↓こっちは飲むと死ぬほうのストロングです。
リセッシュ 除菌EX 消臭ストロング つめかえ用 320ml
- 発売日: 2014/09/27
- メディア: ヘルスケア&ケア用品
ほか、資本主義の悪魔が出てくる話はこちらです。
orangestar.hatenadiary.jp
kindle発売中です。こちらもよろしく。
- 作者:小島アジコ
- 発売日: 2016/12/31
- メディア: Kindle版
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※参考
www.j-cast.com
ほか、人間工場シリーズ
人間工場シリーズ カテゴリーの記事一覧 - orangestarの雑記
kindleで発売中です。よろしくね。
30日土曜日 東地区 あ 41a みかんの星 です。
何か持っていきます。よろしくお願いします。
マメの体重が、ゆっくりと減っていってる。先月の17日で4.2kgほどだったのが、いま、4.0kgちょうどくらい。見た目はそんなにしんどそうとかはなくて、元気でやっているように見えるし、一応、ご飯も食べてるみたいだし、水も飲んでいる。気にしてもしかたないって分かってるし、先月のそれが分かったときに比べて、だいぶ自分のメンタルも落ち着いたけれども、ふとした時にううーってなってしまう。ダメだ駄目。
◆◆◆
先月のマメの余命宣告がされてから、物凄く凹んでいた。それをマメちゃんが心配して夜寝るときとかずっと枕元でまっていて、ゴロゴロ言っていた、らしい。らしいというのは自分が寝ていて気付かなかったからで、寝てる時にうなされたりすると、鼻の頭を舐めたり、そういうことをされていたらしい。
昔からマメちゃんはそういうところのなる猫で、体調を壊して寝込んでいたりすると、枕元に来て、頭の毛を毛づくろいするみたいにぺろぺろ舐められたりしていた。うちの猫の中では、一番人間の気を遣う猫で、弱ってる人のところに来ては、ゴロゴロいって、「大丈夫?」っていうふうなことをする。自分がマメを心配させてると、それがマメのストレスになるので、ちゃんとしないと、って思う。
◆◆◆
子どもがお風呂に入っているときに、お風呂の前まで来て、子どもがひどいことをされてないか監視するのはオシオがいるうちはずっとオシオの仕事だったのだけれども、最近、それをマメがするようになってきてた。お風呂を子どもが上がるのをずっとお風呂の前で待っていて、何もなかったら、「よし!」みたいな顔をして去っていく感じ。ただそれだけなんだけど。
マメちゃんは、この「よし!」みたいな顔をすることがすごく多くって、子どもたちが、高いところのお菓子をとろうとして、事故を起こしそうなときにずっと見守ってる。成功すると、「よし!」みたいな顔をするんだけれども、あれって何なんだろう。
◆◆◆
だんだん寒くなってくる。使い終わったダンボールを放置していると、そこにマメちゃんが入ってくつろぐようになった。昔はマメちゃんが中に入っていると、次男が、中からマメちゃんを追い出して自分が中に入ったりしていたのだけれども、最近はそんなことがない。ただ、他の場所、ソファの上とかだと、場所の取り合いになるけれども。
◆◆◆
今年、石油ストーブを買った。
猫と子どもが危ないから様子を見ながら使う。今のところ特に危ないことはない感じ。むかし、石油ファンヒーターで、マメちゃんは髭を焦がしたことがあるし、イリは、尻の毛を焦がしたことがある。
◆◆◆
朝になると、猫が全員布団にいる季節になった。
去年に比べると一匹少なくて、それだけでだいぶ人口密度が小さいなって思う。去年は、ここにオシオがいて、朝になると本当にギッチギチで狭かった。シングルとセミダブルをくっつけて大きなひとつのベッドにして使っているのだけれども、そこに4人と4匹が寝るとギリギリになる。大人ふたりよりも、こども二人と猫の専有面積、縄張りが大きすぎる。来年にはもう、2匹になってるんだろうなと思う。
◆◆◆
マメはほかの猫と違って、あんまり膝の上に載ってこないで、机の上の目が届くところに居たり、ソファに座っていたら隣にきたり。ごろんと身体を丸めるのではなく、ずっとかしこまった姿勢で、こちらをみていて、撫でられるのを待ってる。イリの場合は、机の上でごろんとなってただ、そばにいるのが好きだし、ゴマは膝の上に載ってくる。オシオも膝の上に載ってきて、膝の上に載ってきたら、お尻を立てて撫でるまでずっと緩さない感じだった。甘える方法にしても猫によって全然違った。
マメ横顔:目鼻だちがしっかりしてる
水飲むゴマ
※この写真撮った後、写真撮ってる暇があったら怒れ!って怒られた
だいぶ小さくなってしまったけど、横になるマメ
こたつの中のゴマとイリ
こちら、
FGO人理修復の旅:6章「神聖円卓領域キャメロット」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
FGO人理修復の旅:7章「絶対魔獣戦線バビロニア」ネタバレ感想と考察 - orangestarの雑記
の続きです。
先日、やっと、FGOの第一部をすべてクリアしました。人理修復を完了しました。
以下ネタバレ感想です。
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「え?」「え?」「所長は?」
昨日の深夜、人理修復を完了したんだけど、まだ、ショックから立ち直れない……。
— 小島アジコ@11/23文学フリマ「カー4」 (@ajico_k) 2017年11月23日
所長……。所長……。
オルガマリー所長どうなったの………。
帰ってくるって、きっと最後助けに来てくれるって信じてたのに……。所長……。
終章本当に素晴らしかったのだけれども、素晴らしかったら素晴らしかったぶんだけ、所長の不在が辛い……。巌窟王でさえ助けにきてくれているのに……。自分と所長の絆はそんなものだったの….。
— 小島アジコ@11/23文学フリマ「カー4」 (@ajico_k) 2017年11月23日
所長、あんなに頑張ってたのに、何者にもなれずに、誰にも顧みられずにいなくなってしまうなんて辛いよ……。
— 小島アジコ@11/23文学フリマ「カー4」 (@ajico_k) 2017年11月23日
俺のfgoは終わった。
— 小島アジコ@11/23文学フリマ「カー4」 (@ajico_k) 2017年11月23日
いや、まだカルデアの冒険の旅は続くし、カルデアがある限り、それは所長が命がけでまもったものなので、まだまだ、カルデアと世界を守る旅を続けよう……。世界を観測し続けよう……。それが、所長の、オルガマリーアニムスフィアの望んだことなんだから……。う、うう〜。
— 小島アジコ@11/23文学フリマ「カー4」 (@ajico_k) 2017年11月23日
オルガマリーショックからやっとこさ立ち直ったので、色々と終局、また、第一部の感想を書きます。こういう風に描いてるけれども、本当にFGO1部は素晴らしくて、いい物語だったので、(だからこそオルガマリー所長の不在が辛い)本当に面白かったんですよ。ありがとうございました。
以下、本編に対する、ネタバレがあります。本当にネタバレがありますので、プレイしてから読んでくださいよ。約束ですよ。
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それまでの章は、毎日、1節ずつとか少しずつ進めていたのだけれども、終章は1日で終わらせてしまった。物語的にそちらの方が正しいと思ったので。物語上でも設定されている制限時間は72時間、一気に戦い抜くシーンだと思った。
去年、リアルタイムでプレイしていた人間は何度も復活する魔神柱との戦いのイベントがあったらしくて本当にうらやましい。
どうやっても絶望的な状態になったとき、今まで一緒に戦った仲間が助けに来てくれるっていう王道展開。とてもベタでベッタベタなんだけれども、これだけしっかりと準備して、そしてその展開へ対する地盤をしっかり固められたうえでやると、本当に心がムーブするというか、泣いてしまう。今までの自分たちの旅は無駄ではなかった、そう思える。
魔神柱の「わーこれ手に負えんわ、あかんあかん」ってなってからの、1章からの仲間が助けに来てくれるシーンの連続が本当に良かった。良かったんだけど、ナベリウス…。「フハハハハハ!俺を読んだか!」「誰?知らない人…?」
巌窟王、巌窟王イベントしてないから誰だか分からない…。ほか、イベントでしか見ない人たちが助けに来てくれて、他はそれ以後のイベントでも結構出ているから知ってるんだけれども巌窟王だけはあまりにも初対面な上、「呼んだか?!」っていうテンションで来るので、本当に困惑する…。今までの「おおお…」って涙がヒュン!って引っ込む。これ本当に問題だと思うので、巌窟王イベント復刻してください本当お願いします。多分、そのうち、BBちゃんのイベントも同じようになるような気がするので、BBちゃんのイベントも復刻してください。あと、それとは別に綺麗なオルガマリー所長分が不足しているのでそれも何とかしてほしいです。
絆を結んだ英霊のほかに、その時の時代時代の兵士や海賊や人間が助けに来てくれるのがすごいうれしかった。むしろ英霊よりもそっちの方が嬉しかった。人の歴史を作り守るのは、一握りの英雄ではなくて、その時代を生きたたくさんの人間たちだったいうのが、多分、お話の根っこの部分にあって、だからこその、一般市民召喚がとても良かった。ずっと一緒に戦ってきたもんな。名前もないたくさんの人間が人間の歴史を作るんだよう。
なんでロマニ=アーキマンは人間で無ければならなかったのか、っていうと、上の、人間の歴史を紡ぐのは英雄ではなく、ひとりひとりの人間である、っていうところに繋がってると思っていて。ロマニっていう、英雄でもない普通の人間が、魔神を倒す、封じるということに意味があるんだと思う。ソロモン王という魔術師ではなくて。
「ラーマーヤナ」の主人公、ラーマはヴィシュヌの転生なのだけれども、記憶を失ってただの人間として生まれる。ただの人間だからこそ、神様でも倒せない魔王ラーヴァナを倒すことができた。ラーマは5章で出てきた英霊なのだけれども、人間の歴史を人間が紡ぐというエピソードなのだと思う。
で、第7章では古代ウルクを舞台に、そのこと自身がテーマになっている。
人の手で、歴史を紡ぐ、神様から与えられた力を空に返す。
“本当はすごい人間だったんだよー”って感じのが明かされるのだけれども、でもそれまでの1~7章の抜けてて、肝心なところで役に立たなくて、失敗もするし、慌てるし、空気も読めない、そういうロマニも本当のロマニなんだと思う。人間として生きるってたぶんそういう事なんだと思う。笑ったり、泣いたり、失敗したり。良くパーティを開いていて、人理修復が成功したらそのたびに小さいお祝いをしたり、最後の旅が終わった時のためのお祝いの準備をしていたりして、そういう、日常の小さな楽しいことの積み重ねを大事にしていく、生活していくっていう事をとても大事にしてた。生きることを大切にしていた。
去年のイベントの流れでは、2016のクリスマスイベントが終章の前だったから、クリスマスイベントを終わらせてから終章に突入した方がいいと聞いた。なので、クリスマスイベントを終わらせてから終章に突入した。クリスマスイベントの中で、アステリオスが、ぼくの願いは、この楽しい時間がずっと続くこと。でもそれがかなわないのは分かってる。でも、だから、いま、ここでこうしていることが幸せだし、それが嬉しい。というようなことを言っていて、ああ、このカルデアでの暮らし、旅というのはそういうのなんだな、って思った。
グレンラガンなどでもそうだけれども、生きる、精一杯生きるっていう事の果てには、死がある。生きることの肯定はその果てにある死までを含んての命への賛歌。生きたいっていうのは命の肯定で、命は、生まれて、生きて、そして死んでいくもの。
1章のマシュ、所長、主人公の「死にたくない!」っていう気持ちから物語は始まって、そして終章の「生きたい!」っていう意思で終わるのがとてもきれい。
何のために生まれて、何のために生きるのか分かんない。誰からも認められてないし、自分が何者なのかもわからない状態から、いろいろな時代を旅して、いろんな人の人生に触れて、人の死に触れて、人との別れを経て、生きるっていうことを意味、すばらしさとかを心で理解して、生きたい、この先の景色を見たいって思った時に示される、人生の制限時間。死にたくないけれども、それは死にたくないから死にたくないのではなくて、生きたいから死にたくない。だから、ゲーティアから、「死なない」方法を提示されるけれどもそれは選べない。それは、同時に「生きない」っていう事だから。所長……。所長の時間は「死にたくない!」のまま止まっているんだ……。
所長は本当にマシュとの対比のキャラクターとして作られていて、冬木の時点では、同じように自分の人生を生きられていないキャラクターだったのに…どうしてこんなことに…慢心…?環境の違い…?
「満足する死とは?」「『泥なんて...なんだい』よ」
っていうやり取りが、『うしおととら』にあるんですよ。すごい好きなエピソードなんですけれどね。刑場で、人が処刑されて死んでいくのをずっと見ていた妖怪がいて、彼らはそこで嘆き悲しんで死んでいく人たちをずっと見ていた。でも、その処刑されている人間の中にも笑って死んでいく人間がいる、それを不思議がったその妖怪たちは、人を集めては「満足する死とは?」と聞いていくんです。で、それに対する、答えが、「『泥なんて...なんだい』よ」何ですけれども。
自分の命よりも大事なことがあって、それは人によって違うけれども、それを守れる、または貫けるならば、それは、”死なない”ことよりも重要なんだっていう。
フォウ君……。ケモノじゃん……。
マシュの背中はとても小さくて、あまりにも過酷だって思った。普通の女の子みたいに生きて行ってそれで年を取って死んで、ってそういう当たり前の生き方をなんでできないんだ……。最後、主人公、泣きながら何度も転んでカルデアに戻るのが見えるし、ラストバトル、アレ、絶対ステゴロだと思う。
同時進行で、アニメの(DEEN版の)Fate/stay night も観てた。
amazonプライム:Fate/stay night 2006
10年越しの遅れた履修だけれども、初めてちゃんと(ちゃんとというとゲームもしないといけないんだけれども)Fate/stay night という物語に触れました。(断片としては色々と知ってた)
で、思ったのは、Fate/stay night というのは「隠されたヒーロー」の話、誰にも顧みられることのない正義の味方、の話だということ。
正義の味方が何で顔を隠しているのかっていうと、それは『どこの誰かは知らない人』が正義のために戦っているということが大事だから。スパイダーマン2の作中で語られているのだけれども『自分の知らない誰かが、誰にも褒められず知られることもなく正義のために戦っている、それが、普通に生きてる人間の心の支えになってる、自分も正しい行いをしようという勇気を呼ぶ』っていうこと。
だから正義の味方は顔を隠しているし、誰にも知られることもなく世界の平和を守っている。
たくさんの、名前のない“正義の味方”が誰にも顧みられることなく、戦っているというのが、マスクドヒーローのコンセプトで、そして、Fate/stay night はそういう光の射さない闇の中で戦う「誰も知らない正義の味方」の話だった。
Fate Grand Orderは、それとはまったく違う、光の当たる場所を目指して歩いていく物語だった。どこにも英雄はいなくて、普通の人間である主人公が、普通の女の子と一緒に、希望を目指して歩いていく物語だった。どこにも英雄はいなくって、ロマニも普通の人間のまま消えていった。所長……。*1
そういう普通の人たちが、みんなで頑張って、その力を束ねて、その結果として人理があるっていう、そういう物語だった。
「誰も知らない正義の味方」はその生き方を貫いた場合、果てることのない戦いを続けて、いつかそのまま闇の中へ消えて行ってしまう。終章の最後、嵐のやんだ青空の下を歩いていくのは、とてもいいエンディングでした。
「所長……」
所長ロスが抜けないので、亜種特異点に突入するのはたぶん年明けになりそうです…。それまでは種火とか集めて、地道にレベル上げたりしてます。
*1:誤解ないように言っておきますけどFate/stay night の隠されたヒーローの話も大好物ですよ。男子はみんな隠されたヒーローの話が大好きです。ただ、これは物語のタイプの違いということで
マメに関して、あと、個人的なことについての日記をこれからnoteの方で書いていこうと思います。先日までの記事の続きです。先日までの記事と、あと、オシオに関しての記事も、こちらにあげなおしました。
個人的な自分の感情をどこかに出力して自分の中で整理したい、っていうのと、”たぶん、ここ「orangestarの雑記」や「はてなブログ」はそういう場所ではないよなあ”というような感覚と、あと、自分だけの個人的な日記では、結局、自分あての手紙になって、感情の整理がうまくいかない、誰かに話してるっていう体が必要なんだなっていうところから、noteを使って、こういうふうな日記を、色々自分の中が落ち着くまで、また、自分のなかで、整理がつかないことがあったら、書いていこうと思いました。
あと、こういうことばっかり書いてたら、いつもの漫画の更新とか、アニメとか映画の話とかいつまでも出来ないので。で、こっちのオフになるわけではなくて、継続的に個人的ワーっていうのも続いているし、ほかのことも並行でつながってるけれども、そういう個人的ないろいろを押し込めるには、あまりに混沌だと思ったので。辛くて悲しい時だって、人は仕事をするし、変な出来事に突っ込みもいれるし、愉快な映画も観て感動するし、FGOだってするし、アフィリエイト記事だって描く
比較的、このブログはそういうところがごった煮だし、個人ブログってそういうのでいいっておもってるんだけれども、この温度差はひどいな、と流石に思ったりしたので、本当に個人的な、ただ出来事を記した日記は、こちらで書くことにしました。
有料記事となっていますが、プライベートな情報があったり有益な情報があったりするわけではありません。
全体公開をして、自分のことを知らない人間が、その単体の記事だけをみて感想を投げてきたするのが、(一般的な話をしているのならいいのですけれども)個人的な話でそういうことがあるととてもつらいので、こういう形にしました。
プライベート設定にして個別許可というのもアリだとは思ったんですが、そうすると、お互い認知することになって、王様の耳はロバの耳をどこか穴に話している風ではなくなってしまう。そういうことでの有料公開記事です。10円とかでもよかったんですけど100円からしか無理だったので。
興味のある人だけ読んでみてください。
202205221追記
すぐにどうとなるわけではない。日常はくる。とりあえずご飯は食べているし水も飲んでいる。
一昨日から長男がおなかの風邪をひいていて、夜中に吐き戻した(鼻水も出ているので鼻水がたまったっていうのもある)。洗面所まで手を洗いに行っているときにマメがついてきて、「大丈夫?」って感じで鼻先でつついて「くるるーん」って言った。くるるーんとか、うるるーんって鳴き方はメインクーン特有らしい。こういうとき、マメはよくそばによってくるなあって思った。他にこんな風に近寄ってくる猫にオシオがいて、でも、もういないんだなあって思ったり。冬になると猫が夜に布団で寝るようになってくる。マメちゃんは人の枕もとで香箱をくんで騒音レベルの音のゴロゴロ言いながら、人間が寝るのをずっとみてる。マメちゃんは布団に入ってこない猫で、主に枕もとにいる。騒音レベルなので、のどを鳴らされると長男は頭から布団をかぶる。
昨夜から急に冷え込んで、昨日の朝は、起きたら、布団に猫が3匹いた。それぞれ布団の上だったけれども。去年はここにオシオがいて、布団の上の人口密度が、猫4匹と人間4人でものすごいことになっていた。とにかく狭かった。
4匹の猫のうち、布団の中に入ってくる猫と、入ってこない猫がいて、入ってくる猫は、イリタとゴマ。毛皮が薄い組。オシオとマメは毛深いから、布団の中には入らなかった。寝る場所も、マメちゃんは場所があいていたら枕の上に乗るし、イリタとオシオは、丸くなって子どもの頭とか背中に身体を引っ付けて寝ていた。ゴマはもっぱら布団の中に入って、大人の股の間に入り込んで寝てた。ゴマが一番寒がり。布団への入り方も、ゴマは結構スマートにニュルンと潜り込むけれども、イリタは不器用で、イノシシかモグラが土に潜るみたいにズモモモモ!っていう勢いで布団の中に入っていってた。ただ最近はそういうのがなくて、人間が開けてくれるのを待つようになった。イリタの定位置はだいたい決まっていてベッドボードの根本あたりだったので、そこだけ毛がすごかった。イリタの毛は、ごわごわとイノシシのような毛質で、特に背中の毛が硬い。嫁の足の裏に刺さったこともある。その毛が一晩でシーツに刺さりまくる。あと、イリのにおいがする。猫はそれぞれ違うにおいを持っていて、マメちゃんは毛布みたいなにおい、ゴマはなぜかクッキーみたいなにおいがしたし、イリタは獣っぽいにおいがして、オシオはなんというか女くさかった。女の人特有の何もつけていないのにいいにおいがするのの、いいにおいを抜いた感じ。毛や、においというものが猫によって大きく違っている。去年までは、子どもが布団に入るまでに、オシオとイリが先に布団で待っていて、子どもが寝付いたらそばによって寝かしつけみたいな形で起きないようにそばにいてくれていた。大人も寝た後、いつの間にか他の二匹も寝に来ていて、朝になればものすごい人口密度になるんだった。今年は、それが、一匹少ない。
自分が今、住んでいる家はとても日当たりが良くて、朝の光が良く入ってくる。嫁が、家を選ぶ時の条件として、日当たりを重視するタイプなので、こういう冬の寒くなってきた日でも、朝、日が差してくると急に暖かくなる。太陽が低くて横から入ってくる光の中に猫がいると、どことなく神々しさを感じる。幸せなイメージ。今日は、まだ、長男の風邪が治りきっていないので、幼稚園をお休みをした。マメの病気のこと、残りの時間のことを、死のことをどうやって子どもに説明しようかと考えてる。オシオのことがあって、死ぬっていうことはどういうことかは理解している、もう会えないってこと。オシオ、っていう言葉が時々会話の中に出てきて、その話をすることもある。本人の口から。オシオが最後お世話になった動物病院の前を通るときに、「あそこがオシオの病院だよね?オシオちゃんと寝てるかなあ?」っていう感じで。ただ、そこから、話をつなげようとすると、悲しそうな困ったような顔をして、トミカハイパーレスキューの話をしたりして話をそらしてしまう。
オシオが今、幸せでいる、として、そういう物語があるとして、でも、「もう会えない」っていうことにはかわりがなくて、そういうのってどうしたらいいんだろうなって思う。ペットの死を扱った絵本で、虹の橋、っていうのがあって、それは、死んだペットが、飼い主がやってくるまで、ずっとあちら側で待っているっていう話なんだけれども、そういう物語が必要なんだろうなって思う。でも、先に待ってるっていうお話だとこまる。長男が70歳まで生きるとしたらあと65年は待ちぼうけだし、65年間会えないっていうことで。65年って言ったら太平洋戦争が終わってから、ソ連が崩壊して、ノストラダムスの大予言が外れて、世界がインターネットでつながってスマホが発売されるくらいの長い時間で、「それだけ長い時間が経たないと会えないよ」っていうのは…。今5歳なので、今まで生きてきた時間の12倍くらい。長い。困った。
いないということ、思い出にするということ。写真を懐かしがるということ。
幼稚園を休んで、退屈そうにしていたので、昔のオシオが小さい時の写真や、それからの写真を一緒に見ることにした。オシオが小さい時の写真があるよ、みる?って聞くと、みる、と言ってくれたので。パソコンに入っている電子データ。パソコンの前で長男を膝にのせて、一緒に写真を見る。
昔のカメラは、性能が悪くて画像の大きさもそんなに大きくないし、手ぶれがひどい。猫は速度が速いのでほとんどぶれている。
オシオが家にやってきたときの写真から、ゴマを捕獲したあと洗った写真。逃げ出したオシオが捕まって捕獲用の檻に入っている写真。赤ちゃんのときのゴマ。まだ若い時のオシオ。まるで親子みたいな感じで一緒に寝たりしてるゴマとオシオ。拾ってきたばかりの、耳がやっと立った程度のイリ。3匹で、日向の布団にくるまって寝ているところ。マメが来たところ。ペットショップの段ボールに入ったままのマメ。その開封の儀。マメとイリが一緒に寝ているところ。このころはまだイリの方がずいぶん大きい。4匹で一緒に寝ているところ。猫の写真って大体寝ているところの写真になるなって思った。ほとんどが寝てる写真。ゴマとオシオが一緒に寝てることが多くて、ゴマがオシオの首にしがみついたり、お互いに抱き合ったりして寝てた。いつもそういう寝方をしていたんだけれども、そういう写真はあんまり出てこなくて、日常になりすぎているとそういう写真って残さないんだな、って思った。そして、オシオがいなくなってから、猫同士でくっついて寝るっていうのをしなくなったな、って思った。嫁のスマホは猫と子どもが一緒に過ごしている写真ばかりらしい。
そのあと、適当なところで長男が飽きてきたので。グーグルの地図で、幼稚園までの道を歩いたり、川をさかのぼったりした。
長男よりも、猫の方が先に生まれたから、先にいなくなるよ、っていうような話をしたのだけれども、分かんないそぶりで。ただ、長男は、理解したくないこととか、そういうことがあると、わからないふりを自分自身に対してするので(自己欺瞞というのはもう幼稚園児からある)どうなのかはよくわからない。