orangestarの雑記

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『戦わないといけない時代』にウケる作品とはどういうものか

最近(コロナ、ウクライナ戦争、ガザ侵攻、そして先日のイラン侵攻)の社会情勢、そして、誰もが『戦う』ことから逃れられなくなっていると思う。
戦う、というのは、戦争をするということではなくて、『自分の立ち位置を決めて、そして、その場所で『なにか』を迎え撃つ、という姿勢が求められる』ということだ。
この間の高市早苗率いる自民党が大勝した選挙だって、そういう『戦い』のある選挙だった。

常に『問われる』

そういう時代に置いて、それ以前の『平和な時代』に作られてきた作品と、近年の作品は決定的に違いがあると思う。

高度経済成長から失われた20年目くらいまでの『平和な時代』に作られた作品は『問いかける作品』が多かった。お前はそれでいいのか、世界にはこういう問題がある、それに無関心で良いのか、考えろ、感じろ、目を開け、そういう問いかけをしてくる作品が多かったし、そういう作品が評価されてきたと思う。

じゃあ、今はどうかって言うと。

とにかく見たあと『楽しかった!!!!!!』って思えて、その後に何も残らなくって、楽しかった余韻だけが残る、そして明日からの『戦い』に備えた充電ができる。そんな作品が求められているし、作られるようになってくると思う。超かぐや姫とか結構そんな感じだと思うし。

バランスだ。

現実で、透明でない戦争をしているから、コンテンツは日常を忘れるものが求められる。逆に、平和だった時代は透明な戦争をしていたから、明確な敵(問題)を提示する作品が多かったのだろう。

これから増えてくる作品群は、多分、評価されない。評価、批評家、議論の的に上がるようなわかりやすいテーマ性が無いからだ。少なくとも、以前、平和な時代に使用されていた『作品分析ツール』は使えない。
ただ、そういう作品には意味があるし、決してそういう作品群は(評価の対象にならないからと言って)質の低い作品というわけではない。

釣りバカ日誌という映画がある。

それは『平和な時代』に置いて、『日常の労働や悲喜こもごも』という具体的なことと戦っていたサラリーマンを対象にした映画だ。明確に敵がいて、戦っていた人に向けて作られた映画だ。釣りバカ日誌には作品テーマが無い。(いや、あるんだけど、作品分析ツールで使われるようなテーマが無い)釣りバカ日誌は楽しい。そしてただ楽しいだけで、後には何も残らない。そういう映画だ。自分は大好きです。

で、これからはそういう映画(物語、コンテンツ)が必要とされているし、求められるようになると思う。

今は悪い時代だし、これからもっと悪くなっていく予感のようなものがある。
それを指摘して何とかしようぜ、っていうテーマの作品というのは必要だし見られるべきだと思うが、然し、もう、そういうコンテンツによる表現(現実から距離を置いた問題定義)よりも、直接、『戦う』ことの方が求められる、そういう時期に既に差し掛かっていると思う。できることは少ないが、できることを少しづつやってくしかない。

自分もできることをできるだけやっていこうと思う。

また、くだらない、カビの生えたような価値観を、こねくったような作品が作れるような時代が来ることを目指して。