orangestarの雑記

小島アジコの漫画や日記や仕事情報など

ここにはてな村を建てよう。

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インターネット話題がループ

まだはてな村はありま~す。

 はてな村はなくなったと思ってましたけど、これだけたくさんの人がはてな村と自分語りを書いていて、まだはてな村は現存してるんだな、と認識しました。自意識と自分語りが支配する村、それがはてな村。

サービスとしてのはてなブログ、共同体としてのはてな村。

 サービスとしてのはてなブログは、確かにnoteとかほかの課金サービスに書き手をとられて右肩下がりの状態だと思う。

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はてなIR

はてなIR資料より
https://ssl4.eir-parts.net/doc/3930/ir_material_for_fiscal_ym2/97963/00.pdf

 グラフを見てもらうとわかる通り、はてなのブログサービスの売り上げは低下していっている。ブログという文化が衰退しているのもあるだろうけれども、はてなブログから勢いが失われているというのは、感覚だけでなく、こうして数字としても表れている。
phenomenon-2.hatenadiary.org
 こちらの分析は的を得ていると思う。
 と、同時に、はてなブログの衰退とはてな村の衰退は分けて考えないといけないと思う。noteに多くの書き手は移動したが、noteにはnote村といえるような内向きの共同体は見当たらないからだ。
 (id:Phenomenon)さんは、『村』をコミケに例えられていたけれども、少し違うと思う。コミケはインフラであり、例えられるのは『はてなブログ』というサービスに対してだと思う。この場合、『村』に対するのは『ジャンル』と呼ばれるクラスタで、そしてそこには大抵、内向きの力学が働いている。学級会もある。
 リアルに存在する村や共同体と違って、インターネットや形而上に存在する『村』『コミュニティ』を維持させるものはなにか?僕は、『集団幻覚』『共同幻想』を持っているかどうかだと思う。コミケの『ジャンル』で考えると、そこにいる人たちは特定のカップリングに原作には存在しない過去や関係性を幻視したりしている。twitterでも、『界隈』と呼ばれている集団は同じ世界観を共有している。2chの特定のスレ、○○民と呼ばれる人たちも、そのいた特有の文化と価値観の共有がある。
 はてな村をはてな村とさせていたのは、その独特の価値観、『集団幻覚』『共同幻想』だったのだと思う。

じゃあ、はてな村のみていた『集団幻覚』ってなんだ。

www.du-soleil.com
www.tyoshiki.com
font-da.hatenablog.jp
inujin.hatenablog.com
amamako.hateblo.jp
www.du-soleil.com

 今回のことに端を発して、多くの人がはてな村の思い出話をして、そしてそれに多くのブックマークがついてる。もうこの時点で、はてな村生きてますよね、としか言いようがないんですけれども、それはさておいて。
 いろんな人が、はてな村がどういう場所だったかという思い出話をしている。それぞれの人の思うはてな村と、そしてはてな村的なモノの定義がそれぞれ異なっていて、非常に面白い。素敵。
 で、自分が思う、はてな村の人たちが見ていた『集団幻覚』というのは、『文章を書くことによって、アイデンティティの確立ができて、そして、そのアイデンティティはその書き出した文章に宿る』というものだったのだと思う。自分は、今も、その幻覚を見ているし、人が書いた文章はその人自身だと思っているのだけれども、どうも世の中そうではないみたいだし、うまくはてな村を『上がった』人間は、文章をただの自分を表現するための道具だと思ってるように見える。noteで文章を書いて稼ぐ、という行為は、それがうまくいけばいくほど、自分語りから遠くなっていくだろう。
 あと、もう一つの『集団幻覚』は、インターネットの可能性について。かつて集合知と呼ばれたもの。無名の多くの人が集まって知恵を出し合えば(いろんな意見をいろんな角度から言い合えば)素晴らしい知恵が生まれるのではないか、という幻想。
 これに対しては、自分も、ああ、幻想だったな、という気持ちでいる。確かに議論がうまくいっていた時期もある。よしき (id:tyoshiki) さんが書いているように、

しかし実際には、はてな村が村として機能するためのインフラは、個人のボランティアによって支えられていた。

一時期はボランティアで村長役を務める人がいたりアーカイブを作る人がいた。
ニュースサイトが幅広く面白い話題をまとめてくれたおかげで、
議題の幅が「はてなブックマークをやってる人間の興味」に絞られず視野が極端に狭くなるのを防げていたのも大きかった。

かとゆー家、sirout2、まなめ、hageXなどなど。書き手以上に彼らの存在が最も重要だったと思われる。

そういう人たちはみんな消え去った。

https://www.tyoshiki.com/entry/2021/07/04/105443

 かつては、議論を整理する場があり、アーカイブを残す場があり、それによって、ぐるぐる回りながらもどこかで前に進んでいった。(さらに古い時代、2ch黎明時代の板ではもう少しそれがちゃんとしていたと聞く。議論には必ずソースが求められ、誰が言ったかではなく、何を言ったかが重視される言論空間があったと、村の古老から聞いたことがあります)そういうインフラがなくなってしまって、冒頭の漫画ではないけれども、同じような話題がたびたびぐるぐると同じように回る場所になってしまったように思う。

ここにはてな村を建てよう

 はてな村の話題を出して、これだけの人が反応するっていうことは、まだ、それだけ多くの人が、『インターネットの集合知』と『書くことによるアイデンティティの確立』を信じてる、または信じていたいって思っているのだと思う。(本当に諦めてしまっているのなら、語ったりせずにスルーして終わりだろう)
 はてな村はなくなってしまった。場所としてのはてな村は、(はてなダイアリーがなくなって、はてなブログとブックマークの仕様がかわって、議論をまとめてくれる人がいなくなって、メインの書き手がnoteに移ってしまって)無くなってしまった。でも、共同幻想を持つ人間がいて、そこで文字を書くのなら、そこは、もう、はてな村だ。
 たぶん、インターネットはもとのように戻らない。個人の果たす役割はどんどん減って、企業とかが人の意思を牽引するようになるだろうし、文章でバズる人、キャラクターもいるけれども、それはわかりやすいことをわかりやすく話す人、わかりにくいことをわかった気にさせるような人で、それに対する反論や修正はブロックされる世の中になっていく…というかまあ、なってるんですけれども。
 個人のアイデンティティを文字にしてインターネットの海に放流することの危険性のほうが、利益を遥かに上回るようになってしまって、また、そんなことをしないでも、気軽に自己の肯定と存在証明が
できる世の中になってしまった。(それはtwitterなり、tiktokなり)(それは上の世代から見ると偽物の自己実現に見えるけれども、じゃあ、上の世代の自己実現ってそれ本物なんですかってなる)(自分たちの自己実現もさらに上の世代から見ると遊んでるようにしか見えないはずだ)
 はてな村は、役目も終え、仕組みも機能しなくなり、『場所』としては解体されたというのは間違いないと思う。
 でも、今回のことみたいに、はてな村(そしてそれよりももっと古いインターネット)にあった『集団幻覚』を見てる人間がいたら、そこがはてな村だし、それぞれがnoteに行こうが物理書籍を出そうが、どこに行ったってまるで呪いみたいにどこかにはてな村の残滓は残り続ける。
 そして、その人が行った先で、誰かに影響を与えるようになれば、その与えらえた人にもはてな村の呪いはきっと移る。
 『文章による自己実現』『集合知の夢』、なくなったと思ったそれを、でも、いまだにどこかで信じてる人たちがいる。
 その人たちがいる限り、そこがはてな村だ。

 ここにはてな村を建てよう。


完結したパペラキュウを読んでほしいという強い気持ち

今週のお題「一気読みした漫画」

パペラキュウ完結!読んで!

 ずっと更新を楽しみにしていたweb漫画、『パペラキュウ』が2020年9月全110話で完結しました。
 本当は完結したときに、「読んで!」っていうのを書きたかったんですけど丁度メンタルが悪かったもので……。

 とにかく、言いたいことは一つ。パペラキュウ読んでください!

toyokazu39.at-ninja.jp

 1話から40話まではこちらのサイトで、また41話からはamazon kindleでの発売ですが、unlimitedに加入すれば無料で読めます。


 これが、本当にすごい物語なので、ぜひたくさんの人に読んでほしくてね、読んでほしいんですよ。

パペラキュウってどんな話?

 パペラキュウは松永豊和さんが2011年8月から自らのホームページで毎月30ページほどの更新を続けて(総ページ数3000ページ)2020年9月についに完成した大河漫画です。
 頭からハサミのついた手足の生える奇病、『パペラキュウ』をめぐる、罪と贖罪をテーマにした物語です。(だと自分は思ってる)
 wikipediaの記事には『マモルとパペラキュウの少年サチオの奇妙な友情を軸にした長編SFミステリー』と紹介されていて、SFとか、ミステリが好きな人にも超おすすめです。

ja.wikipedia.org

 最初は、日常に紛れた異物についての話、いじめ、差別についてのお話として始まります(ウルトラマンの『怪獣使いと少年』のような)
 しかし、話はどんどんと違う方向に向かっていきます。さながらジェットコースターのように、次々と物語は展開します。
 国家的陰謀、警察の闇、第二次世界大戦時の秘密研究。そして、それと並行するように、サチオ少年の贖罪と、それを行うたびにどんどん罪が重なっていく運命の皮肉を描いています。
 SF、ミステリとしても、とても面白いんですけれども、自分は、これを『罪と、贖罪と、そして許し』の物語なんですよ。

おすすめポイント

 とにかく、読んでみてくださいとしか言えない。
 よく、レビュー記事でネタバレにならないようにおすすめポイントを紹介してる人がいるけれども、あれ、すごいなあって思う。おすすめポイントを話すとそれはネタバレになる。とにかく、読んでください。そして、読み終わったら下の感想を読んで、そして感想をつぶやいてください、twitterとかで。

ネタバレ感想、というか考察

なぜ、マモルの罪だけ許されなかったのか。

 終盤、サチオが神化して、モネネのやけどの跡を直し、いろんな人を生き返らせていくけれども、マモルだけは結局助けられなかった。
 この物語は、主要登場人物の主人公側のほとんどが、過去に犯してしまった罪や、自分の先祖の犯した罪に対して罪悪感を感じていて、その贖罪のために、サチオを助けたり、国家権力の悪事を暴こうとするけれども、神化したサチオによって、贖罪を行う前に”許されて”しまう。モネネの傷は治されて、国家権力の悪事の暴露については「もういいよ」と言われてしまう。(ちなみにこの国家権力の悪事、国に恨みでもあるのかってレベルで執拗に書かれています)(でも実際に国のしたことを知ってると大体同じレベルのことがあったってわかるんだよな……)
 ただ、マモルだけが、サチオの奇跡に間に合わず(というか奇跡の力切れで)生き返ることができなかった。サチオも、マモルを助けられずに死んでしまった。

罪を償うということ、罰を受けるということ。

 サチオとマモルとほかの人間の違いは、二人が(本人たちが罪だと思っていることの)罪を償っているということだ。
 サチオは、パペラキュウのせいで人生がくるった人間の数だけ人を助けて(生き返らせて)マモルは自分のせいで死んでしまったサチオの父のために、何人も殺してしまう。罰を受けて死ぬというならマモルは罰を受けるだけのことをしている。でも、ほかの人間が許されたみたいに許されてもいいはずだ。
 思うに、これは信仰の話で、神は助ける人間と助けない人間を区別しないという話だと思う。区別せず、籤のようにたまたま選ばれた人間だけが助かって、そうでなかった人間は助からない。それでも神を信仰するかという話だと思う。

ほか、思ったこと

  • モネネすごいきれいだと思った、こういう絵が描けるのうらやましい。
  • ふくろう島はハンセン氏病の隔離施設を思わせる。他にもたぶん自分の知らないところで『国のした悪事』を元ネタにした描写があるんだと思う。
  • 毛玉マンションの801号室ってもしかして……。

インターネットとグレーゾーンの時間と空間

 毎日何か、なんでもいいので文章を書いていこうと思っていた。
 矢先にこんな感じになってしまって本当に書きにくい。
 何かに導かれるようにしてはてな同窓会が始まってしまった。
 昔も何回か村祭りはあったけれども、村祭りというよりも、同窓会。いや、同窓会というよりは、法事で親戚一同が集まって、昔はああだった、あそこのところの子供はもうこんなに大きくなった、大学へ行ったらしい、結婚して娘ができたらしい、今どこどこで働いているらしい、っていう話をしているような感じ。

 みんな年を取って、それぞれの人生があって、たぶん昔はある程度同じように同じ時間を過ごしていたのだろうけれども、それぞれの生活の中で、色々な経験を積んでいく中で、当時の過ごした経験の意味も変わってきて、当時のはてな村での生活の意味もそれぞれの人で別のものになっているのだろうと思う。

 村の話がまだ、続いているので、ちょっと思ったことを書く。

インターネットとグレーゾーンの時間と空間。

 かつて、インターネットがパソコン通信だった時代、そしてインターネット黎明時代。インターネットというのがアジールであった時代があったと思う。世間の”普通”や”常識”や”ルール”から離れた自由な場所として。
 インターネットが広がり、一般社会になっていく中でそこはどうにも小さくなっていったと思う。テキストサイトニコニコ動画はてな村
 アジールというのはちょっと言いすぎなので、モラトリアムと言い換えてもいい。ちゃんとした社会と、それ以前の場所。実社会へ出るまでの準備運動をする場所。練習場所。
 モラトリアムとかアジール、そういうふう名前で例えて呼ばれる、グレーゾーンで既存の法や常識やルールが及ばず、なんかそういう存在。そういう存在は確かにあった。
 はてな村が消えた、屋根まで飛んで壊れて消えた。まあ、一つのコミュニティーがなくなってしまうのはよくあることなので、それ自身は問題ではない。けれども、はてな以外の、そういうモラトリアム空間や時間というのもあまりないような気がする。時代を経るごとに減っていった。それはインターネットにも、リアル社会にも。
 例えば、性にまつわる話。18歳になるまで、性にまつわることは見ることも実行することもタブーとされて、18歳になった途端に自己決定でやりなさいと言われる。建前は昔からそうだったのだけれども、昔はグレーゾーンみたいなのが結構あった。今は、なんていうか、グレーゾーンが真っ黒になってしまって、”許されざる”になってしまってる感じがある。他にも子供から大人、学生から社会人になる間の曖昧なモラトリアム期間というのは、どんどん少なくなってしまっているように感じる。80年代は土管のあった空き地だったものが90年代には公園になり、その公園も今は遊具が撤去されボール遊びが禁止されているように。
 そういうのをなんか自分は、生きづらいな、って思うし、息がしにくい、閉塞してるな、と思う。
 

逃げ場。にも、社会の目が入る。

 『議論が深まったろう』で結局何も変わらないことが多いインターネットの議論の中で、数少ないよかったことのひとつに『戦うより逃げろ』というのがある。
 そして、今は、インターネットでも、リアル世界でも、いくらでも探せば、ほかのコミュニティを見つけることができる。趣味でも、なんでも。(みつからない場合もたくさんあるけれども)
 ただ、今、その逃げた先も、既存の法と常識の世界で、なんていうか、社会に適応を求められるしんどさっていうのがずっとついて回ってる感じがする。とりあえずコミュニケーションをとらないとどうにもならないところが、ある。
 それで今の若い人たちがかわいそうとかそういうこともなくて、まあ、それなりに適応していくのだろうと思う。自分たちよりも上の世代が、学生寮で鍋をつつきながら革命の話をしたみたいに、自由な”社会と隔絶した空間と時間”を持っていたみたいに、時代や社会が先に進み、健康で文化的になるにつれてなくなっていくものなんだろうと思う。いいとか悪いとかではなくてそういうものなんだろうと思う。ちょっと寂しいけれども。

 
amamako.hateblo.jp

anond.hatelabo.jp

font-da.hatenablog.jp

p-shirokuma.hatenadiary.com

goldhead.hatenablog.com

topisyu.hatenablog.com




 

シロクマ先生へ、私信。

※下の漫画は2018年5月に書いて、そのまま放置していたものです。
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 お元気ですか。私は見ての通り元気です。躁転しています。また適当な期間を置いてうつのほうに転がると思うので、その時はまた更新が停止するでしょう。
 自分が更新しなかった理由は大体100個くらいあって、

  • インターネットの雰囲気が変わって気楽に更新できる感じではなくなった
    • はてな村、はてなブログ、自粛のような雰囲気があって、それがそのまま続いている
    • インターネット自身、倫理観とかプロトコルとかが重視されるようになった
  • ブログ文化の衰退
    • もともと、更新を停止する2年位前からブログという属人的なものの衰退はあったのですが、それがある一定のラインを超えた感じ。記事は単体での成立を求められ、(いままでのあらすじ)を誰も読まなくなった。そうなると記事が全部初心者向けになり、議論、思考を深める、ということがブログ、サイトでしにくくなった。
    • noteに行こうかと思ったんだけどあそこはnote運営の倫理観が合わなくて……
  • 生活が忙しい
    • いろいろあって、嫁が外に働きに行って、自分が主婦をするようになった。実質ワンオペで二人の子供を見るような状態だったので、モノを考えたり、何かを書いたりとかそういう時間が作れなかった。ちょっと時間ができたらそれは体力の回復に充てるようになった。
    • ワンオペで主婦しながら働いたりモノを作ったりしてる人は本当に尊敬する。
  • インターネットがつまらなくなった
    • 話題のループ、2年位前にした話をまたしてる。
    • なんというか、社会が悪くなって、つらい話が増えた。
  • 自分の得意なネタが今の時代に合わない
    • 風刺ネタをしていたのですけれども、風刺というのは、実際に火を使った火災訓練みたいなもので、これこれこういうことがあるとこういう悲惨なことになりますよ、というのを笑いを交えてするものなんですけれども、公文書の改ざんとか、あからさまな利益誘導とか、不正な会計とか、それを恥じない政府とか、実際に火事が起こってる状態になってしまって。そんな家がボウボウと燃えている隣で、火災訓練をやっても何の意味もないので、やめました。
    • 冒頭の漫画は2018年5月に書いて放置してたんですが、まあ、こういうタイプの漫画を今書いてもって感じですしね。当時は社会は炎上してたんですが、今は慣れすぎて炎上もしなくなりました。オリンピック開催も”仕方ない”ってうあきらめの空気が流れてますしね。
    • 他は、まあ、リリカルとかのほうは、ちょっと体力もなくてかけない、家事に忙しくて脳が動かないので物事をまとまって考えられないというのがあって、そちらも書けませんでしたね。
  • 年を取って感受性が鈍くなった。
    • これはどうしようもない。本を読んでも映画を見ても、あんまりおもしろいって感じなくなった。
    • そもそも、コンテンツを摂取するのに体力がいるようになって、あんまり本も映画も見れなかった。
  • うつ状態だった。
    • 結構長い間調子が悪かったです。2年位。
  • パソコンが壊れて、モノを作る環境がなかった。
    • 一応、古いノートパソコンがあったんですけど、重いし、使いづらいし。道具の快適度によって作業のスピードとか作業し始めるまでのハードルとかがかなり変わりますね。
    • 今年の1月くらいに、新しいノートパソコンを買って、環境が変わりました。
    • ノートパソコンをデスクトップパソコンの本体として使えるように調整したのが5月の末。そっから絵とか文字とかだいぶ書きやすくなりました。
      • ツールが生産性を決める
  • 書くことがなくなった。というか、かけることはあるんですけれども
    • ネット上に書くと炎上する内容
      • 予防線や、理論武装を完璧にして書こうとするとすごい手間がかかる、よっぽどカカネバ!ってことでないと、途中でもういいや…ってなっちゃう。ドラえもんではすごく気を付けて書いたんですけど燃えましたしね……。
    • 日常であった些細な出来事とかは書くと身バレにつながる、現住所とかバレちゃう
      • っていうようなことがあって書けなくなりましたね。日常のよしなしごと、って面白いんですけれども、そういうの、今のインターネットって書けない。
  • 気づいたらインターネットから知ってる人がいなくなってた
    • いなくなってた
    • 結局文章って、”誰かに”向かって書く、というのがあって、その誰かがいなくなったらなんかうまく書けないよなって
  • 今のインターネットの”おもろい”の雰囲気があわなくなった
    • youtuberとか、Vtuberとか。のノリがしんどい。もう年なので
    • 面白い、って思われることをしようと思うと、そういうノリなんですけど、ちょっと自分にはわからなくて…。もう自分の時代は終わった。
      • 子供は楽しんでみてます。
  • twitterやらnoteやらはてなの殺伐とした感じが嫌になって「小説家になろう」に行っていた。
    • そんなに文字数を書いたり、ビューがあったりしたわけではないんですが、楽しかったです。

 …だいたい、これくらい?100個はなかったな…。まあ、でも書かなくなった理由はこんな感じで複合的です。


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かつていた謎の生物

 かつて、はてな村奇譚で書いたようなペットボトルを裏返したキャラクターが想定していたのは、量産型のブロガーで、アクセスを稼ぐために主義も主張もなくさっき言っていたのと反対のことを次のエントリで平気で書いたりする管理人を想定していました(そしてアクセスも稼げていなかった)。記事も、そこら辺の誰かの書いた記事をリライトしたもので、とりあえずgoogle対策を頑張って、頑張った末に生まれてしまったキメラみたいな、そういう、アレです。当時はたくさんありましたが、今は滅多に見なくなりました。栄枯盛衰。
 シロクマ先生のいうような、twitterなどで話の通じない一方的に自分の理論や世界観を押し付ける人間というのは想定してませんでした。
 そういうタイプの人間は、インターネット、テキストサイトの初期からいたと思います。ただ、決して数は多くなかった。先ほどの書かなくなった理由のところにも書いていた「ツールが生産性を決める」という話ですが、今のインターネットは気安く投稿できて、気安くアタックできて、そして思想のエコーチャンバーが起こりやすい環境になっていると思います。つらい。
 今、そういうのをキャラクターで作って書くとするなら、量産型のカオナシのような仮面の下から口だけが見えているキャラクターにすると思います。

インターネット(相互交流のするワールドワイドウェブ)はあるところにはありました

 noteの記事で、趣味でつながってる人たちは直接交流することはないですけど、お互いの記事で相互にコミュニケーションのようなことをとっています。
 なろうは、お互いの小説の面白かったところを取り込みあったり、あと、好みの性癖を書いてくれた相手に対して、お返しに相手の好むシチュエーションの話を書いたりする、そういうコミュニケーションがあります。観測してないだけで、youtube、pixiv、ほかのSNS的なツールの中ではそういう交流があるのでしょう。twitterでも、イヌー界隈とか、円居十字軍とか、胡乱なインターネットはそれなりにたくさんあります。あと、趣味でつながるところでは、年をとっても友人はできてるみたいで。自分たちの住んでるところと別のところでは、やっぱりインターネットは存在してるっぽい気がします。noteで活躍してる人は確かに自由に書くことができないと思いますが、活躍してない人の中にはインターネットはありました。

今のシロクマ先生に思うこと、仕事でシロクマ先生をすればシロクマ先生としてふるまうしかなくなってくる

 最近のシロクマ先生が詰まらないと思ってる理由、を勝手に推測してみました。最近の更新とかtwitterから。
orangestar.hatenadiary.jp
 かなり昔ですが、上のような記事を書きました。なんでも切り分ける魔法のハサミはないという話。それは方法論であったり、練習法であったり、対人技術であったり、ナンパ技術であったり、仕事での成長方法であったり、これさえすればなんでもうまくいく、全部解析できる、というような”道具”はどこにもないという話です。
 また、マズローは、「ハンマーを持つ人には全てが釘に見える」と言っています。
 でも現実は『自分が更新しなかった理由』のように複合的で、たった一つの手段で解決できない、解決できても最適解ではない、どこかで後で反動が来る、そういうものだと思っています。
 さて、『シロクマ先生』というキャラクターについて。
 『シロクマ先生』は、社会の分析をします。そして、そのための道具は『承認欲求』と『適応』です。ほかのツールもあるけれども、メインウェポンはこのふたつです。
 『シロクマ先生』はいつまでも同じ味のラーメン屋で、いつまでも同じ味でいることが求められています。たまに変わったものを出すと、「大将。どうしたの、調子でも悪いの?」と言われます。
 傍目から見てると、そこらへんが、最近のシロクマ先生の閉塞の理由なんじゃないかな、と思います。たぶん、ほかにいろいろと道具も仕入れていると思うのに周りからの期待でその道具を使えない。シロクマ先生としての仕事が詰まっていて別のことができない。でも、たまにはその道具をメインで使って、それでラーメン以外の料理を作ってみるのもいいんじゃないかな、と勝手に思います。具体的には小説とか。精神科医として長年働いているシロクマ先生の中にあるデータベースは、モノを書いてる側からすると喉から手が出るほど欲しいものですよ。

閃光のハサウェイ

私は、アジコさんがそうした作品評をどんな気持ちで書いてらっしゃるのか知りませんし、アジコさんのお考えの何%をキャッチできているのか自信もありません。それでも何かを受け取って、たとえば『閃光のハサウェイ』や『鉄血のオルフェンズ』を見る目が変わったのは確かです。

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20210625/1624615581

 へへへ。ありがとうございます。ただ、自分のハサウェイ評も一面でしかなくて。
 だって、ギギは朝からステーキ食うような女だし、ハサウェイはみんなが肉食ってるときに一人パンとサラダで済ますような男ですよ?


ぜひ読んでほしい本があるんです。本当にぜひシロクマ先生には読んでほしい!

 シロクマ先生の健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについてともかかわりが深い、というか、そこに書かれてる概念を小説に落とし込んだ感じ。近未来的な、人間と人間がネットワークを介してつながることがほとんどになってしまった未来(だいたい現在)そこで起こるいくつかの出来事のお話です。人間の匂いが忌諱され、正しいとされている『正しくない』ことが許されない社会(だいたい現在)の物語で、たぶん、楽しんで読んでもらえると。もう読んでいたらすいません。



 向井くんがすごい!というお話です。
 すごい話なんだけれどもどこをどうすごいかということが、自分には言語化できませんでした。(すごいのはわかる)
 『承認欲求』『LGBT、カミングアウト、アウティング』『青春』などで、お話を切り分けて、どういう話か説明することはできるんですが、このお話の本当のすごさはそこにはなくて(でもまだうまく説明できない)、いや、ただ、『承認欲求』『LGBT、カミングアウト、アウティング』『青春』としてもすごく面白くてしっかりしている話なんですが。(中学校の教室に一冊ずつ置いてほしい)
 今の若い子たちの世界の認識のベースとか、生き方とかコミュニケーションのありようとか、善悪の判断とか、正義とか。自分も今の時代に合わせて価値観をアップデートしてきたつもりだけれども、この漫画をみて、もう自分たちの世代は補償対象外、OSのアップデートが不可能なんだと感じました。
 とりあえず読んでみてください。そして答え合わせをしましょう。



あと余談。炭酸水いいよ炭酸水。

 メインの飲料を炭酸水にしました。キュッと目が覚めるし、糖分もカフェインも入っていないし。
 炭酸水を始めてから、摂取するお茶やコーヒーの量ががくんと減りましたね。お茶、コーヒーの代替ドリンクを探しているならぜひ。

room.rakuten.co.jp
おすすめはソーダストリーム(ボンベで無限に炭酸水が作れる)ですが、最初、炭酸水缶で試してみて、どうするか決めてみてもいいかもです。当たり前のことだったんですが、炭酸水のおいしさは水のおいしさに依存するので。ヨサソーダはいい感じでした。
あとソーダストリームはガスシリンダーの取り回しだけちゃっとめんどくさいので、事前に近所に返却できる店舗があるかどうか確認した方がいいです。
(定期配送とかもあるっぽいんですが)

room.rakuten.co.jp

リンクは嫁が楽しそうにやってる楽天ROOMなんですが、本当に嫁はすごいと思う。(欲望が)


 それでは。このあたりで。
 梅雨明けまで今しばらくの辛抱です。何卒ご自愛の上、ご活躍ください。

はてな村、はてなハイク、セカイ系

はてな村民、われ、生きとったんかい!

orangestar.hatenadiary.jp
 ふと思ったつぶやき、ブクマがついても精々20くらいだろうと思ったつぶやきに、669ブクマもついて、ちょっとした同窓会みたいになりました。同窓会会場。懐かしいIDの人もちらほらいて、いったいどこに隠れてたのやら。(まあそういう自分が2年くらい全然インターネットにいなかったんですが)(実際ニュース見るくらいしか使ってなかった)(追いかけるのもめんどくさくなって最後のほうはPodcastNHKニュース聞いてた)

 あと、ブクマで『はてなハイク』の後継(?)サービスも教えてもらって、
はてなハイク、われ、生きとったんかい!」という気持ちです。

https://h.sudo.ne.jp/

 なんとはてなIDでログインできる!見知った人ばかり!すごい!




セカイ系って言葉がある。

「おっくれってるぅーーーーーーーーーーーーーっ!」
 UFOの日、6月24日から1日遅れました。


 (スレッドになっているのでそちらも読んでください)

 セカイ系っていうジャンルは、ぶっちゃけて言えば『気のせい』『なんとなくそんなもの』なんですよ。それっぽいだけの作品群。
 でも、俺はそんなセカイ系が好きなんだ。

 ゼロ年代初頭、セカイ系って言葉が流行って、なんかいつの間にか消えていきました。wikipediaにもその項目があります。wikipediaには、セカイ系の説明は

 それによればセカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作を挙げ、肯定的な評価を与えた[9]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

 とあるんですが、諸説あり、最終的には、「あなたの中にある、あなたの定義するセカイ系があなたのセカイ系です」としか言いようがない。
 自分にとっては、村上春樹セカイ系だし、新海誠は間違いなくセカイ系だし、ブギーポップセカイ系だし、伊藤計劃セカイ系だし、ほしのひとplanetlianもセカイ系です。


 そういう中で自分のセカイ系の定義というのは「硬く、冷たく、残酷で、戦っても勝てない現実をどうやって(やりすごす/踊る/逃げる/祈る)のか、っていう物語」だと思ってるんですよ。
『絶対に助けられないヒロイン』というのはその冷たい世界のメタファーで、だからヒロインは死ぬし、ただそこに、祈りのような小さな救いがある。

 そういう話が俺はすきなんだうおー。




ずっと主夫業をして忙しかったんですけれども。

 最近少し余裕が出てきて、リハビリもかねて801ちゃんの漫画を描いたりしてます。


 こちら、801ちゃんのアカウントで更新中、スレッドになっています。

 作業に入る前に脳を整える感じで、当分ここで色々な雑記を書いていこうかと。
 忙しかった2年間、何があったかはスケジュール帳に書いてはあるんだけど、その時どう思ったかとか、その時期にどういう精神状態だったのかとか、そういうのが全然わかんなくて、やっぱり後で見返すためにどこかで長めの文章を残しておくのは必要なことだな。と思った次第です。




オリンピックについて

 記録代わりに。昨日、天皇陛下が「ちょっとオリンピックやるの、よくないよね」とお気持ちを表明されて大変なことになってる。戦後初めて政治的な意見表明なので、なにがどう大変なのか誰も定量化できないやばさ。(前回のは引退したいっていうのなので政治的ではないよね)

 自分自身のオリンピックの雑感としては、最初から、やるべきじゃない(石原都知事が東京に誘致していたころから)と思っていた。ただ、そのやるべきでない理由が、どんどん変わっていってる。今は、このコロナ下でやるとか正気の沙汰ではないという当たり前の気持ち。そうだよね、政治的とか関係なく、普通に考えたらそうなるよね……。


ゴジラSP

 なんか久しぶりにインターネットでわいわい言いながらみた作品な気がする。
 ジェットジャガーは強烈な意思の力で巨大化したんだよ…!
 自分の中のジェットジャガーの記憶が過去改変されているのが分かる。自分は20年前サブカルの人間で、サブカル知識としてジェットジャガーを知っていたのだけれども、その時のジェットジャガーの印象はウルトラマンとか仮面ライダーとか変身人間型ヒーローが流行ってるから、ゴジラでもやってみようと移入されて、なんか違うね、って次回からなかったことにされた時代のあだ花だという認識だったんですよ。それが、ゴジラSPのせいで、なんか超かっこいいロボットになってしまった。
 あと、これを奇禍に昔の特撮ゴジラ作品を見直しているんだけど、記憶にあるのよりも数倍面白く感じてる。ゴジラSPやらキングオブモンスターズを見たせいで、理解が深まり視聴にバフがかかってるんだと思う。個人的には怪獣総進撃が豪華でおすすめ。昔の特撮って本当にロストテクノロジーだよなって思うのと、もう今はこんなの取れないのかという寂しさと、これから特撮が作られないのなら最後に作られた特撮が『巨神兵東京に現る』になってしまうという危機感を抱きながら、ゴジラ対メカゴジラを見る。火薬は正義だよ正義。

ゲキドル

 ゲキドルについて書いてほしい、っていうブクマをもらったので。
 知り合いが作品に関与しているので、ちょっと書きにくいんですけれども、あとでまとめて書きます。
 個人的な感想としては、SFとして作られているけれども、これは演劇にまつわる呪術の話だと思ってる。カーゴカルトのような類感呪術、神事としての舞台。かつてあった出来事を再演することによって、その結果を得ようとする芝居本来のありかた。それプラスなんか生々しい小さいアイドル舞台の悲喜こもごもとかあって欲張りランチみたいになってる。

 あとでまとめて書きます。





 今日は、ここらへんで。