orangestarの雑記

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異類婚姻譚、あるいは異形の出てくる物語について。

togetter.com



異形の出てくる物語、あと性別も含めてについて。上のTwitterまとめからちょっといろいろと考えた。
上記のもともとのtwitterは「男異形×人間女はあるけれども逆の物語がないのはなんで?」っていうことで、それに対して多方面から突っ込みが入っているのだけれども、確かに男女の違いで物語の構造がある程度違っていると思う。というか、異形、異類、マレビトが出てくる物語は、男女の違い、集団の違いである程度類型化できる気がする。あと、主人公の目線をどこに置くかでも変わってくる。


  • 異形男×人間女(異形が異形)
    • 美女と野獣
    • ミミズクと夜の王

人間女が人間社会から少し異形(ずれている)ということが多い。人間女子がずれているので、怪物の容姿を気にしないで接していてそこに愛が産まれるパターン。
または監禁状態などによるストックホルム症候群による。
純粋なパワーの力関係が「異形男>人間女」となっていて、それが物語が展開する原動力になっている。

  • 異形男×人間女(異形がイケメン)
    • トワイライトシリーズ

これは、後述する異形女×人間男(異形女が美女)に構造が似ている。
人間男だと思っていたら異形男で、そこで『真実の愛が試される』という話。出自、家柄によって真実が試されるので、ロミオとジュリエットと同じ類型の話となる。

  • 異形女×人間男(異形が異形)
    • アバター

アバターがそうらしいという話なんだけれども未視聴なのでなんとも言えない。
あまりこの類型の話を知らない。

  • 異形女×人間男(異形が美女)
    • ぼくのエリ 200歳の少女
    • 沙耶の唄
    • ファウスト
    • (クトゥルフ美少女もの)

異形女が美少女、美女、魅力的な容姿として(少なくとも男性本人には)見えていることが多い。あと、“向こう側”へ誘う存在として描かれることが多い。
男の人が、社会に属する生き物で、その社会からの外側の存在として常に女性があるというのがあるのかもしれない。女は蛇。
あと、人間女だと思っていたら異形女で、そこで『真実の愛が試される』というパターンも多い。これは、最初から異形女だと分かっているのとは別の類型のお話として処理した方がいい。
男女逆のパターンの、人間男だと思っていたら実は異形男っていうパターンってあんまり見ない気がする。トワイライトシリーズとか。


  • 異形男×人間男
    • ET、などたくさん。

恋愛ではないけれども異形がかかわるパターンとして。
種族を超えた友情の話だけれども、相手が異形であるゆえの葛藤があるのがあまりない。boy meet boyとして、子どもが大人になる、大人がより大人になる、成長の物語、男を一つ上の視野に押し上げるための装置として出てくることが多い。異形女が“社会の外側”へいざなうのと違って、より大きな”社会””世界”への入り口、そこへの道筋をつけてくれる異形として出てくる。
異形女×異形女の物語を見たことがない気がする。異形男×異形男の物語はよく見るけれど。
もし知ってる人がいたら教えてください。



類型として分けた時、物語の進め方にある程度差異がある。

  • 男性が社会に属して、そこで存在証明されないと生きていけない生き物であるということ
  • 物理的な力で男性>女性であるということ
  • 男性の方が異性を見た目で判断するということ

ここらへんが、それぞれの物語におけるキャラクターメイキングと物語の進め方の違いになってる気がする。


それと、物語の結末として、男性異形男性人間どちらにしても、変質するのは男側で女側は変質しないって特徴がある。そこらへんも、男性が社会的生き物であるところと関係があるのかもしれない。

いつかどこかで会えると思っていた人にもう会えないということ

色々考えたけれども、自分にとってそういうことなんだな、って思った。
家族でも友人でもないから悲しむのはちがうと思う。直接やりとりをしていたわけでもないし。ただ、同じ場所で、同じようなことをして遊んでいた、ただそれだけの関係で。

例えば、ゲームセンターで高得点のところにいつも名前があって、お互いに存在を認知して、時々同じ時間に同じフロアにいることもあるけれども、一度も話したことのない存在。でもまあ、いつか、何かの機会に話すこともあるだろうし、って思いながら、積極的に話にいったりすることも無い、そういう関係性だったように思う。

悲しい、というようなものとは違うと思う、この感情は。ただ、「ああ、もう会えないんだな」っていう、漠然とした、霧みたいな喪失感。ただ悲しくて寂しい。

今までも何人か、ネット上で、お互いに認知していたり、一方的に認知していた人が亡くなったことがあって。その人が亡くなった後も、そのブログやレンタルサーバーの契約が残っているうちはその人のサイトが更新されないまま残っていて、そして、サーバーの契約が切れたり、無料サービスでもその無料サービス自身が終了したりして、not found になって、もともとどこの誰かも知らない人が、知らないまま、居なくなってしまうっていうことが、何度かあって。もう会えないんだな、物理だけでなく、このウェブ上からもいなくなってしまったんだな、と思うことがあって。

この間、同じようなことがあったとき、だから、ネット上で会ってみたい人がいたら実際リアルであうようにしよう、交流したい人がいたら、実際に話しかけてみよう、ってそういう風に思っていたのに、結局また、まあ、こういう風に。

1週間経った。人は色んな理由で死ぬし、自分にとって今回のそれは、あんまり重要じゃないって思った。実際、自死よりもマシだと思った。原因は、増田含めたはてなの仕組みにあるという話があって、それはまあ、正しいと思う。はてな、はてな村の人間関係、関係が無くても、そこでのペルソナの在り方は、よくも悪くも繕わない場所だった。20年前のテキストサイトのような趣きを残す場所だった。他のインターネット上の人が集まる場所が、リアルの人間関係と同じようなマナーとしての気遣いと、威圧としての気遣いと、威圧としての自己顕示と、マナーとしての自己顕示で成り立っていて、タイミングよくボタンを押していくということ以外がすることができない場所になってしまっていく中で、はてなブログだけは、代が変わっても、そういうむき出しの色々なものを出したまま、成立できるコミュニィであり、そういう人間が集まっていたと思う。

あってみたい、話してみたいと思う人は、結構たくさんいる。でも、話しかけて迷惑かもしれないとか、(自分は人間関係を維持する能力が著しく低いので)結局疎遠になってしまうのなら話しかけない方がいいなとか、そういう風に思ってしまう。自分自身忙しくて、そういうことに割いているリソースが無かったり。

はてなは、絡んだり関係が出来たりするのが仕組み上起こりやすいようになっていて、それが悪い結果を呼ぶこともあるけれども、でも、それで出会えることもあるし、できるだけ、自分もこれからはちゃんと絡んでいきたいって思う。








はてな村奇譚上

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