orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

機動戦士ガンダム00は再構築された無印ガンダムだった。

機動戦士ガンダム00をamazonプライムで、全部見た。
放送当時はちゃんとみることが出来なくて、やっと初めて全部通してみた。

このほかにも、ガンダムUCとか、ZZとかZとか、若い時のシャアが活躍するオリジンとか、サンダーボルトとかやってるので、ガンダム好きはぜひプライムに入るのがおすすめです。無印も入っているので一通り履修できる。


面白かった。ので、いろいろと感想を。とりあえず、箇条書きで感想。ネタバレもあるので注意。

一番重要なこと。スメラギさんは早くしかるべき施設に入って治療した方がいい。

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完全にアル中アルコール依存症です。
昭和の戦艦が出てくるアニメでは、宇宙戦艦ヤマトの医者とか、無責任艦長タイラーの医者とか、アル中の乗組員は結構出てきたけれどもまさか21世紀になってアル中の乗組員が出てくるアニメがしてるとは思わなかった。まあ、宇宙空間でタバコスパスパ吸うよりは宇宙戦艦的に問題がないのかもしれないけれども。
(ちなみに、機動戦士ガンダムサンダーボルトでは、宇宙戦艦の中でタバコスパスパ吸っています。いいのか?サンダーボルトもamazonプライムで今見放題になっているのでお勧め。)
そういうアル中が(おそらく)メインヒロインの一人であり、また、戦艦の艦長的な仕事をしているのがヤバイ。しかし、戦術予報士(戦術を考える人)という頭をガリガリ使う仕事をしているのが不安しかない
本当は、ヤクをキメてる、っていうのだけれども、それはテレビ的に問題があるのでアルコールになったのかも。

細かい専門用語が中二臭くていい。

戦術予報士とか、ガンダムマイスター(マスターではなくマイスター)とか、刹那Fセイエイという名前の主人公とか、敵の登場人物の名前にリヴァイブ・リバイバルとうような名前がついていたりとか(この名前の中二臭い感覚がわかるかどうかでその後の進路が決まります)全体的に、“メインの中二臭さから若干外した中二臭さ”という、中二くささの最高峰をてらいもせずにやってるところがすごい。
登場人物も、多重人格であったり、特殊な施設で作られた超人であったりして、そこら辺の中二的設定が、少年兵やテロ、情報操作、復讐、といった重いテーマと絶妙に交じり、奇跡的なバランスをとって纏まっている。
ガンダムって初代から、ザクレロとか空飛ぶがんタンクとかの愉快な部分と戦争の悲惨さとかミハルとかの重い部分があり、(子供向けの娯楽と社会的なテーマと)そういう相反する二つの要素を入れていくとともすれば作品が空中分解しかねない。それをうまくつなぎとめているのが、この“名づけの妙”だと思う。人類革新連盟っていうユニオンの名前が大好きで、そこで作られている超人の名前が“超兵1號”とか、もう好きすぎる。起動エレベータの名前に天柱、っていうシンプルでしかも中二心をそそる名前を付けるのは本当にセンスだと思う。

青月昇という謎の声優がシャア的なポジションの声を充てている。

青月昇という謎の新人声優が、ラスボスポジションなのがすごいです。
あと、青月昇ののるモビルスーツが、初代ガンダムにそっくりでした。

イオリア・シュヘンベルグが全部悪い

もっとこの人が伝言をしっかりしていればこんなことにはならなかった。
ジャイアントロボのフランケンフォーグラー博士と並んで、二大「なんでちゃんと言い残してくれなかったんですか!」の人。両方ともオーパーツレベルの天才科学者だし。
こんな迂遠な計画を練らなくても他にやり方はあっただろうに……。

まさかのコーラサワーエンド

まさかだよ。
あいつなんなんだよ。
最高かよ。
殺伐とした戦闘シーンでも彼が出てくると和むのでよかったです。

ものすごく「機動戦士ガンダム」だった。これ以上ないくらい機動戦士ガンダムだった。

機動戦士ガンダムとは何か。機動戦士ガンダムを分解して機動戦士ガンダムを再構築した作品だと思った。
機動戦士ガンダムの要素は

  • 「子供向けの娯楽、おもちゃの販促としての楽しい作品、かっこいい主人公とかっこいいライバルのロボットチャンバラ」
  • 「正義のない戦争、戦争、腐敗した組織、などの、重めの主題、世界観」


の相反する二つから成り立っていて、また、作品のテーマとしては

  • 「ひょんなことから戦争に巻き込まれてしまう主人公とその周りの人間の群像劇」
  • 「人類の革新(ニュータイプ)宇宙空間に進出した人類は新しい進化を手に入れる」


という二つのテーマから成り立っている。


この4つが、混然一体となってガンダム的なものは出来上がっているわけだけれども(なので鉄血のオルフェンズは“ガンダムっぽくなかった”のだと思う。)機動戦士ガンダム00はそれをかなり忠実に踏襲していると感じた。


ラスボスが、自分自身は人類を超越した人類、といいながら、どこまでも人間臭かったり、そして主人公が、イノベイターとして目覚めるところとかとてもガンダムでした。登場人物のそれぞれの背景、細かい動機理由など、もっと語ってもいいと思えるのだけれども、そうなると個人の話になるし、重くなるのでそれをカットしたのも“全体をまとめる”という意味では必要だったのだろうけれども、ちょっともう少し深く見たかったな、と思った。

以下、それぞれの登場人物とかアレとか

沙慈・クロスロード

おそらく刹那に対するもう一人の主人公。クロスロードってかっこいい苗字だなって思ったけど、日本語でいうと辻なのでそんなことはなかった。辻 沙慈。ゴロがいいのだか悪いんだか。
“一般人が戦争に巻き込まれてモビルスーツに乗る”っていう今までのガンダムの主人公的な設定だけれども、結局モビルスーツに乗らず、戦闘機には乗るけれども銃を撃たないまま最終回を迎えた。今までのガンダムが“戦争という異常事態に巻き込まれて普通ではなくなっていく”人たちを描いていく中に彼のような存在を入れたのはガンダム00の新しい部分だと思う。

ミスターブシドーについて

何だったんだろう……。

セルゲイ・スミルノフとソーマ・ピーリス、アレルヤとマリー・パーファシー

好きですね。この3人(4人)まわりの物語が好きです。結局最後、彼女はマリーになったのかソーマ・ピーリスになったのかはっきりと明かされないのもいいですね。虎王問題というのがありまして(世間一般にはアルジャーノン問題とも言われている、言われてません、そもそもアルジャーノンはネズミで主人公の名前はチャーリイ)一つの体の中に二つの人格があって、“本人ではない不幸な出来事によって作られた偽物の人格”と“その人の本当の人格”があり、“偽物の人格”が焼失した場合、それはハッピーエンドなのだけれども、果たしてその時にいなくなってしまった人格の死はどう扱えばいいのか、そもそもそれは死なのか。というのがあって、(ドキドキ!プリキュアでも似たような問題がありましたが器用に?回避しました)
そういう問題は解決しようがなくて、だからそれをどう受け止めるかっていうことになるんですけれども、そういうのがもう、好きなので良かったです。ソーマピーリスとして生きてセルゲイ大佐と暮らした数年間がなかったことにならなくてよかった。結局そのきっかけが大佐の死という取り返しのつかないものだったのだけれども。

アザディスタン王国の子どもたちの中に高山みなみ声の子どもがいる

やめてくれ…気になって集中できなからやめてくれ…。
カティ・マネキンの声をあてていて、モブとして子供の声をやっているのだけれども、あと、みなみさんは凄い好きで、名探偵以外の子ども演技が聞けるのはすごいうれしいのだけれども。
気になって仕方ない…。ここで誰か死ぬのではないかと気になって仕方ない…。俺はだめ絶対音感の持ち主なんだ……。

機動エレベーター、そして機動エレベーター崩壊

とてもよかった。
機動エレベーターの崩壊というカタストロフを丁寧に描いていて良かったです。
コロニー落としってこれ以上の大惨事なんだよな…。
大惨事過ぎて、近距離で主人公が体験できないので、その場の様子として描くことができないけれども。
あと、機動エレベーターの崩落に対して、反乱軍、地球連邦軍、ソレスタルビーイングがみんな協力して被害を食い止めようとするのが良かった、「地球がダメになるかどうかの瀬戸際なんだ、やってみる価値はありますぜ」みたいな感じで。これがガンダムでした。

「俺がガンダムだ」「俺はガンダムにはなれない」「お前たちがガンダムであるはずがない」「俺が、俺たちがガンダムだ!」

当時散々ネタにされたやつ。刹那、ガンダムが好きすぎる。アムロレイも結構ガンダム好き系の主人公(Zでカミーユがガンダム乗ってるの見て「俺にもガンダムをよこせ」的なことを言ってた)だけれども、刹那のガンダム好きは群を抜いている。今までのガンダム主人公の中で一番ガンダムが好きなんじゃないだろうか。
というか、今までのガンダム主人公はガンダムをモノとして扱いすぎ。もっと、こう、ロボットに愛着を持とうぜ。スパロボか何かで、刹那とガンダムWの主人公ヒイロユイが会話をするシーンのキャプチャをどこかで見たのだけれども、二人だけにしか伝わらない感じの会話がとてもよかった。

王留美(ロミではなくわんりゅーみん)とネーナトリニティ

エゴが強い女性が、そのエゴゆえに自業自得で死ぬところがとてもガンダムでした。ネーナトリニティの邪悪そのものの感じと、小物マン感と、屑っぷりがよかった。こんな屑に刹那はファーストキスを奪われたんや…(刹那童貞だよ派)

モビルスーツについて

面白モビルスーツがたくさん出てきてよかった。楽しい。
ガンキャノンを裏返したらガンダムになるモビルスーツが好き。ガンダムにガンキャノン砲をつければいいじゃない…、っていう合理的な判断をしないところがいい。

時々フラグの立て方がとても雑

ルイス・ハレヴィの上官が数か月前に分かれた嫁の写真を見せるシーンがあって、「あ、こいつ死ぬんだな…」と思ったら本当に死んだとき。なんか、そういうフラグの立て方がほかに2回くらいあった気がする。

新機動戦記ガンダムWとの相違について

似てる感じのあるガンダムW。基本的な物語の流れと、登場人物の配置の仕方などが、確かに似てると思う。
ただし、決定的に違っているところがあって、
ガンダムWは、登場人物を全員超人として設定して、超人として描いているので、なんかものすごいことになっていて、もう、超人博覧会になっており、誰にも感情移入できない感じになっているのにたいして、00ガンダムは登場人物を人間臭く書いていて、それで失敗したり、自業が自得したり、因果が巡ってきたりしていた。ロックオン兄弟の女周りのエピソードが好きです。大義や大きな目的を持っていても、私情でどうしても流されてしまうところとかが(お話として好き)。イノベイドである、リボンズ・アルマークが、人類を革新させる為の生きた装置として作られながらも、その自我ゆえに自分の存在に疑念を持ち、自分が新しい革新した人類だとして、人間を支配しようとするとことか、あまりにも人間臭くて、本当に良い。地球に魂を縛られている。

ダブルオーライザーが発動すると、全員裸になって、キラキラした異空間で対話をする。

最初びっくりしたけど、2,3回見ているうちになれた。今までのガンダムでもよくあったので(びっくりする感じだと、第41話「光る宇宙」の方がもっとすごい。いきなり宇宙に津波だから)とてもガンダムらしいといえばガンダムらしい。いい感じに光ってて局部が見えない。




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ほか、今、amazonプライムでは無印のガンダムから、Z、ZZ、その他殆どのガンダムがやっていて、ガンダム祭りでもやってるのかっていうくらいガンダムが見えるので、本当今、アマゾンプライムおすすめです。


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機動戦士ガンダム地上波


OVA

ほか、ガンダム記事でこういうのかいてます

orangestar.hatenadiary.jp
orangestar.hatenadiary.jp
orangestar.hatenadiary.jp

10億あっても幸せになれない

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みんなが幸せに(少なくとも自分から不幸になりに行くことがない)ようになるのって難しいなあって思う。ちょっと前に、その方法としてBI(ベーシックインカム)みたいな話が合ったけれどもアレどうなったんだろう。どこかの国で社会実験みたいに始められたみたいな話を聞いた(ような気がした)っきりどうなったか分からないし。


人間の代わりに機械が仕事してくれるけれども、機械が仕事してくれる仕事て、比較的楽な仕事で(単純労働または淡々と物が仕上がっていくやりがいが分かりやすい仕事)人間に残された仕事って感情労働だったり、高度な判断を必要とするストレスが過剰にかかる仕事だったり。そういう仕事も取り合いでどんどん値段が安くなっていくだろうしなあ。


人と仕事の幸せな関係とは。

ヤバクなったら逃げろ!でもいつ?

以前、こういう記事を寄稿させていただいた、サクセスジョブさんで、また書かせてもらいました。

労働価値。【寄稿】(※以前書いた記事

今度は、10ページくらいの長いマンガ。薬マンです。


ヤバクなったら逃げろ!でもいつ?


※一部
20170904185448


こんな感じの漫画です。仕事とは…、働くとは…、やりがいとは…っていうお話。
あと、逃げ時について、ちょっとした文章も書きましたのでそちらも読んでみてください。


success-job.jp



ここは悪いインターネットですね

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***通販開始しました
COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ここは悪いインターネットですね。2
comicZINにて販売中です。

資本主義の悪魔
、他、生きるのつらい絶対殺すマンの新作がいくつかと、あと、新作がいくつか。
李徴と袁傪もあります。
けっこうな分量が書き下ろしです。

1巻は電子書籍で発売中です。

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リポビタンDの新CMが最高だったのでみんな見て欲しい、のと、それがどうすごいか解説する

これ。このCM。最高。

このCM最高なんで見て欲しいんですけれども、これがどう最高なのかを蛇足だけど解説しますよ、と。

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※ここから下のCMの開発の様子は個人の妄想です。

「ファイト一発のCM、ずいぶん作ってないけれども、セルフパロディの「ファイト!」って言ったあとに「一発!」って言わないCMを作ろう。」

ここまでは良いんですよ。

「どうせだから時代に合わせて、実際の山を登るクリフハンガーから、ボルタリングに変えよう」

ここまでは良いんですよ。

「ボルタリングやるんだったら、ボルタリングの選手連れてこよう。スポーツ選手を応援してるっていう企業のイメージにも重なるし」

ここまでは良いんですよ。

「じゃあ、ボルタリングをやってて、手を滑らせたときに、先に上ってた人間が、ファイト―!っていうけれどもリアクションせずにすいすい登って行って、登り切ってリポビタンDを飲むことにしよう」

ここまでは良いんですよ。

「先に行って登ってる人間誰にする?ボルタリングの選手に相当する人で、90年代に壁とか登ってそうな人→ケインコスギ」

ここまでは良いんですよ。

「ケインコスギに、ネイティブな発音で『ジェネレーションギャップ!』って言ってもらうと面白くない?」「面白い面白い」

ここまでは良いんですよ。

「CM完成」

↑これすごい事なんですよ。

初期のコンセプトを残したまま、跳躍がなく、淡々と正解だけを選択していくのは、ものすごい一発物のアイデアを出すよりも難しい

ファイト一発!のパロディで、ファイトの後に一発を言わない、っていうのは、だれでも思いつくし、90年代の、もともとのCMの時から「普通ああいうときにああいくこと言わねえよな」って言われてたし、そういう場所で無理に「ファイト一発!」っていうことを、リポD側もネタにしていた(はず)で、だから、初期コンセプトに対しては、面白いけれども、特に、ものすごいアイデア、というわけではない。60点くらい。
それを、追加要素を加えて行って面白くしていってるわけなんですけれども、それが、初期コンセプトを外れることなく、淡々と正解だけを選んで追加されて行っている、ということがものすごいんですよ。追加要素を足していくと、初期コンセプトがぼやけてしまったり、また、追加要素同士が食いあったりして、どうしてもうまくいかなくなってしまう。
それを、全部かみ合ったまま、特にものすごいアイデアの跳躍もなく、淡々と、“正解”だけを選んで、“面白さの精度”だけをあげていって、一切の無駄がないって普通出来ることじゃない。ものすごい“凡人の才能”がいる。一発ネタのものすごく面白いCMよりも、こういうCMが好きだし、超敬意。プログラミングのことってよくわからないんだけれども、スーパーマリオとか、FF3や、星のカービィを小さいROMに圧縮した職人の技術に似たものを感じる。

とにかく、このCMすごい好きだし、最高なのでみんな見て欲しい。今日言いたいことはそれだけです。

あと、アリュージョニストも読んでほしいし、JKハルも読んでほしいし、FGOもプレイしてほしいし、FGO6章話にならないんだけどどうにかしてください。

幻想再帰のアリュージョニスト

JKハルは異世界で娼婦になった

Fate/Grand Order

Fate/Grand Order

  • Aniplex Inc.
  • ゲーム
  • 無料

ここは悪いインターネットですね。

ここは悪いインターネットですね。

JKハル読んだ

※この記事の読了時間の目安は310分です。


novel18.syosetu.com


内容に対するネタバレを含みますので、是非上記の本編を読んでからお読みください。
15万字程度の短い小説ですので、すぐに読み終わると思います。


JKハル読みました

話題になってますね、JKハル。
とても面白く読みました。


読みながら、“ああ、これははてな界隈では受けないんだろうな…”って思ってた。そして増田で感想を書いている人がいたのだけれども、それに対してのトラックバックが散々で、ああ、もうはてなはダメかもしれんね…って思ってたんだけれども、ブクマでは結構絶賛されていたので、良かったと思った。
本当に良い話だし、文章はうまいし面白いし、スルっと読めるのでみんな一回読んでみて欲しいです。


えーと。
 
 
JKハルに関しては色々と語りたいこともあるし、書かないとならないな、と思うこともたくさんあるんですけれども、ちょっと纏まらないし纏まりそうにないので、いろいろと箇条書きで書きます。



最初に読んだとき、ものすごいうまい文章だと思った。構成もムチャクチャうまいし。途中のカンケリングのエピソードを入れてくるところとか天才だと思った。頭の回転の速いJKの文章と感性の一人称の文章で、これ本当に男の人が書いているのか?って思ってびっくりした。まあ、あれです、殺人をしたことのない人が殺人者の心情をかけない問題を考えれば全然不思議ではないんですけれども。とにかく、すごいって思った。根っこのところに虚無がある人間の話。ただ、生きてくってことに疑問を持たない人、生きてる理由は生きているからだけっていう、そういう生命力の強さの話で、はだしのゲンとか、そこらへんの“生きている人”の話みたいで見ていて、とても元気が出るタイプの話だと思った。野生の天才ってたくさんいるんだなあって思った、でも、自分はそれきりだった。なんだか、遠い人の話だと思ってしまったのだと思う。ハルの生き方には憧れるけれども、自分はそうは生きられないし、その隣にいることもできないなって。遠くの英雄を眺めている気分。
それを嫁が再発見して、ぐるぐる目になって、まあ、今、ちょっと大変なことになってる。あちこちで人に勧めまくってる。そこまでっていうのは自分には分からなくって、ただ、twitterとかでの感想を書いている人をみたり、進めている人を見たりすると、女の人がほとんどなので、多分、まあ、そういうことなのだろうと思う。
男の人から見ると、「自分とは違う主人公」の活躍の活躍の話としてみるのだけれども、女の人から見ると、「自分自身の話」「自分の友だちの話」として見えるのだろうと思う。それは、その文章での勘定や気持ちの動きの表現の巧みさや、この世界の中にあって、そして自分たちの世界にもある理不尽さへの共感であり、そこで発揮している自分たち自身の強さによるものだと思う。
人を磨り潰す世界があって、自分もみんなも、それに諾々とつぶされていくというのが、自分の持っている世界観なのだけれども、このハルみたいに、こっちの世界にも、それと力いっぱい戦ってる人はたくさんいるのかもしれない。


けっこう昔に自分はこの話を読んでいて、いつか嫁に面白いよと言って進めようと思ってずっとフォルダに入れておいた。これを嫁に見せたきっかけは中川イセ - Wikipediaの記事をどこかで読んで、ふと思い出したから。まさに女傑、という感じの人で、なんとなく通じるものがあった。強さと、強かさ。そういうもの。
異世界(広義の意味での)異世界に行っても、みんながみんな、ハルや千葉みたいにやっていけるわけじゃなくって、だいたいが、状況に流されて、むしろビスクさんや、女の人だったもう少しひどい感じで流されていく人の方が多いのだろうと思う。抑圧する側と、抑圧する側で抑圧される側と、抑圧される側と、抑圧される側で抑圧を内面化する人間と。どう考えても自分はそちら側で、むしろ、千葉よりもひどい人間になっていたのだろうなと思う。千葉は多分、だいぶましな部類になると思う。頭が悪いからっていうのもあるけれども。スモーブには慣れないかもしれないけれどもせめてチバになりたい。

異世界モノのパロディとしてのJKハル

ーとしての要素がとても強いですよね、実際の話。
異世界の野蛮な世界に飛ばされて、そこで成り上がる話、大体千葉みたいな人間がチート能力を手に入れて、キヨリみたいな人間と冒険する物語。それの“非コミュの人間が異世界に飛んでも結局非コミュだからこんなもんだよな…”みたいなリアリティがあって、イテテテテみたいな気持ちになった。そうだよね、あー、大体そうだよね。
たしか、自分が最初にJKハルを見つけたのは、「異世界転生もののテンプレで異世界に飛んだあとその世界で奴隷をやってる女の子を助けてその子がヒロインになる展開って多いよね」みたいな流れのツイッターまとめかなんあのところでこの小説を見つけたのがきっかけ、だったような気がする。(うろ覚え)
そのパロディ的な部分は、この物語へのとっつきやすさにもなっていて、ただ、その、“よくある異世界モノのテンプレ”を露悪的に批判するだけでなく、ちゃんと丁寧に補完している感じ。実際、そういう“異世界物のテンプレ”の物語でも、そういう部分をちゃんと(しかし年齢制限的に踏み込めずに)“あるもの”として描いている作品も多々ありますし。
あと、千葉から見たハルって、本当に「心の優しい黒ギャル」なのだなあっていうのと、実際にそうなんだなあ、って思う。ハルは、(まあハル自身のこともあるけれども)千葉のことを散々言っているけれども、一応人間として扱っていて(スモーブに関しても)というより、大体あらゆる相手に対して、ひどいことを言うけれどもそれはファックコミュケーションの内側なのだろうなと思う。好感度高い。その後の、犬のアレとかあるので、本当に、人間が人間をどう扱うか扱わないかということに対して、真摯に描いている作品だと思う。


この話は、多分、色々な見方をされる話だと思う。

話の要素の中に、売春婦、女性の権利だけではなくて、戦時の女性の扱いや、従軍慰安婦の問題も含まれている。
他にも女子のアクティブな性欲を、“美しくなく”“ネタでもなく”書いた作品というものを、あまり僕は見たことが無くて、そういう意味でも新しいという見方もできると思う。
臨死江古田ちゃんの中で、江古田ちゃんが働いているフィリピンパブで、お客さんとのリクリエーションの中で、“ブラー!”“ペッペ!”と声をかけて、“部活みたいでたのしい!”ってなるシーンがあるんだけれども、そんか感じで、美しいとか悲惨とか“異界”としての性風俗ではなく日常の中に組み込まれた性風俗の話のファンタジーものとしてみることも出来ると思う。いろいろな、多分、「新しい」って言われるだろう要素がたくさん入ってる。
踏み込むとどこまでも踏み込めると思う。でも、この物語の本質は多分そこではなく、“人が生きている物語”であるということだと思う。
それはこの物語に出て来る人間はみんな生きていて、それぞれの人生を、それぞれの人生として、生きて、生活して、死んでいく。さっき言ったテーマとかは見つけようと思えば他にもいくらでも見つけられるし、事実それはあるのだろうけれども、それよりも、そこに人間が生きていて、正しいことも間違っていることも全部ひっくるめて、抱え込んで生きたり死んだりしていて、そういう人間の物語自身がこのお話の真骨頂だ。
人が、このお話の中にテーマを見出すとすれば、それは自分自身の人生のテーマなのだと思う。
それに意味を見出してみようとすると、自分の生きている世界を眺めるみたいに、自分自身の鏡をそこに見てしまう。女の人の弱さだったり、強さだったり、男の人の抑圧だったり弱さだったり。生きて、考えて、失敗して、笑って、泣いて生きてる、生きてる人生の話は、合わせ鏡みたいに自分の人生を写し込む。


読んでみて

たのしいだけの話ではないし、ただ、読後感はとてもいい。作者の人のバランス感覚によるところも大きいだろうし、このお話のところの根っこのところある強い生命力があふれている。このお話は人間賛歌なのだと思う。人が生きていくこと、生きること、ただ生きるために生きることを讃えて応援するお話。


なので、一回読んでみてください。

なぜはてなカウンターが無くなってはてなブックマークが(自分にとって)改悪されたか

簡単な承前の説明

ひとつ目の記事:はてなのシステム変更について

  • はてなカウンターが廃止になって更新の意欲が落ちた
  • はてなブックマークのインターフェイスが変更になってさらに更新意欲が落ちた
  • はてなの更新後のシェアの画面ではてなハイクにシェアするのボタンがなくなった(はてなハイク廃止の危機?)

ふたつ目の記事:ゲームのシステムとプレーヤーについて麻雀とFGOの戦闘システムを例に説明

  • 情報を目に見える形で提示した方が上級プレイヤーにとっては便利になるが初心者にとっては足かせになる(簡単な絵合わせゲームでなくなる)

はてなのはてなカウンターの廃止とブックマークページの変更が意味すること

まあ、ぶっちゃけていうと、はてな村とかはてな村的な人間の集まりがめんどくさいので、システムを変えることによって排除したい、っていうこと。または、そこのよくわかんないプレイスタイルを初心者からは見えないようにしたいということ。その為に、視認できる情報を少なくして、“高度なプレイ”を“中級者”ができなくした。

結果として、ゴリゴリとブロガーとして、(Google アナリティクスなどを活用して)テーマやキーワードを調整してちゃんとした記事を毎回揚げる人間と、個人の日記として活用して、仲間内で交流するスタイルの人間にとって(のみ)使いやすいように調整していく過程がこのカウンターの廃止とブックマークの表示の変更なのだと思う。
かつて、twitterが文字数を減らして、その代わり一連の流れて文章を読めるようにして“インターネットで文章を書く”という行為の流れを変えたみたいに、“文章を書くスタイル”に付随する機能を調整することによって、利用者の行動を制限し、誘導をするのが今回の狙いなのでは?って思う。もともとのはてなアクセス解析くらいの機能なら、はてなブログに元々付随しているアクセス数を調べる機能に簡単につけれそうだし、あえてそれをしないということは、多分そういうことを狙っているのだろうと思う。

はてなブックマークの変更については、なにを目指しているのか今のところはよくわからないけれども、はてなブックマークユーザー同士の連携、はてなブックマークを使ったコミュニケーションを抑制しようという動きがあるように思う。かつて、“ブログの管理人と特に親しくない人”のコメント欄替わりとして使われていたけれども、ガリガリとしたやり取りを好まない人が増えてきた(それは個人の日記であったり、またはブロガーや広告告知目的の記事で、だれかとの意見交流を求めない人たち)。それによって、はてなブログをやめる人やそのほかそういう炎上を嫌う人たちがはてなを離れる可能性が出てきたし実際離れてる。議論が起きやすい環境であることは好ましいと自分は思うけれども、ブクマする側の人間も絶対数が増えてくれば、ノイズ的な悪口や何でそこでわざわざ言う必要なあるの?って書き込みもあり、それによって心が折れてしまう人もいると思う。そういうのを個別個別で処理するという考えもあるけれども、それよりもシステム自身を変更して、“不可視の部分を本当に不可視にすることによって、ゲームの仕組み自信を変えてしまう”ことで対処しているのでは。と思う。
今回の改変で、コメントを書いていない人のブクマは見えなくなった。(脇のところで見えるけれども、idなどはマウスオンしないとわからない)存在級位を揚げようとすれば、ブックマーカーはコメントをつけないとならなくなる。“ブックマークをすることでお互いに繋がってる感覚のユーザー”というめんどくさい種類のユーザーがオミットされる。
そうなるとブックマークで上がってくる記事が
「個人で本当に気に入った記事(個人でメモ代わりにするブックマーク)」
「大喜利、突っ込み会場としての記事」
「(互助会の記事)」
としての特徴がそれぞれ顕著になる。

その結果として、初心者と上級者のみに特化したブログサービス、ブックマークサービスとして洗練していこうというのが、今回の改変の目的じゃないだろうかと思う。

はてなカウンタがなくなってから、はてなブログで記事をかくモチベーションが下がった。

具体的には脊髄反射的な記事を書くモチベーションが、ほとんどゼロになった。

はてなのホッテントリに挙がっているエントリをみて、「あ!これなんか言及したい」って思っても、なんか、こう、やる気が出ない。いいことなんですけれども。人間としては。
アクセス解析の結果、リアクションがどこからあったのかすぐに分からなくなった、というのはとても大きい。ブクマとか、リンクとか、そういうのは分かるけれども、なんか、反応の基準、言うてみれば承認欲求をアクセス数に置いている身としてはモチベーションが上がらない。いいことなんですけれども。他の記事についてもなんか、やる気が起きなくて…。
こういうタイプの古い感じの文字かきを排除して、個人個人の評価やら、人間関係での承認やら、またはプロとしての記事の配信にたいしてやる気がある人たちを優先的にしようっていう感じなのかも。昔ながらのガリガリした人間はめんどくさいものな……。
そういう感じで
ブログとしてははてなブログは、そういうシステムの方に舵を切っていくのだな、という印象。
まあ、時代だもの。

インターネットでのコミュニケーション距離が現実と同じになっていく

インターネットで発信するということが、初心者と上級者に容易になっていくということの意味っていうのは、もう一つの意味がある。
それはインターネット上の人間関係の距離感のとりかた、コミュニケーションの仕方というモノが現実社会と同じようになっていくということ。
自分は現実にとってはずっと上達しない初心者プレーヤーで、現実の不可視の情報がわからないで、まわりの人間が、(麻雀の配牌を読むような)不可視の情報を解析しながら会話、コミュニケーションをとって通しを使って牌のやり取りをしている中で、ずっと絵合わせみたいなコミュニケーションをとっていたのだけれども、インターネットでのコミュニケーションというのはそれを全部開示していたので、なんというか楽だった。多分、まあ、それが楽だって人はそれなりの数がいて、そういう人が早くからインターネットに来たり、はてな村みたいなところにいたのだと思う。そこらへんのコミュニケーションが、現実のように不可視化されて、現実のコミュニケーションと同じようになれば、大多数の人間は便利に使えるようになるし、多分、それは正しいことなのだろうし正しいのだけれども。

まあ、そうなったら別の場所で別のことをしますよ。


はてな村奇譚上

はてな村奇譚上

ここは悪いインターネットですね。

ここは悪いインターネットですね。