そしてまた、オデロの死に際だけ、「母ちゃん、父ちゃん〜」っていうモノローグが入ったのか。
カテジナ論を語るところで語りつくされてる感はありますが、カテジナに対して一番言ってはいけない言葉っていうのが、件の
「ウーイックの嬢ちゃんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」なんですよね。カテジナは、なんかズブズブとゆっくり腐っていく世界と価値観の中で、自分以外の“なにか”になりたくて(でもそれが何かは明確に自分でも分かっていない)もがいてる人だから。“嬢ちゃんをやってりゃいいんだ”発言はカテジナ全否定ですよ、そりゃ殺されるよ。
そして、それを言うのが、なぜオデロでなくてはならなかったのか、そしてオデロが死んでいく時の、
…母ちゃん、俺のこと…褒めてくれるのか。父ちゃん、ずっと俺のこと嫌い……、嫌いじゃなかった?ほ、本当かよ。う、うわあああーーっ!
っつー台詞に関してですが。
オデロっていうのは、“兄貴”なんですね。で、兄貴っていってもやってる事は兄貴風を吹かすことだけで、他には特に、なんか、目立ったところがない……。でも、“社会”においては、「“社会”を維持する為に“役割”を演じる」事が大事で、オデロは、まあ、天然なところもありますけど、“弟分”“兄貴分”っていうことに対してかなり自覚的に振る舞っています。で、いまわの際の父との対話から見え隠れする父を越えていくというスタンダードな父性の超克の物語。(あんまり関係ないですが、ウッソはあんまり父子のエピソードがないですね、なんかお互いに接触出来ずに離れていってしまったような。不在の父がそのまま消失するという、他のガンダムシリーズよりも父親がでているのに、特に際立った変化のエピソード【初代のテムレイのええ〜いガンダムをだせ!みたいな】もなく淡々としてます)
父性的な価値観の“役割と序列によって成立する世界”を代表するキャラクターとしてオデロは描かれていたのかなと思います。そう考えると他の大人たちが「ウッソ君、お願い!」「ウッソくん、まかせたぞ」と言ってるのに対して、オデロだけが「ウッソだけに任せてられるかよ!!」と言っていたような。まあ、全くの私感ですが。
他の大人たちが場当たりてきに、マリアーマリアーっていったり、ウッソくんウッソくんって言ってる、そういう人間はカテジナに「ウーイックの嬢ちゃんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」とは言えない、だって自分が自分の役割を果たしていないから。シュラク隊はこの時すでに全滅してたしなー。そんなこんなでオデロが必然的にいうことになったんですが、それでもこのシーンがわざわざ最終回に入っているのに、物凄い悪意を感じずにはいれません。
すごいよVガンダム。
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