマは5章で出てきた英霊なのだけれども、人間の歴史を人間が紡ぐというエピソードなのだと思う。
で、第7章では古代ウルクを舞台に、そのこと自身がテーマになっている。
人の手で、歴史を紡ぐ、神様から与えられた力を空に返す。


“本当はすごい人間だったんだよー”って感じのが明かされるのだけれども、でもそれまでの1~7章の抜けてて、肝心なところで役に立たなくて、失敗もするし、慌てるし、空気も読めない、そういうロマニも本当のロマニなんだと思う。人間として生きるってたぶんそういう事なんだと思う。笑ったり、泣いたり、失敗したり。良くパーティを開いていて、人理修復が成功したらそのたびに小さいお祝いをしたり、最後の旅が終わった時のためのお祝いの準備をしていたりして、そういう、日常の小さな楽しいことの積み重ねを大事にしていく、生活していくっていう事をとても大事にしてた。生きることを大切にしていた。


去年のイベントの流れでは、2016のクリスマスイベントが終章の前だったから、クリスマスイベントを終わらせてから終章に突入した方がいいと聞いた。なので、クリスマスイベントを終わらせてから終章に突入した。クリスマスイベントの中で、アステリオスが、ぼくの願いは、この楽しい時間がずっと続くこと。でもそれがかなわないのは分かってる。でも、だから、いま、ここでこうしていることが幸せだし、それが嬉しい。というようなことを言っていて、ああ、このカルデアでの暮らし、旅というのはそういうのなんだな、って思った。

『死にたくない』は死を否定するけれども『生きたい』は死を肯定する。

グレンラガンなどでもそうだけれども、生きる、精一杯生きるっていう事の果てには、死がある。生きることの肯定はその果てにある死までを含んての命への賛歌。生きたいっていうのは命の肯定で、命は、生まれて、生きて、そして死んでいくもの。
1章のマシュ、所長、主人公の「死にたくない!」っていう気持ちから物語は始まって、そして終章の「生きたい!」っていう意思で終わるのがとてもきれい。
何のために生まれて、何のために生きるのか分かんない。誰からも認められてないし、自分が何者なのかもわからない状態から、いろいろな時代を旅して、いろんな人の人生に触れて、人の死に触れて、人との別れを経て、生きるっていうことを意味、すばらしさとかを心で理解して、生きたい、この先の景色を見たいって思った時に示される、人生の制限時間。死にたくないけれども、それは死にたくないから死にたくないのではなくて、生きたいから死にたくない。だから、ゲーティアから、「死なない」方法を提示されるけれどもそれは選べない。それは、同時に「生きない」っていう事だから。所長……。所長の時間は「死にたくない!」のまま止まっているんだ……。
所長は本当にマシュとの対比のキャラクターとして作られていて、冬木の時点では、同じように自分の人生を生きられていないキャラクターだったのに…どうしてこんなことに…慢心…?環境の違い…?

「満足する死とは?」「『泥なんて...なんだい』よ」

っていうやり取りが、『うしおととら』にあるんですよ。すごい好きなエピソードなんですけれどね。刑場で、人が処刑されて死んでいくのをずっと見ていた妖怪がいて、彼らはそこで嘆き悲しんで死んでいく人たちをずっと見ていた。でも、その処刑されている人間の中にも笑って死んでいく人間がいる、それを不思議がったその妖怪たちは、人を集めては「満足する死とは?」と聞いていくんです。で、それに対する、答えが、「『泥なんて...なんだい』よ」何ですけれども。
自分の命よりも大事なことがあって、それは人によって違うけれども、それを守れる、または貫けるならば、それは、”死なない”ことよりも重要なんだっていう。


えーお前…フォウ君……きみ……。

フォウ君……。ケモノじゃん……。

といいつつ、マシュ……マシュ……。

マシュの背中はとても小さくて、あまりにも過酷だって思った。普通の女の子みたいに生きて行ってそれで年を取って死んで、ってそういう当たり前の生き方をなんでできないんだ……。最後、主人公、泣きながら何度も転んでカルデアに戻るのが見えるし、ラストバトル、アレ、絶対ステゴロだと思う。


FGOは「夜に留まる」物語ではなくて「光の当たる場所」を歩いていく物語

同時進行で、アニメの(DEEN版の)Fate/stay night も観てた。

amazonプライム:Fate/stay night 2006

10年越しの遅れた履修だけれども、初めてちゃんと(ちゃんとというとゲームもしないといけないんだけれども)Fate/stay night という物語に触れました。(断片としては色々と知ってた)
で、思ったのは、Fate/stay night というのは「隠されたヒーロー」の話、誰にも顧みられることのない正義の味方、の話だということ。

正義の味方が何で顔を隠しているのかっていうと、それは『どこの誰かは知らない人』が正義のために戦っているということが大事だから。スパイダーマン2の作中で語られているのだけれども『自分の知らない誰かが、誰にも褒められず知られることもなく正義のために戦っている、それが、普通に生きてる人間の心の支えになってる、自分も正しい行いをしようという勇気を呼ぶ』っていうこと。
だから正義の味方は顔を隠しているし、誰にも知られることもなく世界の平和を守っている。

たくさんの、名前のない“正義の味方”が誰にも顧みられることなく、戦っているというのが、マスクドヒーローのコンセプトで、そして、Fate/stay night はそういう光の射さない闇の中で戦う「誰も知らない正義の味方」の話だった。

Fate Grand Orderは、それとはまったく違う、光の当たる場所を目指して歩いていく物語だった。どこにも英雄はいなくて、普通の人間である主人公が、普通の女の子と一緒に、希望を目指して歩いていく物語だった。どこにも英雄はいなくって、ロマニも普通の人間のまま消えていった。所長……。*1
そういう普通の人たちが、みんなで頑張って、その力を束ねて、その結果として人理があるっていう、そういう物語だった。

「誰も知らない正義の味方」はその生き方を貫いた場合、果てることのない戦いを続けて、いつかそのまま闇の中へ消えて行ってしまう。終章の最後、嵐のやんだ青空の下を歩いていくのは、とてもいいエンディングでした。















「所長……」











所長ロスが抜けないので、亜種特異点に突入するのはたぶん年明けになりそうです…。それまでは種火とか集めて、地道にレベル上げたりしてます。

*1:誤解ないように言っておきますけどFate/stay night の隠されたヒーローの話も大好物ですよ。男子はみんな隠されたヒーローの話が大好きです。ただ、これは物語のタイプの違いということで