- 作者: 仁科邦男
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2013/03/15
- メディア: 新書
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- もともと、伊勢神宮にとって、犬は穢れをもたらす不浄なものであった
- 実際に犬の伊勢参りはあった(記録に残っている)度会重全『明和続後神異記』
- 最初の伊勢参りの犬は、明和8年、山城国久世郡槙の島、高田善兵衛の犬
- そこまで不思議なことではなく、はては、牛や豚まで参った
- 豚が参るのは主に広島、岡山あたりからだが、ここら辺の町は城下町に豚が放し飼いになっていて、野良犬の替わりに野良豚がいた。(犬がいなかった)そのため、伊勢参りに“犬”を送り出すことができなくて、“豚”がやってきた
- ちなみにこの豚は、朝鮮通信使の人に供するように飼われていた豚らしい
- よく、逸話として出てくる「空から神宮のお祓が降った」というのは実際にあった
- 山師が降らしていた。葦にお祓を挟み、反対側に団子を刺していると、それをカラスがつまんで持っていくので、それが適当に落ちて行って“空からお祓が降る”となる。山師が実際に不思議をいくつか演出して、お伊勢参りをあおっていた
- 他に物語として、松が参ったというお話もある。
どうやって犬が長距離移動したのか
- 当時の犬社会について
- 当時は“野良犬”というような、“飼い犬”の対になる概念はなかった。
- 特定の飼い主に飼われる犬、というものはなく、地域で数匹〜数十匹の犬が、人間の活動領域とかぶさるように、コロニーと縄張りを形成していた。村の外れが、その犬たちのグループの縄張りだった。
- 特定の飼い主を持たないので、そこら辺を歩いている不特定の人についていく犬もいる。
- “伊勢参りする犬”という概念が出来上がったあとだと、人についてくる犬は、“伊勢参りの犬”というように認識され、人によって案内され、(そしてその種類の犬は不特定の人についていく犬だから)案内してくれる人に従って、伊勢まで引き継ぎで案内される。
- 帰りは、首から下げた標識に従って(〜〜村から来たという札と、途中の旅費をぶら下げて歩いている、旅費は、大概の場合、減ることはなく、途中途中で施しを受けて、大体村に帰る頃には倍の量になっている)村まで案内される
- 明治になって、“個人で犬を飼う”という習慣ができて、飼い主と犬が1対1の関係になり“里犬”がいなくなった。また、明治新政府の政策により、伊勢神宮はまた、厳粛な空間になって、犬が出入りできるような俗な場所ではなくなってしまった。
- そういういうなことで、明治になって、犬の伊勢参りはなくなる。