なので、でも、それでも。
やりたいことがあるしそのためには色々と能力が足りないので、それを何とかするために練習とか勉強しないとなのだわ
最近はまず書き取りからやってる。
もう中年なんですけど、最近は14歳のつもりで生きてる。
30年後に必ず死ぬ病気(そしてその30年で徐々に体力も記憶力も失われていく)にかかった14歳だと今自分を思ったらなんでもできる気がするよ。
なので、でも、それでも。
やりたいことがあるしそのためには色々と能力が足りないので、それを何とかするために練習とか勉強しないとなのだわ
最近はまず書き取りからやってる。
もう中年なんですけど、最近は14歳のつもりで生きてる。
30年後に必ず死ぬ病気(そしてその30年で徐々に体力も記憶力も失われていく)にかかった14歳だと今自分を思ったらなんでもできる気がするよ。
まあこういうことがあってですよ。
twitterがほかのSNSの追い出しに本気を出してきた…のかわかんないけれども、本気を出してきて、何をしたいのかよく分かるけどわかんなくなってる今現在。
そういう時に思うのは。
久しぶりに書いたし服を変えてしまったので誰かわかんないかもしれないけど、はてなお姉さんです。
どういう人かはこちらの漫画を見てもらえると。
このブログにも古い記事という形で残ってますがkindleで見る方が見やすいと思うので……。
最近、同年代のブロガーの人がブログや文章を書くことに対して、書く意欲が減っていくということを書いていて、自分も何か書こうと思ったけれども。
めんどくさいのでやめた。
ピエール手塚先生の初単行本の「ひとでなしのエチカ」と「ゴクシンカ」が先日発売されました。*1
この、先生、ってつけるのくすぐったいですね。多分手塚先生もくすぐったいと思うので、以降ピエテツさんと呼ばせてもらいます。人間はこんな風にして失礼ギリギリを探しながらコミュニケーションして距離を縮めていかないといけないのだ。
人を急にあだ名で呼ぶというのは暴力です。突然DMを送ってくるのも暴力だしlineのアカウントを聞いてくるのも愛を告白するのも暴力だし目が合って挨拶をするのも暴力です。人と人とのコミュニケーションというのは総じて暴力でできていてその折り合いの中で僕らは生活して呼吸して社会を作って友達を作って恋人を作って日常を送ってる。そしてその暴力性に対して目をつぶって生きてる。または暴力性に怯えてコミュケーションを放棄して知らない他人のまま誰かを放置して生きていってる。
ピエテツさんの作品は、そういう日常の中で行われる暴力性に対して、『自覚しろ!』と強く訴えてくる。
まだ少年ジャンプ+で見ることのできる『恋のニノウチ』のテーマもそれだ。(短いしすらっと読めるのでまだ読んでない人は読んでみてください名作!)
shonenjumpplus.com
暴力で他人に自分に恋に落ちさせるということができるという世界の話なのだけれども、これはやっぱり現実のメタファーなのだろうと思う。人に自分を好きにさせるときにはみんな暴力を使っている。端的にお金であったり、プレゼントであったり、マメに連絡を取ることであったり、相手好みの容姿になることであったり、相手に対しての無遠慮な力の行使、暴力を伴っている。
『恋のニノウチ』は、そんな世界で悩む少年と少女の物語で、その悩みの果てに暴力を肯定する話なのだけれどもそこに至る流れが物語の見どころになっていて、ですので是非見てください。
先日発売になった『ひとでなしのエチカ』も『ゴクシンカ』もコミュニケーションと暴力性の話で、生きて誰かと交わるということは相手に暴力を振るうことであるということが前提の社会で、どうやって暴力を肯定するのか、受け入れていくのか、というのがテーマになっていて、そして結局失敗する(ことも多い)のだけれども、それでも死ぬまで生きていくことを辞めることはできないし、生きていくうえで暴力を振るわないといけないし振るわれないといけない。他人を支配しないといけないし支配されないといけない。
ただ一つ明らかなことは『殴り合わないと自分の意思を示すことが出来ないし相手の意志を受け取ることができない』ということだ。
ピエテツさんはその寓意を漫画に落とし込むのがとてもうまい。とても面白い漫画なので、みんな読むといいと思います。
*1:献本頂きましたありがとうございます
徒然と。
季節的には秋だから、順当に秋の物を着ていればいいのだけれども、ちょっと前までが暑すぎてまだ服を出す準備をしていなかったりした。あと、明後日はまた暖かいらしい、いい加減にして令和。
ロシアとクルミア半島をつなぐクリミア大橋で火災があったらしい。何が原因でそうなったかは不明。ウクライナ側はウクライナからの攻撃をにおわせているしロシア側は事故だといっている。一両日中に復旧するといっているが炎上している写真をみるとどう見ても無理そう。今、この戦争はロシアからの侵略というターンからウクライナからロシアへの反撃というターンに移ってるように素人目に思う。
毎年冬になるとベランダにテントとこたつを出してそこで過ごしたりしている。寒くなったので息子氏が「いつベランダにテント出す?」と言ってきている。ただ、まだベランダにはハンモックがぶら下がっている。このハンモックというのは、嫁が、秋冬の涼しい時期に快適に過ごすために設置したものだ。まだ寒くなったといってもギリギリハンモックで過ごせる時期なので嫁はハンモックを渡したくない。ベランダの占有を巡って嫁と息子氏の間で駆け引きが行われている。
片付けの原則として『片付けの厄介さはにはそうなるのにかかった時間に比例する』と思う。提唱者は自分だけれども。時間が経てば混沌としていくし、地層ができてしまえばそれを発掘して分類して調査するのにも時間がかかる。土地の発掘にも似ている。押入れとか、とりあえず放り込んでおこうという考えが良くないが、1年2年使わないもの、使わない資料はそうなってしまいがち。そして、それはいらないわけではなくどこかでまた使う可能性が高かったり、歴史的資料としてすでに価値が出てしまったものだったりして処分にいろんな体力がかかるものになってしまっていたりする。そういうのが、すごい面倒。
うちで飼ってる一番若い猫が、柔らかいところを見つけると「あ…ここ気持ちいいニャン」っていっておしっこをする猫、らしくて。家具とかクッションとか見直さないといけなくなって大変。布団の部屋に入れないようにしないといけないが、まあ、人間ができるすると隙をみて出入りするので、そこらへんはどうにも難しい。嫁が「どうにもここら辺の空間から猫の尿の匂いがする…」と疑心暗鬼になっている。
やっぱり書き味があまり良くない(精度が低い)ので、iPadか気象タブレットが欲しい。