orangestarの雑記

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ブランコ乗りのサン=テグジュペリ感想

「不完全であれ。未熟であれ。不自由であれ」

紅玉いづき先生の少女サーカスを舞台にした小説。
私の個人的な見解ですが、『人間ではなくなってしまった生き物の一瞬の命のきらめき』を描かせたら、紅玉いづき先生に並ぶ人はいないと思う。
『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』もそんな、普通の人間としての生き方を捨てた女の子たちの物語だ。
この小説の世界観の説明はしにくい。あえていうのならサイバーパンクゲームで有名な『スナッチャー』みたいな近未来の世界観に、サイバーパンク要素を完全に抜いたもの。時代設定は近未来で、場所は埋め立て地に作られた経済特区。カジノ、ショー、サーカス。エンターテイメントにあふれた、白昼夢のような街が舞台だ。その泡のような小さな街の、さらに小さな少女サーカスという狭い世界で繰り広げられる、小さく短い少女の時間の物語が、この『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』です。
そのサーカスで団員の女の子は小説家の名前にちなんだ”名前”と”技能”を代々”襲名”していきます。『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』、『猛獣使いのカフカ』、『歌姫アンデルセン』、『パントマイムのチャペック』。少女たちは、上流階級の選ばれた人間しか観劇することのできないそのサーカスのステージで、人生のうちでもほんの一瞬一番輝く時間を、人生のすべてをその舞台に使います。
主人公はそのサーカスの花形、『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』の双子の妹。サン=テグジュペリが事故で足が動かなくなり、代役として姉の足が治るまで『サン=テグジュペリ』として空中ブランコに乗ることになります。そしてそこで巻き起こる事件。


紅玉いづきの小説をジャンルとして説明するのはとても困難です。
ミステリー要素もあるし、冒険といえば冒険。少女の成長物語といえばそうだし、ロマンスといえばそうです。でも、そのどれでもない。そういうのをすべて併せ持った壮大なおはなしでもない。それぞれの要素は物語の主軸ではなく物語の外側を流れる川のように、サラリと通り過ぎていきます。一番近い要素を言えば、狭いサーカス内の人間と少女を押しつぶすために作られた、サーカス学校のシステム、そしてその中で繰り広げられる少女たちの物語といえるでしょう。しかし。だがしかし。少女たちはお互いに心の交流をするわけでもなく、個々人が一人、自分の足で立ち、誰にも頼ることなく、襲名した名前に恥じないように、サーカスの演目を演じ、日常生活を送る。少女同士に交わりもわかりやすい友情もなく、ただ、自分と同じような境遇で戦っている人間に対して、戦友のような感情を持っていて、それは時に、普通の友情よりも深く、そして冷たい。そういう少女たちの物語です。不完全で、不自由で、未熟な少女たちが、舞台に立つ。ただそれだけの為に、自分の今までの人生と、これからの人生、命そのものを捧げて、だから、少女たちは美しい。
その一瞬の美しさこそがこの作品のテーマで、そしてそういう一瞬の輝きを、少女が世界で一番美しくなる一瞬を描かせたら、紅玉いづき先生は、当代一の才能の持ち主だと思う。


ブランコ乗りのサン=テグジュペリはそういうお話です。