orangestarの雑記

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傑作の条件に付いて。または、自分はいかにして、一般的な良作と自分の中の良作を区別するのをやめたか。

承前
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自分もかつでは、世間で評価されている作品の評価軸(良し悪し)と、自分が自分で感じる作品の評価軸を分けて考えていました。でも、やめた。いろいろあって辞めた。


傑作の条件に付いて。傑作っていうのは一番ざっくりした共通の一般的な定義というのは“素晴らしい作品”ということ。素晴らしくない作品は、傑作ではない。あたりまえだよね。でもその素晴らしいの定義は人それぞれ。100人いたら、その100人ともに、素晴らしいの尺度って違う。


じゃあ、一般的な“素晴らしい”ってどこから来るの。


“客観的な尺度”で傑作が決まる、とする。でもその客観すら、実際のところは主観によって形成されている。もし真の客観性というものがあるのならば、それは世界中の人たちの脳味噌の中の能力機能記憶を覗いてそれを処理して分析する能力の持ち主しかなしえない。でも、それができるのは神様か、もしくは未来のディストピアコンピュータくらいだ。市民、幸福は義務です。


その客観性を決める自分自身が観測する主体であり、観測の範囲に限界がある以上、真の客観性というものは得ることはできない。真の客観性というものが存在しない以上、その“客観的に見た場合の素晴らしい作品=傑作”自身をを担保する客観性というものが、主観的に判断されるものであり、その主観的な判断から生まれた客観性によって定義される傑作というものもまた主観的でしかなりえない。ああ、なんかここら辺の語り口押井守みたいですね。押井守の最高傑作はビューティフルドリーマーではなくMAROKO-麿子-(ご先祖様万々歳)だと思う個人的に。話を戻して。ならば、自分の好きなものを素晴らしいといい、自分なものを傑作というのと、自分の好きなものを“自分はいいと思うもの”と自分の主観による世間や客観性というものから生まれた“客観だと思っている主観によって決められた傑作”を自分の中で区別することに意味はあるのだろうか。


自分も以前は、“普通に面白いとされるもの”と“自分が面白いと思うもの”の差異から、自分と一般的なものとの差異、距離感を測り分析を行っていたのだけれども、あるきっかけから、そういうことをやめてしまった。そういうことをしても“ほかの人が思う面白い”を概念と推測によって理解することはできても、実際に感覚として理解することはできないし、そして、理解できないことを無理に理解する必要もないのだと思った。


なるほど、確かに、世間で、良作傑作と言われている作品のなかには、ある程度共通する特徴や類型が存在する。これによって、減点法や加点法で名作傑作を判断することも出来るかもしれない。でも実際のところ、その条件に合致しない、または大幅に逸脱するものでも、名作と判断されているものもある。
不思議の国のアリスは、ほかの名作とされている文学や作品の類型から大幅に逸脱しているけれども、不思議の国のアリスが名作でないという人はいない。


実際のところ、世間や一般の価値観というものは存在しない。それぞれの人が、それぞれ違う価値観や、感性の受容体を持っている。その価値観の中央値や平均値となる世界観や因果律を含んでいたり、多くの人が持つ受容体に感応する断片を持っていたり、感応する断片の種類が過剰に多く、様々な人が感応するというコンテンツが、“一般的に”名作であったり傑作であったりと呼ばれているのだと。


じゃあ、そこまでの一般って、中央値ってどこを見ればいいのか。中央値というのは、属性によって異なってくる。F1層と呼ばれる層や、オタク層、社会はある程度分類されるコミュニティとそこでのみ通じる文化や言語で分断され、そしてそれぞれの中のコミュニティに中央値がある。あるコミュニティで、その中央値に感応し傑作とされた作品が、別のコミュニティでは、クソと評されることは普通にある。自分はGT-Rの良さがわからないし、シャトーパルメの美味しさがわからないし、ルイ・ヴィトンの財布の価値がわからない。財布なんてビリビリでいいじゃん。(やめて!)


で、それだけ、評価軸がコミュニティによって異なる場合において、どこを基準点において、“傑作”を決めることができるのか、“普通に面白い”作品を決めることができるのかっていうと、それはもう、不可能だ。不可能だと思うのです。


ただ、今はなしているこの話だって、自分の主観的世界の話であり、こういう認識自身も自分の主観から逃れることはできません。この世界のどこかには、完全な客観に近似値の主観によって決まる客観性を求められる人だっているだろうし、客観的に思われる価値観の追及自身に目的意識と意義を見出す人もいるでしょう。また、小さい限定されたコミュニティにおいての平均値、最頻値というものは比較的把握ができるものなので、その範囲での傑作、良作というものを定義し、そのコミュニティの歴史として語り残すということも、重要な仕事だと思います。


ただ、個人が、個人として、作品の良い悪いを判断する際に、他人の意見に自分の感想や感受性を左右されるのはもったいない。一緒に映画館に行った友達に、自分が感動して目がぐるぐるした作品をゴミ屑と評価されたからと言って、自分もその作品をつまらないと思う必要はないし、髪を切る必要はないですよ。レッツ弱い自分を守っていこう。


ただ、確かに、シロクマ先生の言う、構造的に作品を評価する、ということの意味も分かる。構造的な評価し作品を分解しないと、他人とその作品の良し悪しについて議論することはできないし、ほかの作品と時代との比較もできないですしね。オタクとしては、そこらへんの、“言語化”の作業に必要な“客観的な分析の手法”というのは必須技能です。また、一般化客観化という作業は、いまだ知らない自分がハマるであろう名作を探す、という役にもたつ。天から役目なしに降ろされた物はひとつもない。


シロクマ先生が、「人間だけを殺す機械にビルギットさんが殺される」という要素があっても、ガンダムという文脈の中でF91を傑作とは言えない、というのなら、それはそれで大切な評価軸だとおもいます。前回の記事は読み損ねてました、申し訳ありません。ただ自分は、客観的な視点、分析よりも、好きという気持ちのほうを大事にしていきたい。



ただ、自分としては、客観的な視点よりも、自分の好き嫌いを重視するべきだと思うんですよ。客観的な視点が持てなくなるくらい。


だって、グルグル目になって、“これは素晴らしいものだ、傑作だ”ってなってる時のほうが楽しいじゃないですか。そういうときに、自分の中にある客観的な分析をする眼球というものは、冷や水を浴びせかける存在でしかない、自分で自分に冷や水をかける必要はないじゃないですか。グルグル目で好きなものを語っているときのほうが人間らしい。










あと、それとは別に、「観たこともないのに、聞きかじった情報で、その作品をこき下ろす」タイプの人間は、積極的に殴っていく姿勢です。慈悲はない。




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なんか、昔のはてな村というかテキストサイトみたいだな…と思いました。



MAROKO 麿子 [DVD]

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うまく脳内を出力できない。

とりあえず文章を書く。さっきまでいい感じで、脳内でお話がまとめ上がっていた。けれども、いい感じでまとめ上がった後、バタバタと手が離せない集中しないとならない作業がずっと続いていて、出力する時間が取れないまま、ずいぶん経ってしまってた。その結果、脳内で、それがまたばらばらになって、うまく出力できないどころか、無駄に容量を取ってしまう壊れたファイルになってしまって、今、こうして描く時間が取れたのだけれども、それを、もう、さっき考えたように出力できないし、壊れたファイルがゴミの塊みたいに、脳のものを考えたり出力する部分をふさいでしまって、ほかのこともできないし、ちょっと、困っている。
こういうことはよくあって、なんていうか、こう、マルチタスクとか、別の作業をしながら別の作業をするということに向いていない。生活が苦手。自分のペースでいろいろとやっていければいいと思うんだけども、そういうのって、山にこもる仙人みたいな生活とか、屋根裏で暮らすみたいに生活しないと無理みたい。
なんとか、ここら辺の、脳内の出力の状態を調整することってできないのかなって思う。自分は、まあ、いろいろと、メンタルとかあれなんですけれども、もともと、器質的にダメな部分があって、それで生きるのが不自由です。

ブログを始めるのに最適な季節とは?(文学フリマ出ます)

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本当は3月末に更新する予定で書いてたのに、バタバタしているうちに忘れてしまっていた…。
でも、5月のはじめも似たような状況なので(むしろ仕事こんなはずじゃなかった記事は、5月のほうが需要がある)早い者勝ちですよ!

※誤字修正しました!圧倒的成長!


はてな村奇譚のバナーを作りました。

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どうぞお使いください。

文学フリマでます。

5月7日、文学フリマ参加します。
場所は東京流通センター 第二展示場 オー36 サークル名「みかんの星」です。
場所、時間などの詳しい情報は、こちらの、公式ページまで



文学フリマ - 第二十四回文学フリマ東京 開催情報



持っていく本は

など持っていきます。


特にトラブルなどなければ、自分が行くことになると思います。
よろしくお願いします。

傑作かどうかを周りの評価で判断する愚かしさ

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とりあえず言っておかないといけないと思ったので

p-shirokuma.hatenadiary.com

 『鉄血のオルフェンズ』を、私は傑作と評することはできません。ただ、ここでいう「傑作」とは、セールス良好で、みんなの話題と記憶に残るような作品になる、という意味です。この視点で言うと、『Vガンダム』『ガンダムF91』といった、一部の愛好家に熱烈に愛される作品は「傑作」に含まれません。もちろん『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』も「傑作」に含まれず、どちらかというと『けものフレンズ』や『魔法少女まどかマギカTV版』あたりのほうが「傑作」という認識です。


って書かれているんですけれども、これって、とても、良くない価値観だと思うんですよ。
じゃあ、最初に世の中に公開されたときは、全然売れず一部の好事家のみ知っていた本が、100年後に日本中の全員が知っている本になったとして、(たとえば宮沢賢治とか)それじゃ、その本は、100年前は駄作で、100年間のうちに知らずに文章が入れ替わって、面白くて価値のある作品に代わっていたのか、というと、そんなことはない。そこに書かれた文章はずっとそのまんまです。ただ、人だけが変わる。
知名度がなかったり、評価されなかったりするのは、時代の空気がその作品を許さなかったり、理解されなったり、また、タイミング的にセールスがうまくいかなかったり、それを販売する会社や流通のターゲッティングが間違っていて、全然売れなかったり、そういうことが原因のことだって多い。



そういう販売や知名度の結果だけで傑作駄作を決めるのならば、テレビ局が有名タレントを使って、ごり押しで作って観客を集めた映画は全部名作だということになってしまう。

作品は人に読まれて作品になる、駄作と傑作の判断は常に、見た人ひとりひとりの中にある

そもそも、名作、傑作、駄作の判断っていうものはなにか。


作品と呼ばれている本や映画やゲームというものはいうのは、ただのデータ、文字列で、それ自身が価値や物語を持っているものではないと思います。それを人間が読んだり見たりして、その読んだり見たり人の感性や記憶が、そこに書かれていることに意味を見出して、初めて、それが物語なり、作品なりになるものだと思っています。だから、同じ本があったとしても、その本を読んだ人の分だけ、物語の数があるし、それぞれ別々の意味を持っているものになる。自分が読んだ、ドラえもんのび太と恐竜と、あなたのよんだドラえもんのび太の恐竜は全く別のものになるわけです。



その作品が書かれる背景についての知識があるかないか、そして人生でどのような体験、経験をしてきたのかによっても、作品の感想は変わってきます。同じ人の中でだって変わってきます。以前読んだ本を10年ぶりに読んだら、全く別の感想を持ったり、新しい発見があったりするのは、そのためです。



物語というものは、因果関係の連なりですけれども、本の文章の中に描かれた出来事のなかに、どのような因果関係を見出すか、見出さないかは、それを読んだ人次第なわけですよ。
(そこらへんのことは物語の展開には1パターンしかない_物語の作り方(下書き2) - orangestarの雑記のエントリに、以前書いてあります)


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物語というものは、描かれた時点で、作者から離れてしまうものだと思っています。そして受け取り手次第で、物語は変わってくるし、100人いたら100人通りの物語。その感じ方も評価も違って当然だし、違っているべきだと思うんですよ。みんなの感想が違ってないって気持ち悪い。世の中の大半の人が面白いっていう作品でも、つまらないって思う人がいていいし、世の中で、つまらない駄作って判断されていても、それがすごい面白くて、人生が変わる作品だって人がいてもいいし、たぶん、います。



もし、傑作駄作がセールスと世間の平均だけで決まるのなら、漫画はワンピースだけあればいいし、小説家は村上春樹だけいればいいいんですよ。でも、そうじゃない。



世間ではどうでもいい、失敗作だといわれている物語が自分には人生を変えるような素晴らしい物語のことだってあるし、逆のことだってあるわけです。



なので、安易に自分にわからないからつまらないと言ったりすると、戦争の火種になります。さらに悪いのは、自分で価値判断せずに、世間で言われているから駄作、つまらない、ということ。お前の肩の上に載ってる丸いのはただの飾りなのか?って思う。(id:p_shirokuma)先生も、エントリの後半で自分の判断で傑作ではない、と判断してるんだから、その話だけでいいんですよ。だって(p_shirokuma)先生の中ではガンダムF91は傑作でしょう?”大型ジェガンタイプが出てきて何もできないまま撃墜されるから傑作”みたいな判断でいいんですよ、そうでないと嘘ですよ。

他の人の書いた“この作品超面白い!”という文章を読みたい

じゃあ、まあ、他人の頭の中で展開された、その物語が面白い面白くないっていうのを聞くのは、無駄なのか、どうでもいいことなのかっていうとそういうことはない。
面白い!(または許せない!)という感想というのは、その人の人生の重要な価値観や、その人の人生や世界の見方に化学反応して生じている。だから、そういう感想というのは、自分とは別の価値観の人の視点、世界観を知ることができるし、自分の知らない知識や世界を知ることができる。だから、そういう、他人の、自分の知らない価値観から生まれた作品の感想っていうものは、とても面白いし、是非読みたいって思う。



ただ、そういう感想文自体も、また、作品と同じように、受け手によって、面白い面白くないというものは出てくるのだけれども。



ところでマンガ書いてます。kindleで発売してます。

誰にとっても面白い、ということはないけれども、誰かにとっては面白いと思うので、もしよければ、読んでみてください。


猫を殺す仕事

猫を殺す仕事

ここは悪いインターネットですね。

ここは悪いインターネットですね。

みなさんvistaのこともたまには思い出してあげてください

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4月11日にvista終了*1したのに、だれもvistaについて話してないなんて、誰も参列者がこない寂しいお葬式みたい……。




なんでvista死んでしまったん?




ちなみに、うちについこの間まで使っていたvista機がありました。
李徴が話しているのと同じように、もとしもとvista機で販売していたのをwindows XPにダウングレードして使用していたのですが、XPの期限が切れたので、vistaにアップグレードして(戻して使ってました)
で、この4月でvistaのサポートが終了するので、windows10のosを買って、win10機として使い始めたのですが、残念なことにvistaの時よりも安定しているし速い。




家で、重くてどうしようもなくなってほったらかしになってるvista機とかあれば、要件を確認してwin10を試してみては?もしかしたら、動くようになるかもしれません……。



ところで、windows7windows8windows8.1 ときて、いきなりwindows10って並びが悪いですよね…。

*2*3

あっ…はい……。

*1:vistaのサポートが終了

*2:windows meとか とらぶるうぃんどうず とかたぶん今の人たちは知らない…。あのころに比べるとOSってだいぶ安定するようになりましたね

*3:ネタモ使いまわしたぶん今日までに一万回以上言われたネタ - orangestarの雑記