orangestarの雑記

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まず常識を疑え!半日で届くamazonの配送サービスの謎

p-shirokuma.hatenadiary.com
これに対して。
荷物は半日で届くし、インターネットの話題は半日過ぎるともう古くて周回遅れになるし、僕らの生きている時間は今までに人類が体験したことのないくらい早い。シロクマ先生の更新が昼過ぎなので、半日以内の発送に間に合いました。


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…。


最初はマジレスして、

amazonのサービスが半日で届くのは、ビックデータを活用しているから

hiah.minibird.jp
ここの記事で書かれているように、amazonは「注文が行われる前に、配達先住所がまだ特定されていない時点で、当該特定の住所ではなく特定の地域に対して配達を行う」システムの特許を登録していて、いまの半日で届くサービスもそれを使用しているか、実際にどれくらい稼働するのかを、実験しているから、という話を書こうと思ったんだけれども、ここらへん(Amazon日本法人に労組が結成される「成果が低いと退職に追い込まれる」)の記事をみるとううむとなるのであまり考えないことにする。




あと、もともとのシロクマ先生の記事も、どうやって配送されているかよりも『短時間で配送されることによる、“人生における時間の余裕のなさ”』みたいなことが話の主題だと思ったので、まあ、余談だなと。




「交通(トラフィック)」「流通」「貿易」というところから考えると、ちょっと面白い未来予測みたいな話が出る気がするけれども、いろいろ時間がないのだわ。


今、15周年かなにかでamazonから来るダンボールのデザインが変わってますけれども

コラボまでしたんだから、今回もコラボすればいいのに……。




追記:

労働あたりの生産性の向上とかをちょっと軽く無視して話をします。つまり今から話すのは単なる与太話です。

ざっくりと自分の考えを書くと。
馬車馬のように働くということは多分昔からで、だから、それが“常識”になってる。
昔と同じように働いて、その結果、半日で荷物が届いたり、東京大阪を夜行バスで格安で行けたり、飛行機も安くなったし、遠くの人とテレビ電話できたり、電子書籍やら音楽やら、いろいろと便利になったけれども、それでも、個々人が25年前の人たちと比べて、幸せになっているかというと、あんまりそんな感じはしない。むしろなんだか不幸になっているような気さえする。


それは何でかなあって考えたら、その馬車馬のように働いた後の“価値”“利益”というものを、個人ではなく“社会資本”に全振りしてるからじゃないかなあって思う。これは、国家が、とか、企業が、とかそういう単位の話ではなく、生き物としての“社会”が自ら選択してそのようにふるまっている、というような。“価値”“利益”というのも物質的なものだけではなく、“注意”“重要度”とかそういう定量的に図りえない物を含めて。ちょっと感覚的な話だしオカルトなのですが。


まあ、そういう感じが何となく、あるなあ、と。実際どうかっていうより雰囲気の話です。


追記2:文学フリマ来てくださったかたありがとうございました。

次もまたなんか新しいのを書いて持って行こうと思います。よろしくお願いします。