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最近のこととか、ふといなくなったことに気付くマメのこととか。


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先月、3月2日に、闘病中だった猫、マメが亡くなりました。ずっと腎臓が悪くって、本格的に悪くなりだしたのが去年の11月。それから、通院、補液をずっとしていて、闘病生活を4カ月しました。本人もすごいがんばってくれて。昨年の3月に亡くなったオシオのときは、悪くなりだしたらあっという間だったのですが、マメの場合は、マメ自身が、いろいろな事を受け入れる時間を作ってくれたんだなと思います。


先月からずっとバタバタしていて、今日、マメが病院にかかったときの保険の申請書類と、亡くなったので保険を解約したい旨を伝えるなどのそういう事務処理をしていると、先月から何度目かの、「ああ、もうマメはいないんだな」っていう実感があり、それはすごく寂しいとか辛いとかではなくて、ただ、「ああ、いないんだな」っていう、空いてしまった穴が穴のまま、風景になるような、そういう感覚です。


11月に余命宣告をされてからは、坂を下るみたいに体重が減ってきていて、チャオちゅーるとか嗜好性の高いものをあげるようにしても、やっぱりそんなに食べれないみたいで。毛が長い種類の猫なんですが、身体から脂肪がなくなって寒いのか、ずっと、ストーブの前にいるようになりました。今年から石油ストーブを導入したのですが、タイミングがとても良かったです。去年、オシオがいなくなってから仲良くなったゴマと一緒に、ずっとストーブの前で横になってました。猫も、他の猫の死期とか余命とかがわかるのか、一番いい場所を譲ってました。おやつをあげているときもマメが食べ終わるのを待ってやって来たり。


12月の末に、同じようにストーブの前で寝ていたんですが、どうも様子がおかしくって、身体が起こせない、頭が起こせない、水が飲めない、そういう状態になって、深夜救急に行きました。補液をしてもらって、翌日、近所のかかりつけの動物病院に行って、補液をしてもらって。意識が混濁していて、まっすぐ歩けない状態(神経に影響が出ている)で、今日明日で覚悟をした方がいいという状態でした。オシオがそうしたように、鏡台の下の人や他の猫が入れないところに入って、ずっとじっとしていました。


奇跡的に、状態が回復して、峠を越えました。動物病院の先生曰く、こういうことはめったにないそうです。それから、1週間に2,3度のペースで補液をして、徐々に徐々に、最後の時まで。(亡くなる前1か月は毎日補液に通っていました)


1月の終わりくらいまで、本当に何一つ食べられない状態が続いていたんですが、1月終わりくらいからチャオちゅーるとかおいしいカリカリとか缶詰を齧れるようになってきて、すこし持ち直すかな、もう数か月行けるかなって思ったんですけれども。やっぱり難しくて。


一回、妻と子どもが実家に帰らないとならない時があって、その時、ちょうど小康状態だから大丈夫だろうって思っていたら、3人がいなくなった途端、体調が悪くなって、3人が実家から帰ってくるまで持たないんじゃないかという状態だったんですが、3人が返ってきたとき、玄関まで歩いて行って、3人をお出迎えして、そしてそれからまた体調が少し戻って持ち直しました。


マメのことで思うのはマメの方が自分よりも人間力が高いと思う。人間力って言うか、辛いときとか苦しい時に、家族とか友だちとか大切な人がいたら持ち直す、元気が出るっていうのが。人間が好き、っていう気持ちというか。以前から寝るときにはいつも自分の枕元に来て寝る猫で、病気が重くなってからは毎日来て寝るようになってました。それ以前は、別の猫(イリ)が自分の枕元にきて寝ていたんですが、場所を譲ってるみたいでした。


最後の最後まで苦しいとか怒ったりとかしない猫で、逝くときもとても静かでした。前々日くらいから、殆ど動けなくなって、ベッドにも自分で上がれなくなって、ああ、そろそろだな、ってみんな覚悟をして、そして、2日後でした。ストーブの前のソファ、そんなに熱すぎない丁度いい場所にタオルをしいて、その上に寝かして。息を引き取った直後、最後に、長く、肺の中の空気を吐き出してサイレンみたいな音を出して鳴いて、本当にゆっくりと、静かな最期でした。


翌々日にペット葬儀を頼んだのですが、どこまでも良く晴れた日で、マメらしいと思いました。ちょうど桃が満開の時期で、桃の花を買ってきて、部屋に飾りました。





やっぱりごきげんのいい猫だったなーって思う