orangestarの雑記

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最近の、おじさんおばさんについての話について思うこと

なんとなく、気合が入らない。この季節はどうもメンタルの調子がよくなくて何か集中できない。集中できないというか、精神のエネルギーがものすごく下がっていてものを考えたり、何かを作ったり、そういうことがしにくかったりものすごく時間がかかったりする、よくはないけれどももう自分の体がそんなふうに壊れてしまっているので仕方がない。かつて鬱になって体壊した頃に比べれば、これでもだいぶましな方。自分は精神のエネルギーと言う物を水に例えてイメージしていて、こんなふうに精神のエネルギーが足りない力が出ないことを「水位が下がる」と呼んでいる。いつもだったら1メートル位下に水底が見えているのが、指先位のところまで上がってきている感じ。波風が立たない安定している状態だったら、特に問題は無いんだけれども、少しきつい状態になるとすぐにパニックになったりしんどくなって倒れてしまう。特に何も送らなければ普通にしていられるんだけれども、少し無理をすると水がない底が現れてだめになってしまう。

元気な、普通の人と言うのは多分水の底と言うもの意識せずに生きているのだと思う。それはとてもしんどくて、自分ができることとできないことを切り分けながらやっていかないといけない。折り合いをつけないといけない。頑張れない。頑張れるけれども頑張るとすぐに水が干上がってしまう。

歳をとると言う事のイメージ、最近インターネットの1部ではうまくおじさんおばさんになる方法と言うものが少し話題になっている。インターネットで文章書いていた人たちがみんなある程度歳をとったのだと思う。そういうの、でも、自分から見ると何となく贅沢な悩みであるな、と思う。基本的な能力の低下、感性の低下、今までの人生で積み上げてきた経験値、これからの残り時間、そういうものからこのような、うまくおじさんおばさんになる方法、と言うような問題を考えるのだろうけれども、自分がちょっとそれ以前の問題なので。

そもそも、1回鬱になって壊れてしまったときにいろんなものの能力がゼロになって、体力も0になったし感性も0になったし、経験値はリセットされたし体とメンタルが常に毒の状態で、一切回復ができない状態が3年くらい続いて。それでも時々動ける時があって、それが大体1年に30日位。その間に1年間の全部のことをやりくりして何とか収める。そういう風な生活をしてきたずっと。なので経験値を貯めるとか次の次のために勉強するとかそーゆー貯金が全くできずに、むしろ、貯金を切り崩すように生活していたので。おじさんおばさんになるというのはだから自分から見ると、「バブルの時の人たちがいつまでも若いままの状態をキープしておきたい」と言うのと同じ位贅沢な悩みに見える。おじさんおばさんと言うものは、このような形になろうとしてなるものではなく、もう自然になっていくものだし、どんなにみっともなくても、それがおじさんおばさんとして、社会に受け入れるべきもののかなってなんとなく思う。

美輪明宏か誰かそこら辺の人たちなどがキレイな年寄りになる、美しく老いていく方法について時々本を出したり語ったりしているけれども、それと似たようなものを感じてしまう、みんな好き勝手生きて好き勝手歳をとって好き勝手死んでいけばいい。それが人生だし、正しい歳の取り方正しい老い方、正しい死に方、そういうものは傲慢なんだと思う。持てるもの、今で言えばもはや特権階級の人の戯言ではないんだろうか。直そうに見えるし実際正しいのだろうけれども、それは多分1部の持っている人やそれのホロワの人しか幸せにしないような気がする。


などなど。


この文章は、スマートフォンからの音声入力で書きました。だいたい20分ぐらい。スマートフォンから簡単なメモできないかなと思って、この間Bluetoothのキーボードを買ったのだけれども、変換する際の勝手に予測変換を出すのがものすごくやりづらくて時間がかかって仕方なくてこれは失敗したなと思った。昔は良い変換があったらしいんだけれど、いまはないらしい。音声入力で入力して所々間違ったところフリック入力で打ち直す方が、全然速く書ける。少し切ない。