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共同体の再生産がないために文化が継承されない社会をどう生きるのか//鉄血のオルフェンズ(※ネタバレあり)


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前回の続き。というか書き足りないもの。

前回の記事:鉄血のオルフェンズやっと全部見た。 - orangestarの雑記


TVアニメ「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」Original Sound Tracks


やっぱり、オルフェンズ面白かった。あれだけの人間の群像劇がきれいにまとまってるのも脚本の技術的にすごいし、新しいガンダム(というかガンダム以外のもの)を作ろうという気概を感じた。今までのガンダムものにある既存のガンダムのパロディやオマージュがなかった。(あったのかもしれないけれども気が付かなかった)
あくまで視点は個々人の目線からのもので俯瞰をせず、それでいて、宇宙全体を含む世界がスライドしていく様子を描いているのはすごい技量だと思った。
いろいろと、個人的に興味深いところがたくさんあったので、それについていろいろとメモ。



広島ヤクザと県警の抗争、的な部分はあるけれども、まあ、それはみんな語ってると思う、というか、もうそのままなので、特に話すことがない。




長いので記事目次

共同体の再生産がないために文化が継承されない社会

例えば、1900年代のロンドンの話。
まずはイギリス料理はなぜ「まずい」のか─産業革命と二度の大戦から - VKsturm’s blogの記事など読んでもらったほうがわかりやすいのですが。
農民が農地を追われ生活ができなくなり労働従事者になる

労働者が都市に流入してくる

貧困で家庭の再生産ができない

それまでにあった伝統文化が途絶える

貧困層になり食事や文化という概念がなくなる

っていうことが起こってました、ざっくりとですが。


同じようなことは、明治初期の日本でも起こっていて、各地方から東京に流れてきた貧困層が、教育を受ける機会もなく、糞尿と汚物にまみれた長屋に住んでいたそうです。掃除という概念がなくなってしまっていたんです。
貧困の状態が著しくなり、文化の再生産が行われなくなると、“住む家”という概念がなく、“この世”自身が、自分たちがとどまる場所という概念がまったくなくなっていきます。生活をより良くしようとか、住処(これは現世というのも含めて)という概念がないので、掃除もしないし、これから生活をよくしていくという意識もない、という状態になります。そういう長屋のひとたちはある日どこかにいなくなり、後には、遺骨が残されたまま、ということもあったそうです。
その人たちの毎日の食事は、というと、当然、日雇いの仕事では賄いきれないので、豚用の残飯が主食でした。それ専門に売りに来る業者がいて、エサの状態での等級もあったそうです。


これは日本の例ですが、おそらくほかの国でも、福祉がない世界の最貧困層というのは同じようなものだと思います。スラムにもおそらくランクがあり、再生産ぎりぎり可能なスラム以下を「宇宙ネズミ」と言われている人たちのおかれている状況として設定しているんじゃないかな、と思いました。


そして、ヒューマンデブリと云われている子どもたちですが、ここら辺は、炭鉱とかプランテーションで働く、お金で取引される実際にあった、そして今でもある児童労働あたりが、たぶんモデルになっているのだと思います。


これらはおかれている状態ははた目からは似ているように見えるけれども実際にはかなり違うもので、そこらへんの当事者の間隔の違いみたいなものが作中でさりげなくでもしっかりと描かれてて、よく作りこんでいるな、と思いました。これはすごい。


そういう世界、福祉がなく機能していない世界で、ドブネズミみたいに暮らしている生き物が、人間としての自覚を持ち、人間らしい生き方を目指す話というのには、でっかいフィクション的な装置が必要であり、そこにぶち込まれたのが、後述する、クーデリア・藍那・バーンスタインです。これはやばい。何でもないような人間として描かれているのがさらにやばい。そして、ある程度“俺たちは人間なんだ”って感覚が産まれ始めてから投入された、生まれ変わり、来世、っていう宗教の概念がすごい。宗教というのも文化的な再生産のたまものであり、また、未来への希望でもあり、そして、それまで、そこにはそういう感覚すらなかった、という描写がたぶん、これってものすごいです。彼らは、鉄華団を作り、クーデリア・藍那・バーンスタインと出会うまで、なめくじ長屋に住み、家族の遺骨を放置してどこかへ行ってしまう人たちと同じだったのが、お葬式と弔いをするようになった、文化を得たという描写なわけです。すごい。


もう少し詳しくはここら辺参照で

クーデリア・藍那・バーンスタインが作中で一番人を殺し、そしてこれからも殺し続ける

クーデリアです。クーデレじゃない。まったくクーデレ要素はない。デレるときは徹底的にデレる。クーデレではない。で、そんなクーデリア様ですが、彼女の存在によって、非常にたくさんの人が死にます。ドルトコロニーでは彼女に感化された人たちが反乱を起こし、たくさんの人が死に、また、2期の冒頭で、彼女が世界をよくしようと行った行為によって、ギャラルホルンの権威が失墜して、各地で紛争が起こり、またそれによってさらに多くの少年兵やヒューマンデブリの少年が戦場に駆り出されることになりました。鉄華団崩壊後から、ヒューマンデブリ全廃までの動きの間にもたくさんの人が巻き込まれて死んでいったでしょうし、ヒューマンデブリの撤廃が締結された後でも、南北戦争前後のアメリカの歴史を見れば、これからも当分の間、これまで以上の血が流れるであろうということは想像ができます。鉄華団だって、いってしまえばクーデリアの理想に巻き込まれた結果ああなってしまったということもできます。もしあの時クーデリアにあわなければかつてのCGSのような、小さな仕事をコツコツとやるような企業になっていただろうと想像できます。


もうフミタンじゃない。自分のために死んだ人間を踏みしめて進む覚悟

最初は夢見がちな自分の理想を語るだけの少女だったが、友人であるフミタンの死によって、人の死体を踏み込えて歩くという覚悟を決めていくのですが、ここで、もう、クーデリアもほかの登場人物と同じ、死んでいった人間に縛られて、未来を固定される人間になるわけです。オルフェンズの低いところにずっと流れ続けるテーマに、19話でマクギリスが言った言葉「消えない過去に縛られて、輝かしいはずの未来は、全て、愚かしい過去の清算にのみ消費される。」というのがあります。別の言い方をすれば、死んだ奴らに顔向けができない、とか、俺はみんなの思いを背負って戦っている!というような言葉になるわけです。登場人物全員が、ほとんどみんなそのような過去を背負って、だからこそ、同じ過ちを繰り返す方向へ舵を切り続けたりしてしまうという。ちょうど、博打で負けが込んでいるときに、引き際を間違って今まで負けた分全部を掛け金として振り込んでしまうような、そういうのに似ています。
で、まあ、そういう転換点を人生において迎えるわけですが、それ以外の日常が、相変わらずのデレるときはどこまでもデレるクーデリアさんでよかったですね。いや、本当に本当に。
オルフェンズのいいところに日常描写というのがあって、そんな風に過去に引きずられた人たちであっても、日常はあるし、普段の生活もあるし、そういうのがあるからこそ、今日を生きていける。思い出や。人とのつながりというものが、そういう日常から生まれていくということを、ちゃんと描いていてとてもよかったです。ガンダムWのリリーナ様のような、決意に満ちた神がかり的な指導者もそれはそれで好きですけれども、クーデリアは、どこまでの、デレデレしてしまう人間であり、人間のまま、人の死体でできた道を歩こうとする人間であってとてもよかった。ここら辺が、(ある意味の)クーデリアの変奏であるマクギリスと違うところで、その結末の違いでもあると思います。


ギャラルホルン幕府。軍隊ではなく警察としてのギャラルホルン暴力装置

ギャラルホルンは、その軍事力によって、4大経済圏の調整をしていますが、支配というほど、強いものでもないっぽい。作品を見てるだけの感想で、実際に資料集などを見たわけではないので、実際の設定のところはわかりませんが。ギャラルホルンが、各地の紛争が起こらないようににらみを利かせているわけですけれども、それを担っているのは伝統による権威と軍隊という実力によって、なわけです。なので、軍事力としてなめられるわけにはいかないし、身分制度や支配地域ごとの格のような、支配体制を維持するための装置を傷つけられるわけにはいかないわけです。江戸幕府身分制度や、藩ごとの格の設定など、そういう軍事力と権威による支配体制が、なんとなく幕府という制度に似ているような気がします。


何故ラスタル・エリオンはダインスレイブを選び、マクギリスはガンダムバエルを選んだか

実際のところ、ダインスレイブを持って行ったのはイオク様ですけれど。まあラスタル陣営ですし、また、ラスタル様も知ってて黙認したっぽいですし、そのあとも自分自身で使ってるですし、ということで、まあ、ラスタル様。ということで。
マクギリスが倉庫に行ったときにはすでにダインスレイブがなかった、というのはさておき、ただ、きっと、倉庫にはダインスレイブみたいなご禁制の兵器ってたぶんまだほかにもあるでしょうし(コロニーレーザーみたいな)そういうのではなく権威の象徴である、ガンダムバエルを何故持ち出したのかっていうことについて。


2期に突入した時点で、ギャラルホルンの影響力というのはかなり失墜しています。室町時代後期みたいな感じですね。各国で戦国大名が名乗りを上げる5秒前みたいな感じ。そこまでじゃないかもだけども、火星航路では海賊が闊歩し、地球のあちこちでは紛争が起こり、内部ではクーデターを画策しているような動きがある。権威の象徴であったセブンスターズの一番偉い家系が滅んで、なんというか、もうあちこちからなめられっぱなし。


こういう、権威が失墜しているときに必要なのは、権威の根拠ではなく、純粋な暴力。自分たちの持ってる力で、歯向かう奴らをイワして、歯の根が合わんようにするんが一番大事なんや。逆に“権威”というものが有効に働くのは、天下を取った後、その自分たちの力と権力が正当なものである、と誇示して、自分たちの力の行使、支配に正当性と大義を持たせる、という場合。たとえば、秀吉が天下を取ったとに豊臣の姓を賜ったり、徳川家康征夷大将軍の位をもらって幕府を開くのであったり、あと、教育勅語などもそうですね。充分に暴力が浸透して、その暴力にさからうことが悪である、ということを世間の空気として認識させるための装置が“権威”です。新しい秩序を構築するために使うのが権威であり、権威が失墜したときには、全く役に立たないものです。
で、ラスタル様はそこらへんがわかっているので、イオク様がタービンズにダインスレイブをぶっ放すのも黙認したし、そのあとも自分で持っていて、ここぞというときに使ったわけです。自分自身が、“権威”であるために、その正体と使い方を心得ていたわけですね。


で、マクギリスは、彼自身が、その権威の外側からやってきたので、最後まで、その権威(つまり秩序。彼をそのような境遇に追いやっていた世界そのもの)、というものが何か分からなかった。それがただのハリボデであるということに気づかなかった。暴力でそれを打倒しようしていたのに、その自分自身の中にある、権威の幻によって、すでに失墜しつつある権威を武器にするということをしてしまった。ここら辺が、彼の限界であり、過去に縛られるということであり、キャラクターがそのキャラクター性を十分に演じるということでもあり、とにかく、こういうお話を作ったひとはすごいなああああ!ということです。

この世界で他のキャラクターと行動原理が全く違う三人。クーデリア、マクギリス、イオク様。

ほとんどすべてのキャラクターが自分の所属する組織、家族、共同体のために行動して、正義とか大義とか理想とか振りかざさないなかで、この三人だけ、ちょっと異質です。最後のラスボスとして出てきたラスタル様だって、為政者として、ただ当然の行動をしただけで、彼自身が、こういう世界が正しいからこういう風にするんだ!という理想を持っていたとは思えない。治安の維持という目的があって、それのために状況から最善の手を打っているだけ、という感じがします。それは、ほかのヤクザ組織の人間や、経済圏の人間もそうです。
その中で、自分や自分自身の属する共同体の利益や保全以外の行動原理をもって行動するキャラクターが、クーデリアとマクギリスとイオク様です。その三人のたどった全然別の道とその結末。なぜこの違いが起こったのか、慢心?環境の違い?たぶんその両方。
イオク様は馬鹿ですが、すごいいい奴です。部下のために命を顧みません。ただ、それは仲間への帰属意識というよりは、“それが正しいからだ!”というような、騎士的な、人間として当然そうあるべきという悪く言えば思い込み、よく言えば信念から出てきている行動だと思われます。だから部下の信も厚いんですね。
そして、外枠の大きな物語をかき乱し、物語を動かしてきたのも、この“信念によって行動する”3人です。彼らが自分の信念と、“あるべきもの”のために無理やり行動したからこそ、それまで、それぞれの利害と利権で平衡状態を保っていた世界のバランスが崩れ、世界が、大きな変革へ向けて動き出したわけです。よく考えてみてください、クーデリアとマクギリスがいなければ、この、オルフェンズの物語は成立しませんし(実は三日月やオルガがいなくてもこの物語自身は成立する)イオク様が行動して、さらに世界の状況の変化が加速したわけです。


イオク・クジャンは立派な王になれたのか

殺伐としたオルフェンズ世界に颯爽と現れた一幅の清涼剤、イオク様!
地獄みたいな状況になるたびに現れて、ジュリエッタと漫才をして、笑わせてくれるイオク様は本当に殺伐とした世界での一服の清涼剤のようでした。地獄みたい状態の元凶がイオク様だということを除けばですが。


そんなイオク様ですが、彼は、もし生きていたらいい王様になれたのでしょうか。個人的な妄想ですが、たぶん、なったんじゃないかな、というか、ラスタル様にそういう神輿として据えられたのではないかな、と思います。ラスタル様自身は絶対に上に立つようなことはしそうにない人ですし、そういう神輿として最後担ぐために、イオク様を飼っていたのではないかなと。イオク様自身は、無能だということを除けば本当にいい人ですし、自分のために死んだ部下のために涙を流せる人はそういません。


ギャラルホルンの体制がもう少し続いていたのなら、多くの人から慕われた王となった可能性は十分にあると思います。たぶん、その役割をもともと担う予定だったのはカルタ様だったのだろうな…。カルタ様…。なんとなくだけどイオク様に似てるな……。ノリが……。


マクギリスの云う偽物の幸せとガエリオの云う本物の幸せ

たぶん、最後の言えなかった言葉は、憧れ、だったのだと個人的に思う。


手を伸ばしても、願っても、絶対に手が届かないもの。


うしおととらの秋葉流にも似てるし、ベルセルクのグリフィスにも似てる。クーデリアとは似ているはずなのに、似ていない。いつまでも人間であったクーデリアと、人間であることを(ガエリオとカルタとの友情を)否定したマクギリスの、その結末の違い。

ハッシュ・ミディというキャラクターは物語に必要だったのか?彼の死は必要だったのか?

ハッシュ・ミディって誰?っていう人。三日月をいつもしょって歩いてた人ですよ。昔慕ってた兄貴分が阿頼耶識システムの手術に失敗して半身不随になって自殺したっていう過去を持ってる人。
彼個人がなぜ鉄華団に入って、何になろうとしているのかというバックグラウンドも語られていたのに、三日月の背中を追っているだけで、最後は何にもなれずに死んでしまった人。
何物にもなれずに死んでいく人はこの作品の中でたくさん出てくるんですけれども、そういう人たちはそれを物語に組み込む形で語られている。けれども、彼だけは、物語のエンジンにもならず、ただ、「あ、死んだ」というような、あっけない感じで死んでいった。彼の人生の目標に対して、後悔も、達成も描かれないまま、本当に道の途中で、誰かにそれを託すということも、意志を誰かに預けるということもなく死んでしまった。あ“なんで彼が鉄華団に入り、三日月のような人間になろうと決めたのか”というのを説明するために、あんなに尺を割いて語っていたのに!


それぞれの人間が、自分の役割を果たして死んでいく、というのが語られる最終回のなかに、彼のような、なりたいものや夢があったのに、何にもなれずに流れの中に飲み込まれる死、というものがワザワザ描かれているというのは、すごいと思う。彼は、別に、みんなと一緒に逃げ出していても物語的には問題がなかったはずだし、その方が“三日月と鉄華団の華々しい最後の物語”としては座りがよかったはずだ。わざわざ彼の死を描く必要はなかった。ビスケットさんの死やアストンの死は、物語の中で、鉄華団の掛け金を跳ね上げるという役目があった。(タカキはその掛け金の高さのヤバさに気付いて辞めていった)(どうでもいいですけれど、最後タカキがマカナイさんとこの秘書として鉄華団を助ける手伝いをするのよかったですね、離れてもやっぱりどこかで繋がってるっていう)でも、ハッシュの死には、それがなかった。ただ、死んだ、という意味しか、物語上にはなかった。


わざわざ、ここに、よりによって、彼の死を入れたのはすごいと思うし、こういう“なんでもない”ことのために伏線をはって、そしてその伏線をそのために回収しないっていう、すごい無茶なことをしてる。本当にここらへんやってしまえる演出の胆力がすごいしやばい。彼の意味のない死には、ものすごい意味がある。


暁・オーガス・ミクスタ・バーンスタイン。アトラというご飯を作る人。共同体の再生産。

三日月は死んでいなくなったけれども、その子どもが産まれて、アトラとクーデリアに育てられているというラストシーン。部屋には友の遺品と写真が飾られている。共同体の再生産が行われていて、文化が継承されている。勉強することもそうだし知識の継承がなされている。
アトラはご飯を作る人で、ご飯を作るというのは文化だし、文化資本だ。そういうものが、そこにあって、そして続いていくというラストは、物語の冒頭のCGSの子どもたちやヒューマンデブリのおかれた状況からここまで来た、ということを表していて、だから、このエンディングと結末はとても素晴らしいと思う、僕は。アトラはご飯を作る人。みんなのご飯を作る人。家であり、再生産のかなめの人。


結局、モビルアーマーって何だったの?

何だったんだろう…。ただ、モビルアーマー戦はロボットバトルとしてとてもかっこよかったし見ててわくわくする戦闘があった。ロボットアニメなんだからロボット戦がないとなー!



FW GUNDAM CONVERGE 16 ガンダムコンバージ 97.ザクレロ(単品) (食玩・ガム)


で、他の人の感想とか見てるんですけれども

なんか、自分がみてるオルフェンズと他の人がみてるオルフェンズって全然別の作品のような……?あれ……?
毎週毎週、次の展開を想像しながら見たのと、一気見したのでは、見え方が全然違ってくるのかもしれないな……。
一気見したら、ものすごく面白かったです。


これは、子どもが大人と社会の論理にすりつぶされる話じゃなくって、子どもと、老人の老いの話では?

とか思った。
他の人の感想とか見ていると、子どもたちが、大人の論理や、そういうものでできている社会にすりつぶされて利用されて死んでいく話、っていう風に見てる人が結構いるのだけれども、自分はちょっと別の見方をした。


というか、この世界での大人、大人やってる人って、サヴァランさん(ビスケットの兄さん)とかラディーチェさん(鉄華団地球支部監査役で状況の改善を提案しても「オルガの命令は~」で話にならなくて辛い感じの人)とかメリビットさんとかデクスターさんとか(CGS時代からずっと経理やってる人)とかおやっさんとか(整備士のお風呂入らない人)とかで、見ていると、子どもたち以上に社会にすりつぶされているし、社会自身というよりは、社会の中で、それがキッツくて硬いのも分かっていて、それでも、何とか、よりベターなやり方を探そう、って模索しながらもがいて生きてる人たちって感じがする。


実際に、作中で、鉄華団を押しつぶすという役どころが与えられてるのは、マカナイさんとか、ラステル様とかマクマードさん(テイワズの偉い人)なのだけれども、実際彼らは、鉄華団にすごい甘い。盃を割った相手に、あれだけのことをしてやるっていうのは普通ないだろうし、ラステルさんだって、通信したときに、わざわざ「お前たちは生贄なので頑張って死んでくれ」っていうような必要はない。あれは、どうも詫びているように見えるし、地球に逃げた鉄華団残党も、(たぶん)あえて見逃している。


歳をとると、自分のやってきたことに対して、その結果どうなったかが見えてくる。そして、それが正しかったのかどうかっていうのを、感じるんじゃないかな、と思う。自分は、そういうのに、まだ、片足を突っ込むかどうかっていう状態なんだけれども、そういうのってあるのではないか。そういう、人の老いの部分、と、それでも老獪である部分っていうのが、あそこら辺のキャラクターのアンビバレンツな感じなんじゃないかな、って思った。



僕はamazonプライムビデオの見放題で見た。一か月無料。みんなも見るといい。

第1話 鉄と血と

第1話 鉄と血と




追記;クーデリアさんは如何にして自分の理想を語るのをやめ実業家として札束で人をひっぱたくようになったか

クーデリアさんというキャラクターがすごい好きな理由として、↑これがあります。
2期の始まりで、もう自分の理想を語るのはやめて今は事業に専念してる宣言をして、マカナイさんたち大人組のように、口先では理想を口にしながら実際は利害関係の調整で、個々人の行動を調整しながら、自分の望む世界を実現するという、地に足をついた活動にシフトする、というところが本当に立派だし、かっこいい。
そこらへんのかっこよさと強さ、強かさ(したたかさ、同じ字ですね)賢さをもつ、そして、超人にはならずにいつまでも人間なクーデリアさんのすごさって、創作では表現しにくいのかもしれないけれども、本当にすごいと思うんですよ。クーデリアさん。


そりゃあ、マカナイさんも自分の地盤を全部引き継がせたいって思う。